秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

水薬師寺と平清盛。

2010年12月14日 16時16分10秒 | 京都非観光迷所案内
この水薬師寺は私が卒業した小学校区にあります。幼稚園も経営されているので、クラス
メートはほとんどこの幼稚園の卒園生です。だから水薬師といえば寺というより幼稚園。
(正式名は七条幼稚園ですが、ほとんど水薬師と呼んでいましたね。)
 
ワタクシんちはブルジョアだったから、平民用の幼稚園には通わせてもらえませんでしたけど。

たまに大嘘こかないとストレスが溜まっちまう。なんで他の幼稚園に行ってたのかは関係者
(ようするに両親)が彼岸へ行ってしまっているので理由はわかりません。

ま、私のことはどうでもいいやね。昔、この地に大池があったそうです。理源大師がその池
から霊像をみつけだして、寺号を賜ったと寺伝にあります。(創建は延喜年間901~23)
 
この寺の水は万病に効果アリ、といわれ平清盛が高熱に侵されたとき、この水を汲んで癒し
たと伝えられています。(この水薬師の西方に清盛の邸宅があったそうです。)

この清盛って人は小説やドラマでは悪役っぽいあつかいが多いんですよね。清盛というか平家
自体が良いイメージでえがかれていません。平氏であらずば人にあらず、なんてホントに言って
たんでしょうかね?これは平家物語にその一因があるともいわれています。

その平家物語は奈良の興福寺関係者が創作したんだけど、その興福寺を平氏が焼き討ちした
から悪意をもって書き残された、と、なにかの本で読んだ記憶があります。

実はここだけの話、ワタクシ、ちゃんと平家物語を読んでないからエラソーなことは言えない
んですけど・・。でもワタクシは頼朝や義経より清盛ヒイキなんですョ。

それは私がヒネクレモノだから?それはいなめませんナ。娘の徳子が待望の男子を産んで、
清盛は大喜び。目に入れても痛くないほどの可愛がりようだったそうです。

天皇家と血縁ができたということもあるけど、理由はそれだけではなかったと思います。

その皇子が清盛の屋敷で指を突きたてて、障子を次々と穴を開けていったそうです。清盛は
叱るどころか、ホレ、ここがまだ破れてないぞよ、と指差しながらニコニコ笑っていたとか。

そのうえ、その障子は捨てずに残しておくよう命じたんですと。典型的なジジバカですな。

また、清盛はヨモギが好きで、庭一面にそれを植えさせ、ボンヤリとそれを眺めていたとも
いわれています。最高権力者となった氏はどんな思いでヨモギの葉をみつめていたんだろう・・。

そんな一面があったから、好色で権力の権化のように言われた清盛さんが私には憎めないの
かも知れませんナ。

水薬師寺↓(1月8日以外は公開されていません。)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000423