秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

平安京創生館(アスニー)

2010年12月10日 09時36分08秒 | 京都非観光迷所案内
このアスニーは以前紹介しますって約束してましたよね。ワタクシ、約束ごとはキチンと
果たす男です。ただ、約束したコト自体を忘れてしまっている場合が多いけど・・・・。


この場所は豊樂院の西北に接して置かれ121メートル四方の面積を占めていた「造酒司」倉庫
があった場所らしいです。造酒司(さけのつかさ)とは宮廷で消費する酒や酢を醸造する所。

 
館内の撮影には許可が必要です。私はもちろん、え~と、次にまいりましょう・・・。

文献だけでは、いまひとつピンとこなかったけど、こうして模型でみるとイメージがわいて
きます。しかしこれだけの模型を作るのは大変だったでしょうね。

記述では神泉苑の広さや六勝寺の大きさは知っていても、こうして目にすると実感できます。


源氏物語「梅枝(うめがえ)」の場面。何度もいうけど、あたしゃ読んだことアリマセン。

ここに穀物などを保存する蔵の柱が建っていたんですナ。黒丸が柱の跡です。
 
入り口にはモニターも設置されています。また発掘されたときの地層も展示されており、
蛤御門の変で焼けた地面もこの目で確認できます。なんと入場料は無料!


平安創生館↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/souseikan/kikakuten/kikaku2207.html

松坂牛うま辛煮。

2010年12月09日 08時22分14秒 | グルメなのか?
これは前回相方が松坂出張で買ってきた「松坂牛うま辛煮」。ブランド牛です。でもしぐれ煮
になってしまったら、松坂牛なのか、近江牛なのかわかりませんけどネ。
        
と、いうかステーキで食べてもわかりませんけど、ワタクシの場合。

味は甘め(しぐれ煮だし当然です。)ですから、酒のアテというより、ご飯の友ですナ。
こんなのが、お弁当のオニギリの中に忍ばされているとカンドーモノです。
    
お弁当で思い出したけど、常連さんのTちゃん、彼は弁当は絶対冷たいほうが好きだ、と
宣言しています。

「冷や飯の好きなやつは出世せんって親に言われてたけど、ホンマやったわ~」
なんて彼は言いますけど、そんなコトはありません。男気と人望の厚さ、情熱はピカイチです。

ワタクシも実は弁当は冷たくても平気です。(私の出世しないってのは当たってますけど)
コンビニで「お弁当、温めますか?」って聞かれるけど、いつもそのまま食べています。

前にも言いましたけど、巻き寿司などは冷蔵庫で冷やしてやや固めになったのがいいんです。
それをTちゃんに言ったら「それはない!」と一言で却下されてしまった・・・・。

まぁ、好みはそれぞれだし、だから面白いんですけどネ。

牛肉のしぐれ煮も、実はワタクシ、固めが好みなんです。肉が固いのではなく、固めに煮た
のです。ひと口噛むとやや固く感じるけど、噛んでいるうちに肉のうま味が増してきます。

市販されているのは、柔らかく煮たタイプがほとんどです。時間をかけて煮込んだほうが
日持ちもするし、手間がかかって上等に思えるのかも知れませんね。

でも、余り柔らかすぎると肉本来の味がドコいったか分からなくなってしまう、と思うのは
ワタクシの「貧乏舌」のせいなのかも?

松阪 まるよし↓
http://www.maruyosi.tv/

鷹ヶ峰散策。

2010年12月08日 08時58分14秒 | 京都非観光迷所案内
この鷹ヶ峰という地は、京都市内に住んでいる人間にとってはあまり縁のない土地です。
市内ではあるけど、北の果てという感があって特別な用事でもない限り足を向けることは
まずないでしょう。私も一度だけ忘年会で訪れたくらいです。なぜか一泊したっけ。

一応観光地ではあるんですよ。私にとっては観光地というより、「光悦村」のイメージが
あって、いつかは訪ねてみようとは思っていたんですけど、機会がありませんでした。

もう、秋というより初冬、紅葉も終盤近くなったから、一度は散策しておこうと、出かけた
ワケであります。
      
まずは「源光庵」、禅宗のお寺です。ここでも伏見城の「血天井」が使用されているのです
が、興味がないもんで、庭だけ拝観させてもらいました。
   
他にも「悟りの窓」と「迷いの窓」も見学できますが、迷いっぱなしのワタクシには無縁です。

夫婦椿。↓
  

ここから光悦寺へ。この光悦村は元和元年、家康から東西二百間、南北七町の土地を光悦が
拝領して、一時は茶人や芸術家たちが大勢住まう村でした。

この光悦寺も明治の廃仏毀釈で荒廃していたのを明治40年ころに前田日延という人が再建さ
れたそうです。本阿弥と前田家は深い関わりがあるけど、もしかしたら日延さんは前田家の
末裔だったのだろうか?(関係ないかも知れませんケド)
       
鷹ヶ峰三山が借景となっています。この鷹ヶ峰、花札の坊主の絵柄の元だそうですョ。↓
       
萱葺きの鐘つき堂。現役で近辺に時刻を知らせています。だから勝手に撞いてはイケマセン。
       
本阿弥光悦は亡くなったときには、飯炊き一人と小者一人だけを使うだけの簡素な暮らしぶり
だったそうです。前田家から依頼を受けていた茶入れを見つけたときは自分の家を黄金十枚
で売り払い献上したけど、前田家からの謝礼は一切受け取らなかったといわれています。
  
