秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

Y子さんの臨死体験。

2010年05月31日 09時27分17秒 | 秀明百話
当店に来てくれる女性客は年齢、既婚、未婚に関わらず皆さんパワフルです。

その中の一人、Y子さんもかなり強力な個性をお持ちで、元気いっぱいの女性なんですが。

先日珍しくお一人でふらりと来店されたんですけど、まだ早い時間だったから他のお客さん
もなく、相方とボンヤリテレビを見てたんです。

ちょうどオカルト的な番組を放映していて(最近は季節に関りなくやってますナ)、それを
観ながら相方がY子さんに「霊的体験ってあります?」と訊ねたんですよね。

「ん~、幽霊みたいなのは見たことないけど・・・。」と前置きして彼女が話してくれたの
は臨死体験のお話でした。

結婚後まもなく、ご主人とW島にドライブに出かけ、まもなく目的地に到着というところで
夜中ということもあり、かなりのスピードを出しておられたそうです。

トンネルを抜けたカーブの中央あたりに工事用のおおきなコンクリートの塊が置かれていて
中央線に寄っていた車は激突。そのコンクリート激突までの瞬間はコマ送りのように見えたとか。

次に気がついたのは病院のベッドですが、医者も見離しかけたほどの重体(危篤)で一命を
とりとめたのが奇跡といわれたほどの大事故だったそうです。

その危篤状態のときにみていたのが、自分が誕生してから現在に至るまでの半生記だった
そうで、生まれた瞬間の周りの母親や祖母に囲まれている状態から始まっていたんですと。

不思議なのは、そのシーンはすべてモノクロで、それがカラーに変わったとたん、体中に
激痛が走り、「痛い~!!もう殺して~!!」と叫んでいた、と彼女は語ってくれました。

臨死体験に関してはいろいろな諸説があるようで、未だ明快な答えは無いようですが、一つ
だけいえることは、今こうして生かしてもらっている、というのは何らかの意味があるんで
しょうね。


モダン寺「十念寺」

2010年05月30日 09時40分28秒 | 京都非観光迷所案内
アレ?モダンって言葉はもう死語の世界だったっけ?でもオシャレ寺じゃイメージが違う
もんなぁ。まぁエエか、広島にはモダン焼きもあることだし。(なんだか意味不明ですね)

この十念寺は以前に信長の墓を訪ねた折、途中で見かけて写真だけ撮影して忘れかけてた
お寺です。何しろカメラ片手に徘徊する時間が無いもんで、面白そうなのは一応押さえてます。

このお寺には「曲直瀬道三」の墓碑があるのですが、人の名前などは見聞きしても三歩歩け
ば忘れてしまうワタクシですが、こんな珍しいのは記憶の片隅に残ることもあります。

「まなせ」さんは足利時代の名医で、もとは僧籍を持っていましたが後にキリシタンになった
お医者さんです。足利義輝の病気を治療したことから信任を得て、大勢の医学生を指導した
そうですが、洗礼を受けたのは77歳のとき。

亡くなったのは89歳(88歳)という記録が残されているそうですが、当時とすれはかなりの
長寿ですな。

西洋ならキリシタン墓地に仏教徒の墓があるってのは考えられませんが、このあたりが日本
的ですよね。

場所は上京区寺町通り今出川を北ですが観光寺ではありません。

「福王子神社」

2010年05月29日 10時21分13秒 | 京都非観光迷所案内
この神社前、数百度は通過しているけどど、お参りした事は無い、という京都人は多いと
思います。西大路通りの抜け道として私もよく利用していましたが、時間帯とシーズンに
よっては大停滞する交差点に位置しています。

と、いうのは金閣寺、竜安寺、仁和寺を巡る観光道路(きぬかけの道)でもあり、また
北山方面へ抜ける街道の交差点でもあるからです。駐車スペースも無いから、視界には
入るけど、ガレージを探してまでお参りする人がほとんどいないワケです。

本殿には光考天皇の皇后「班子皇后」が祭神として祀られていますが、私が注目したのは
本殿横の末社。祀られているのは夫荒神。この「ぶこう」が「ふくおう」に転訛したので
はないか?という説もあるそうです。

この「夫荒神」は丹波国の※氷室から禁裏に氷を運ぶ役夫が氷を解かしてしてはならぬと
急ぐあまりこの地で絶命。その男が妖怪となって祟りをなしたので社を建てて祀ったとか。

一般的に怨霊を鎮めるために創建された神社は、皇族や官位についていた官僚の怨念を抑え
るために建てられるケースが多いように思います。

皇族の陵墓でもある地に、いち役夫のために社を建てた、ということはかなり強力な妖怪
だったのか?それとも税や役に苦しめられていた庶民の憤懣がそんな話を創りだしたのかも。

