秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

どこへいった?京都一入りにくい焼肉屋。

2013年05月28日 05時54分05秒 | 京都非観光迷所案内

 この焼肉屋さん、すこし前までは「京都で一番入りにくい店」をうたってたのに、
そのキャッチコピーが無くなっている・・・・。

いつかブログのネタにしようと思ったいたのに。(結局してますけど)

 


京都迷走。

2013年05月12日 06時14分54秒 | 京都非観光迷所案内

 前から怪しいと思っていたら、とうとう痴呆が始まって市内を徘徊するよ
うになったのか?いやいや頭脳は明晰ではないけどまだ大丈夫。(多分)

打ち合わせや面談の予定の無い日は、視察と営業をかねて市内を巡回
している今日この頃です。で、気になった風景やモノを発見するとカメラに
収めております。この日は下京区を中心に巡回。

         ↓ 空いておりますって言われてもなぁ・・・・。
         


入れ歯のリサイクルってのは初めて知りました。↑

京都らしい介護施設だと思います。「松原のぞみの郷
  

           

「低料金奉仕」・・・・・奉仕しすぎたのか、現在は営業されていない様子です。
 

こちらも商売は廃業。この趣は文化財に指定してもいいと思うのは私だけ。


 

仁丹のホーロー看板は今でもときどき見かけますが、私が密かに捜し求め
ているのが「牛乳箱」、それも「松原牛乳」。これはかなり難易度が高い。

ねらい目は街中で空き家化した物件ですが、人ケの少ない路地裏をうろついてたら、
不審人物と見られて警察に通報されかねませんからね。

なんで松原牛乳か?って聞かれても深い意味はないんですけどね・・・・・。

 

 




  

 


京都市民防災センター。

2013年05月09日 07時31分09秒 | 京都非観光迷所案内

ウソのような話なのですが、この防災センターを訪ねる予定をたてていたのが
一昨年の3月10日前後でした。(ホラオヤジですけど、これは本当です)以来
ずっと保留にしたままでこの日にいたりました。

現在すすめている仕事で一度は見学しておく必要があって、2年間のブランクを
経てようやく入館が叶いました。

 
わが生涯において消防署に電話をする機会がハタシテあるだろうか?↑

 
↑ 私は30センチがやっとでしたな。


↓スプリンクラーの放水初めて目にしました。

 
風速30メートル以上も初体験。相方は髪の毛がザンバラ・・・・。↑

     
何気なく部屋をのぞいてギョギョ!!応急手当訓練用の人形。SF的光景ですナ。

   

 
消防ヘリの操縦体験もできます。ミッションは4種類。

 
USJみたいです。3D・京都大地震が体験できるマシーン。三半規管が弱い人はやめときましょう。↑

山小屋での土砂災害体験。
非難した山小屋を襲う大型台風の恐怖を3Dサウンドで体験。

平和なリビング風景。
しかし、この後震度7の地震が彼女を襲う・・・・。

京都は大地震ないし・・。なんてこと言ってる人はこの断層を見よ!

公共施設ですから、駐車場代もふくめ、すべて無料です。ただ、だからという
理由ではないけど、京都近辺に暮らす人はぜひ一度見学しておくべきですね。

実際の大災害でどれくらい役立つかは分かりませんけど、体験しておくのと、
していないのとでは、違ってくると思いますョ。

京都市民防災センター」 南区西九条菅田町7 

 

 

 

 


京都・銭座跡。

2013年05月05日 07時46分05秒 | 京都非観光迷所案内

 銀座が銀貨の鋳造されていた場所をさす、ということはよく知られ
ています。ず~っと以前に伏見の銀座の話をしましたね。

まぁ、本人も詳しくは覚えていませんけど・・・・・。

金貨(小判)などは庶民には縁遠い貨幣、銀貨(粒)も常に懐に入って
はいない。やはり一文銭が日常使用される通貨でした。

銀座は伏見から市内(中京区)へ移り、やがて江戸へと移転合併された
のですが、一文銭はいったいドコで鋳造されていたんだろ?

