阪急長岡天神駅から天満宮へ向かう道にこの「開田城跡の土塁」があります。このあたりは
古墳時代から集落があった場所で、9世紀後半には宇多法皇が一時住まいしたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/63/737e6ebc8a8b99c6c631d49cd825cbb8.jpg)
15世紀後半に中小路家が登場して、後に中小路宗数が天満宮の社殿を造営したとあります。
応仁の乱や戦国時代に消えていった土豪も数ありますが、中小路家のように代々天満宮の
神官として現代まで残る家もあるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/aa/5e536fe5c34e6066918d1a760c5084f3.jpg)
以前訊ねた上植野城は住宅地となって跡形も残っていませんが、こんなふうに発掘保存され
ている城跡(といっても土塁だけですけど)から当時の時代を偲ぶことができるのはヨロコバシイ
ことであります。
古墳時代から集落があった場所で、9世紀後半には宇多法皇が一時住まいしたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/63/737e6ebc8a8b99c6c631d49cd825cbb8.jpg)
15世紀後半に中小路家が登場して、後に中小路宗数が天満宮の社殿を造営したとあります。
応仁の乱や戦国時代に消えていった土豪も数ありますが、中小路家のように代々天満宮の
神官として現代まで残る家もあるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/aa/5e536fe5c34e6066918d1a760c5084f3.jpg)
以前訊ねた上植野城は住宅地となって跡形も残っていませんが、こんなふうに発掘保存され
ている城跡(といっても土塁だけですけど)から当時の時代を偲ぶことができるのはヨロコバシイ
ことであります。