※真夏の暑い時期、冬に保存されていた氷を宮中に運んでいました。水尾方面には「氷室」
という地名もあります。

場所、由縁は↓
http://www.genbu.net/data/yamasiro/fukuoji_title.htm

壱岐から来ました「月読神社」

2010年05月28日 10時13分10秒 | 京都非観光迷所案内
「今ではワシも松尾(大社)んとこの舎弟あつかいやけど、昔はいっぽんで一家はっとた
んじゃ。」と、仁侠映画風に自己紹介するとこんな感じ?(別に任侠映画風でなくて良いんですケド)

四条通りを西へズドンと突き当たると松尾大社、参拝客のほとんどは大社の参拝を済ますと
帰路につきますが、途中の参道を南へ少しいくとこの「月読神社」が鬱蒼とした山肌に鎮座しています。

現在は松尾大社に従属した形ですが、歴史は古く顕宗天皇三年、阿閉臣事代が勅命により
任那に赴くとき、月神があらわれ「ワシを祀ったらエエことあるでぇ~」と告げられたとか。

そこで壱岐から祭神をお連れしはったんですナ。壱岐に流された皇族もいれば、都にやって
こられた神さんもいはった、と、いうことは遥か遠くの壱岐と都には深い関係があったのですね。

現在の地に遷座されたのは斉衝三年(856)。当時は朝廷からの奉幣もたびたびあって、
神功皇后がこの石で腹をなでて安産になった「安産石」も安置されています。

ワタクシ、妊娠中ではありませんからコチラのほうをなでさせていただきました。↓

そうそう、その前にここで穢れを落とさねば。エッ、ワタクシみたいに穢れまくりの体だと
体自体が消滅するってか?


この手作り感はいいですナ。↓
   

 



嵐山に比べると観光客はグンと少ない松尾大社ですが、さらに訪れる人の少ない社ですから、
鬱蒼と茂る樹木のなかで、イニシエのころを思いつつ、自分再発見するにはうってつけの
静かな神社かも?。
http://www.genbu.net/data/yamasiro/tukiyomi_title.htm

新メニュー。

2010年05月27日 09時40分40秒 | グルメなのか?
これは先日上沼エミコさんの料理番組で紹介されていた一品。(多分関西ローカルだと思い
ますけど。上沼さんは関西では和田アキコクラスの大御所だけど関東での知名度はどうな
んでしょうね。)

豚バラ肉とキムチをゴマ油で水分がなくなるまで炒め、卵と山芋を溶いたのをその上から
まわしかけ、時々フライパンを揺すってフンワリ焼き上げたら完成。(ひっくり返しません。)

さっそく店で調理して二人で試食。ナルホド、上沼さんが絶賛していたのが分かりました。

今回のトッピングはネギですが、鰹節やマヨネーズも合いそうです。

昨日から当店のメニューに新登場。これから美味くなるビールにもピッタリの一品です。

私好みの「浄住寺」

2010年05月26日 10時18分36秒 | 京都非観光迷所案内
実は去年の6月にこのお寺のすぐそばの「地蔵院」を訊ねているんですよね。あの寺もしっとり
していて私好みです。ナゼか去年UPしていなかった地蔵院の写真↓

地蔵院は一応観光客も訪れますから、(拝観料が必要)静然と整った感がありますが、浄住寺
は黄檗宗の修行寺ですから「観せる」寺より自然をなるべく生かした佇まいの様子です。
(と、ワタクシには思えました)

阪急嵐山線の上桂駅で下車、あとは真っ直ぐ西へ道をとります。なだらかな坂を登り、閑静
な住宅地を越えたあたりに道しるべがあります。
   
途中で見つけた隠れ家的喫茶店。コーヒー好きならちょっと一服したくなる雰囲気です。
(残念ながらコーヒー好きでないワタクシはそのまま通過・・・・。)

静かです。この辺り、もう少し北には予約制で3000円(写経つき)の寺とか、生態系を無視
して観光客を呼び込んでいる有名な観光寺があって、ソチラには大勢の観光客が訪れていま
すが、静寂な京都の寺院を求める人にはこの「浄住寺」や「地蔵院」がお勧めです。



この雑然ともみえる石段の積み方も、何となく「あ~やはり禅宗の寺なんだ」、と妙な所で
ワタクシ感心してしまいます。この山全体は保水量が多いんでしょうね、いたるところで
水音が聞こえてきます。駅から歩いて汗ばんでいた体もあっという間に汗がひいてしまいます。

水をたっぷり含んだ土地でから、苔や植物がみずみずしく見えるんでしょうね。
そういえば3000円の観光寺も苔がウリだし。(地蔵院の苔も美しいですよ)

 





なんて書いてあるのかは分かりませんけど、修業的な文言なんでしょうナ・・・。↓


またワタクシ好みのお寺が一つ増えました。(あくまでも私自身の感性ですから、お金を
かけて有名ドコロを観光される方にはお勧めできませんョ、いつものことながら・・・。)