京都では建仁寺あたりであったが確定はされていない、という話は小耳
にはさんだことはありました。

その疑問に答えてくれたのが京都新聞アーカイブ・「道ばた資料館」です。

  

ただ、常時鋳造されていたわけではなく、銭貨の需要が生じたときだけ、
民間の商人たちに公募して受け負わせたそうです。

公募といっても財力がないと、おいそれと請け負えるもんじゃありません。

やはり銭は銭(金持ち)が生むってことですナ。

 銭座跡の碑が建つ崇仁コミュニティセンター。他にもいろいろ建ってます。
 

       

 

江戸時代にぎょうさん銭を生み出した土地ですが、昭和に入ってからも、多大な
マネーを生み出す地として魑魅魍魎が跋扈したようです。

そこんトコは私のブログの範疇外ですから興味のある方は一ノ宮美成氏執筆
書籍をお読みいただければ如何かと存知ます・・・。

 

 

 

 


京都ハリスト正教会・生神女福聖堂。

2013年05月04日 08時33分36秒 | 京都非観光迷所案内

 この教会は以前、前を通りかかった際に写真だけ押さえていました。

「京都モダン建築の発見」(淡光社)を読んでチェックはしていたのですが、
まあ、そのうちに、なんて思っているうちに今に至ってしまいました。

今回アップロードしておいた写真と資料がやっと合体して登場。「京都ハリスト正教会

  

どうしてサッサと投稿しなかったのか?理由は今までの罪深く、オロカな私の人生
において正教と関わりをもったことは皆無であります。(多分)

知り合いにクリスチャンや、神教徒だ、って人は稀にいます。  しかし、

「実はウチ、隠れルーマニア正教徒どしてん、コレ、ナイショにしといてくれやす。」

なんて人に出会ったことは一度もありません。(ギリシャ正教もロシア正教もしかり)
つまりナジミが薄いもんで、なかなか取り掛かり辛い題材であったのです。
  
正障・教鐘・大灯明は1903年にロシア正教会から送られたものです。翌年に日露
戦争の火蓋が切って落とされています・・・。

  

正障などを寄付したロシア正教会は、その後悲惨な運命が待ち受けていたようです。

ロシア帝国が滅亡後、正教会はスターリン体制において大弾圧を受け、本国の救世主
大聖堂はダイナマイトで爆破されてしまったそうです。

殉職者も数多く、また破壊された教会も多くあったでしょう。日露戦争前年に送られた
正障などが残され、ロシア本国では破壊された正障などは数知れずあったはずです。

なんだか不思議な思いがしますよね。え、しない? ま、ええか。

ところで、ギリシャ正教の布教のほうは、どうだったんでしょうね。 それ以前に来日した
キリスト教の宣教師が、こんなコトを言い残しているそうです。

「地方で百人の信者を獲得するより、京で一人の信者を得るほうが困難だ」

大本山がぎょうさんある土地だから、という理由はもちろんあるけど、京都人の気質
を、言い当てている気もしますナ。

最後のど~でもエエ話。

投稿にあたって、確認のため2,3確認しようとネットで検索したんですけどね。

楽天市場の「ハリストス教会を格安販売」ってのが上位に表示されています。教会も
ネットで買えるのか?しかも格安で・・・。

よく見たら釣り糸の「ハリス」のことでした。なんぼ検索率上げるためとはいえ、あんまり
ムチャしたらあかんのちゃう?

 

 

 

 



 

 

 


大黒寺(薩摩寺)

2013年05月03日 07時56分19秒 | 京都非観光迷所案内

 平田 靱負(ゆきえ)をモデルにした劇画や芝居は読んだり観たこと
はありましたが、伏見に墓があるとは知れませんでした。

   

劇画は平田弘史氏の「薩摩義士伝」、芝居のタイトルは忘れたけど、確か
森茂久彌氏が主演だったと思います。いずれにしても古い話です。

薩摩九烈士は時代小説(幕末)に登場しますが、亡くなった場所から考れば
この寺に墓があっても不思議ではないんですけどね。

  

この寺と薩摩藩との関わりはコチラをクリック→「大黒寺

  
↑金運清水 金運良好、資産増加に効果アリ。(だ、そうです)

ついでに紹介させてもらうのは、いささか申し訳ないのですが、「金札宮」はこの「大黒寺」
とは目と鼻の先です。
   

  