京の洋館。

2010年05月25日 09時30分17秒 | 京都非観光迷所案内
以前チラッと京都の洋館の話をしましたよね、ってダレも憶えてないか。(私自身もあまり
憶えてないけど・・・・。)

しっかり保存されているのは公共建造物(学校など)、教会などや、店舗としてリメイク
された建物がほとんどですが、たまに個人保有で残されているものもあります。

烏丸丸太町の「大丸ブィラ」もその一つですが、残念ながら非公開になっています。
以前は(と、いってもずい分昔ですが)コマーシャル用の撮影で使用させてもらえたけど、
今はもう無理でしょうね。

この建物も雰囲気はブィラとよく似てますから同時期に建てられたものかも知れません。

やはり洋館には蔦が似合います。この建物は個人所有だと思いますが、ステンドグラスの
教室として開放されている様子です。どんな人物が教えておられるのか非常に興味深い・・。


ところで、昨夕開店準備のため買い物してきた食材を入れようと冷蔵庫のドアを開けたら、
「モゥア~」とした温気が(かすかな臭気も)

な、なんと冷蔵庫の電源が切れているではありませんか!!!

すぐにメーカーに電話を入れてみてもらったら、サーモスタットのセンサーが高温を察知
して電源をオフにしたそうだけど、夜中にそんなに室温が上がるもんだろうか?

なぜが冷凍庫の電源は落ちてなかった(不幸中の幸い)けど、メーカーの人によると本来
こんなときは冷凍庫のほうが先に電源が落ちるとか。と、いう事はセンサーの故障かも?

センサーの取替えとなるとかなり金額が・・・。カンベンしてよ~。

廃棄処分になった食材。宮崎県の酪農農家の人たちの気持ちが分かります。(こんな程度じゃ
ないけど)。つうことで昨日の「鶏ちゃん」は臨時休業でした・・・・・。↓



また「三宮神社」

2010年05月23日 09時42分12秒 | 京都非観光迷所案内
私が知るだけでも市内には三社の三宮神社がありますから、京都市内だけでもまだ何社か
あるんでしょうね。(一宮もよく目にするけど、二ノ宮はあまり見かけませんナ)

この三宮神社は桂離宮東側の道を松尾方面へ北上した住宅地の中に鎮座しています。



とりわけて由緒由縁はなさそう(ホントはあるんだろうけど)だけど、目を見張るのが境内の
大木。境内の樹木だから伐採されることもなくおおらかに天を目指しています。
  

植樹されたときは御神木にする予定はなかったのかも知れませんが、風水害や火災で焼失
することもなく生き残った大木はそれだけで手を合わせたくなるのは私だけでしょうか?
    

↓これは神社前の自販機。卵は時々目にするけど野菜はちょっと珍しいかも。



アル中の神ではありません。「大酒神社」

2010年05月22日 09時57分29秒 | 京都非観光迷所案内
社名だけ聞くと酒に関りの深い神社なのか?と思ってしまうけど、まったく無関係です。
所在地は太秦広隆寺の東の道を北に上がった所ですが、車で走行していたら見逃してしまい
そうな小さな社です。

ナリは小さくても歴史は古く、なんと祭神は「秦始皇帝」。(他には弓月君、秦酒君、呉織神、
漢織神)

京都三大奇祭りにあげられる「牛祭」は広隆寺の祭りと思われているフシがあるけど、実
はこの伽藍神であったときの当社の祭礼なのです。(なんてエラソーな事言ってるけど生で
見たことはありません、この祭り。)

私が訪ねたときには小さな境内で可愛いカップル(兄妹かも)がサッカーボールで戯れて
いました。もしかしたら秦始皇帝の子孫だったかも?

詳しくは↓(毎度よそ様の資料を拝借してます・・・。)
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/oosake.html

再び桂川溯上。

2010年05月21日 10時21分34秒 | 京都非観光迷所案内
携帯の着信番号を見れば知らないアドレス。ダレだろ?と思ったら右京図書館員さんでした。

しまった、貸し出し期間の二週間が過ぎてしまっていた・・・・。

つうことで、またまた右京図書館までサイクリング。前回は車道を走ったけど、今回は
農道サイクリングロードを通行することにしてみました。


むせ返るような草いきれ。子供の頃を思い出すナ。軽快にペダルをこいでいると目玉に虫が。


「飛んで目にいる春の虫」。  ・・・・つまらん・・・・・・。

   

  

前回は松尾橋まででしたが、今回は一つ手前の「上野橋」まで。なんだか空模様が怪しく
なってきたナ、と思ってたら、案の定帰り道はにわか雨。

まぁ、カンカン照りで汗だくになるより良いですけどね。

この辺り、かつては秦氏の所領だったそうですが、それ以前には「カモ氏」が暮らしていた
という説もあります。そんなイニシエの頃に思いをはせながらの短いサイクリングでした。