じつは伏見散策の前に相方がチェックしていた中華料理店で昼食をとったん
ですよね。それを一番先に投稿する予定だったのですが・・・・。

ところが、この金札宮でシャッターを切ろうとしたら、メモリーが満タンになって
います、の表示が出たのです。

いや、そんなハズはない。ブログにUPした写真は順々に消去していますから、
カメラには10枚未満のカットしか残されていない。

いろいろスイッチを押してみたり、電源をON OFにしてみたりしたのですが、
ダメ・・。結局バッテリーの接触不良だったみたいです。

どうやらシャッターが切れるようになって、この日は無事終了、帰宅。そして
アップロードしようとしてあることに気がつきました。

この日最初に撮影した中華料理店のカットが全部消えている・・・。

なんてこったィ。けっこう辛旨の四川ラーメンで、お気に入りだったのに残念。
しかし考えてみると、この時点で通風の兆候が顔をだしていた。(今、思うに)

そんな体調でコッテリラーメン喰うとは、死に体にムチ打つ行為に等しい・・。

相方はまた今度行けばええやん、と言うけれど、ハタシテ通風大魔王の目を
かすめて出撃できるのは、いつの日になることやら・・・・・・・。


御香宮の絵馬。

2013年05月02日 07時41分38秒 | 京都非観光迷所案内

 通風の足音に脅えつつ、散策した御香宮ですが、なかなか投稿する
気力が湧かなかった・・・。しかし日が経つにつれ記憶が薄れていきます。

ましてボケが深く静かに進行している気がする、今日この頃であります。

足の痛みに耐え忍びながら、投稿いたします。が、文章等に不明瞭な点や
誤字、脱字などありますれば、ご容赦ください。(いつものコトか・・・。)

  
危うく切符を切られそうになった鳥居前。

その北側にある桃山基督教会
  

  

  桃山天満宮
  

  

 

 

 
極彩色唐破風彫

そして本日の主目的「絵馬堂」です。
  

 ある日、行商の男がこの宮にさしかかった、と思いねぇ。(なんで江戸弁やねん)

「あ~、ボチボチ日も暮れよんなぁ。夜道は無用心なこっちゃ。今夜は御香宮さんの
軒下借りて夜明かしさしてもらいまひょ」て、ことで男は拝殿で眠りこんでしまいました。

夜更けに誰かに揺り起こされた男が目を開けると、直衣姿の若者が目の前に立って
いました。 その男が言うには、

「今から高貴なお方がおこしになって、ここでご遊戯あそばす。そなた、邪魔やし、
隅のほうにでも寄っといてんか~」と、いずこから女房と侍女が登場。


絵馬の写真と物語には関連はございませんので・・・・・。

女房は琴、侍女は胡弓でセッションが始まり、やがて女房が 「見ているだけでは
つまりませぬ、そなたも私たちと楽しみましょうぞ」と誘われ男は楽しい一夜を過ごします。

宴も終わり、男は女房と侍女に商売物の小物をさしあげようとしました。が、その時、
男はそっと侍女の手を握ってしまった。

それを見つけた女房、 「キィ~!!ワラワを差し置き、なんたる所業!許さぬぞえ!」
と台座を侍女に投げつけたもんだから、たまらない。

  

侍女のパッカリ割れて額から鮮血が飛び散った!・・・ところで男は目が覚めた。

「エライ、リアルな夢やったなぁ。ほんにオナゴのヘンネシは怖いもんやデ」

と、ふと見あげたとき、奉納額の一枚が目にとまりました。なんと昨夜の登場人物
がそこに描かれ、侍女の額の部分が割れていたんですと。

 

その他にも夜中になると額から抜け出し、近辺の田畑を荒らす猿が、とうとう
農民に鎌で腕を切り落とされたそうです。

  

翌朝、社の額の一枚に描かれた猿の腕が一本切り落とされていたそうな。

そんな楽しい?お話も残されている絵馬堂です。一枚一枚じっくりと鑑賞する
価値はあります。(いや、ワタクシがそう思うだけかも知れませんけど)

最後の余談。 一般的に奉納額は絵馬とよばれていますが、当初は社寺に
生きた馬を奉納していたものが、土馬→木馬→色紙絵馬→板絵馬となった
そうです。馬以外の絵が描かれるようになったのは室町時代からといわれます。

現存する一番古い大絵馬は上賀茂神社に石田三成が奉納したもので、記録
だと寛弘九(1012)年に北野天満宮に色紙を奉納した、と書き残されています。

そのような大絵馬の奉納も大正期には廃れた、とあります。市内でも寺町二条
から三条の間に絵馬屋が店を構えたそうですが、そのころを境に姿を消して
いったのかも知れません。

私のマイベスト絵馬は「光福寺」・オヤジ顔の虎(2009 10/17)です。おそらく
あの絵馬に勝るトボケ顔に出合うことは今後もないでしょうねぇ・・・・。 

 

 

 

 

 


正行寺 輪形地蔵。

2013年04月29日 09時07分14秒 | 京都非観光迷所案内

 別名「猿寺」と呼ばれる「正行院」ですが、いつかそのうち訪ねよう
と思っていたけど、なかなか機会がありませんでした。

 

交通の不便な場所じゃないんですけどね。いや便利すぎるくらいです。
京都駅の近所ですから。いつでもいけるし、またいつか、と思ってました。

で、TV見てたら塾のセンセが「今でしょ!!」なんて言うもんだから、つい
探索してしまった・・・。(このネタも旬を過ぎてしまった感もあるけど)

冗談はサテおき、お寺の縁起には動物が関わっている話がけっこうあり
ますよね。猿もときおり登場します。正行院の縁起はアンダーラインを
クリックしてください。(ここまでくると手抜きの弁明もしなくなってます。)

  

ちょっとだけ補足。 浄土宗捨世派は法然上人の正方を守るという志で浄土宗
の中でも地味なんだそうです。江戸時代になって浄土宗でも朱や紫の衣を着る
ようになったけど、この派は茶や鼠色しか着ない、とあります。

寺は伏見城の廃材で建てたとか。開基の円誉上人は鉦や木魚の代わりに石
を叩いて拍子をとられたといいます。さすが捨世派。

うかつなことに、輪形地蔵と正行院が同じ場所だとは思わなかった・・・。



   ま、「うかつ」、「うろおぼえ」はいつものコトですけどね。
    
掘り起こされた当初は、その場所に地蔵堂が建てられていたそうですが、堂は明治5年に
廃され、そのときに正行院に引越しされたそうです。(地蔵堂が建てられたのは昭和8年) 

輪形とは、そう「車石」のことです。このブログでも2度(だったっけ)ほど取り上げて
います。なんせ13キロにわたり敷き延べられた車石です。 フトドキ物が、打ち捨て
られているお地蔵さんを拾ってきて、小銭稼ぎをしたのでしょうか?

   
   三タビ登場「車石」

  

京都を代表する2大ラーメン店の本店は、この寺のすぐそばです。


そうか、オバマさんはここに居るんだ。

若いころ、このホテルがずっと求人募集してたのを覚えています。理由は
聞いたけど、忘れちまった・・。(て、コトにしときます)

 

 

 


 


松花堂。

2013年04月28日 07時27分08秒 | 京都非観光迷所案内

 こちらも迷所じゃないけど、岩清水八幡宮と同じ理由でカテゴリーに
含ませていただきます。(ダレにことわってるんでしょね)

松花堂昭乗の名前や経歴は存じていました(ちょっとだけですけど)が、
あまり興味がなかったもんで、ここを訪ねることはなかろうと思っていました。

今回はせっかく八幡まで来たことだし、ついでに、って感じで来訪したのです。
いや、厳密に言えば「女郎花(おみなえし)」の女塚と男塚には興味はありました。

  ↓近所のマンション。なかなか素敵なネーミングです。
  

その女塚が松花堂庭園の中にあるのです。しかし入園料を支払ってまで見学
するかどうかは庭園に来るまで迷っていました。時間も時間だし。(4時前でした)

  

で、入り口で入園料を見たら、なんと100円。(庭園のみ)閉園まで残り一時間あります。

これは見学しないわけにはいきません。(ワレながらセコイと思います・・・。)


入り口の藤棚。盛りはもう少し前だったようですが、美しゅうございます。

今回は、はっきり言って予測を裏切られましたね、良い意味で。
 

    

これだけの路地庭を一度に拝見させてもらえるとは・・。100円ですョ(もうエエか)

       

 

庭はもちろん、建物、竹林(多種の竹が植えられています)も一見の価値があります。
     

   

  
  ↑水禽窟

 

 
 ↑玉座                       ↑格天井

生垣の勉強にもなります。
                

          

椿園 

   

  

  

 

私がとくに気に入ったのが庭園にさりげなく配置された石塔です。彫られた
時代や作者はおそらく不明だと思います。筍と背比べしているようにも見えますナ。
  

 
もしかしたら、神仏希釈のおりに、取り壊された寺から集められたのか
も知れませんね。

そして目的の「女塚」




では男塚(頼風塚)はどこにあるか?というと松花堂をいったん出て、東高野街道を
北上した民家の間にひっそりと建っています。
 これは分かり難いぞ。

 

離れ離れになった男塚と女塚、しっかり私のブログで添わせてあげましょう。
(余計なお世話か・・・・。)

最後に松花堂昭乗は知らなくても松花堂弁当は知ってるで~、って人も
いらしゃると思います。

昭乗先生がお百姓さんが種入れとして使っていた箱を見て、「おっ、これを
絵の具箱や煙草入れに使ったら便利でおますな。」と思いついたそうです。

ときはくだって昭和の時代、大阪の貴志家から依頼を受けた吉兆の創始者
湯木真一氏が昭乗さんの道具箱にヒントを得て、弁当箱を発案されたそうです。

 

敷地内には吉兆のお店があって、当然「松花堂」弁当がいただけます。

来年は頑張って、花見をかねてこの松花堂弁当を食べに来るぞ。 

 

 

 
 

 

 

 

 

 


岩清水八幡宮

2013年04月27日 07時26分00秒 | 京都非観光迷所案内

 最初におことわりしておきますが、この岩清水八幡宮は迷所じゃありません。

京都はもとより、全国的にも知れれた社です。(どれくらい全国的なのか
は分かりませんけど。今回は迷所案内人が徘徊した、っつうことで・・・・)

  

実はワタクシ、若かりしころ痔を患ったことがありました。(すんませんビロウ
な話で) で、実家に帰ったときになにげなく母親の前でその話をしたのです。

「あんた今年、本厄やろ。岩清水さん行って厄払いしてもてき!!」

は?なんで岩清水?それまで岩清水のイの字も聞いたコト無いですよ、貴女
の口から。母は神社のお参りといえば城南宮いっぽんやりでした。

おそらく姑からなにか聞かされていたと思うんですけど、二人ともすでに他界
してますから、今だ謎のままです。(痔と八幡宮が無関係というのは分かるけど)

  

ということで、今回の八幡散策においては、この社を外すワケにはいきません。

あのときは車じゃなくて京阪電車を利用したっけ。何かの理由でケーブルが
止っていました。私、このケーブル系との相性が非常に悪い。

  

鞆の浦に行ったときも故障中。エッフェル塔に登ろうとしたら、仏は何十年
ぶりかの大雪でエレベーターが動かない・・・。

 

しかし、写真と関係ないコメントばっかりですナ。なんせ有名な社ですから他に
資料はぎょうさんありますからテキトーに読み飛ばしといてください。

  

今回は車で西参道からアプローチしたんですけど、住宅街の細い道をぐるぐる
巡りながらようやく到着した次第です。所々小さな表示板はあったのですが・・。

  

 

エジソン記念碑。エジソンがフィラメントに八幡の竹を使用したのは有名なお話です。
 
碑の前に電気自動車用の充電コンセント。掃除していたオバちゃんが 「ただやし、車
持ってきて充電したらエエよ~」 って言ってくれたけど、イヤイヤ、ガソリン車です、うちは。

猫にとっても暮しやすい地のようで境内のソチコチでみかけました。八幡猫。
  

社はさすがにしっかり保全されていますが、途中の道はあちらこちらで土砂崩れがあった
ようで通行止めの箇所も何箇所か見られました。

    
八幡市内が一望できます。

   
途中の茶屋と神場舎。

↓これは麓の「放生川」にかかる安居橋。エエ味だしています。


走井餅の店。相方が購入しようか悩んでいたけど、私の強い進言が受け入れられ
て「さくらもちソフト」に決定。ちょっと塩味が効いて美味しゅうございました。

        
      販売していたお嬢がエライベッピンさんでしたナ。

次回は八幡散策ラストの「松花堂」です。