そんな本阿弥家の墓標。ひそやかな佇まいです。

常にわが身を軽くもち、家も粗末で小さいのを好んだ光悦さんの人柄をしのばせるような
お寺です。

光悦寺といえば忘れてはいけない光悦垣。着物の意匠にもよく使用されています。

私の好きな逸話なんですけどね。左京区の詩仙堂に暮らした丈山は夕暮れ時に庭前に枯れ草
を集めて焚き火をしたそうです。その煙は「光悦さん、ご機嫌はいかがですか」という挨拶。

その煙を見た光悦はただちに火を焚かせて「おおきに、静かにお休みやす」という返事を
送り返したとか。

実は丈山は隠棲したふりをしていたが、幕府の隠れ目付けで、市内を監視していて、鷹ヶ峰
に向かって今日は平穏無事のメッセージを送っていたんだ、という説もありますけどね。

光悦宅の近くに住んでいた「茶屋辻家」も幕府御用達の隠密商人だったという話もあります。
でも、ここはやはり「ご挨拶説」をとりたいトコです、ワタクシ的には。

ナンだか今回は迷所案内らしからぬ、観光案内になってしまったけど、タマにゃいいやね。
            

久しぶりの「むら木」

2010年12月07日 10時33分57秒 | グルメなのか?
日曜に足利市から帰京。京都着は夜の11時半でした。普通ならそのまま帰宅するところです
けど、この日は知り合いの結婚披露パーティ、相方は店を閉めて一次会から参加。

「3次会をウチの近所でやってるから、オイデ」とのメール。今回結婚した二人には世話に
なってるし、というか新郎は高校時代からの友人だし、顔を出さないワケにはいくまい。

新郎新婦とも当然初婚ではありません。これは別に珍しいことではないんですけど、今回の
パーティの司会者はなんと新婦の前夫!?。なんだかワケわかんないけど、まぁ二人らしい
といえばらしいか。郡上からの懐かしい顔もまだ残っていて、店は郡上のスナック状態でした。

それはともかく。一月ほど休み無しのうえに、足利市の催事も済ませた我が肉体、小さな
悲鳴をあげております。(大きな悲鳴が聞こえた日にゃ三途の川を渡っているぞ)

そこで昨日の月曜は久々に休養日とさせてもらいました。で、昼食も久しぶりにちゃんとした
「蕎麦」でも、ってことで西大路高辻西入る「むら木」さんへ。

(ちゃんとした蕎麦ってのも変ですけどね。私にとっては立ち食い蕎麦でもちゃんとした蕎麦だし)

このお店は以前紹介しています。(いつだったか忘れたけど)2時前に入店したから目的の
「お昼のサービス定食」は終了していました、残念!

そこでワタクシは天麩羅蕎麦を注文。相方はザル蕎麦定食。天蕎麦は種と蕎麦は別にされています。

この定食はナカナカのもんです。一品一品丁寧に調理されています。(ご飯はチリメン山椒かけ)

このお店の蕎麦は細めだから、どちらかといえば冷たいのがいいんですけど、昨日はなんと
なく温かい出汁が飲みたかったんです。(薄口で上品な出汁です。)

このあと、せっかくだし晩秋の京都の秋を鑑賞しようと鷹ヶ峰へ。今回はここで時間切れと
なってしまいました。今日からまたランチも再開します。


されど足利。

2010年12月06日 21時56分39秒 | 旅ゆけば
もう京都に帰っていることだし、今さら足利でもないんですけどね。足利市はかつて養蚕や
織物で繁栄した街です。路地にたたずむ建物たちも往時をしのばせているんですね。

               これは繁栄とは関係ないけど、織姫カラクリ時計。↓
 
↑なんと瓦屋根葺きのパチンコ屋。当然?営業はされていません。

       
↑店で使いたいグラスもあったけど、持ち帰るのが大変だし、今回は断念。

織姫神社。時間があったら参拝したかったんですけど。歴史は古いけど拝殿は近年修復されたそうです。↓
 
↑「路地と廃屋」のカテゴリーに登録したい物件。蔦が大木化しつつあります。

↓まず、この窓枠をリフォームしなさい!かなり赤サビがきてます。
      
街中には多くの土蔵が残されています。これなんかは土蔵本来の使用法、質屋の土蔵↑
↓こちらは居酒屋に再利用。 中華料理屋には見えない中華屋。ワタクシ好みのファサードです。↓
 

歴史のある街にもいろんな表情があります。街が興った時代や、成長の過程によって様々
なんですけど、また、その街が衰退していく退化のスピードにも差異があります。

イッキに工業化が進み、そして急激にゴーストタウン化した街もあれば、静かに風化していく
街も。この足利市駅周辺は後者にあたるようです。こんなコトいうと叱られるかも知れない
けど、私にはそう感じられましたね。好きな街がまた一つ増えました、今回の足利旅行?

さらば足利。

2010年12月05日 07時52分51秒 | 旅ゆけば
この「さらば○○」ってフレーズ、今までに何度使ったろう?最近は減りましたけどね。

三泊四日の足利滞在も本日で終了、何事もなければ今日中に京都へ戻ります。(何事かあった
ら困るんですけどね)。出張先は自分では選べないから、行き先がどんな街なのか到着する
までほとんど分かりません。(下調べもほとんどしないし)

基本的に会場(店)とホテルの往復だけですからね。でも気に入った街だと爺化したワタクシ、
早寝早起きという得意技があるから、早朝の散策にさ迷い出ることもママあります。

この足利市、メインストリートを外れると、懐かしい昭和に出会えて、いとウレシ。

営業をしているのかどうか分からない判子屋さんで朝刊を読んでるおじさん。もしかしたら
何十年もこのままの状態で新聞を読み続けていたのではナカロか?と錯覚してしまう。↓
 
↑これは銭湯。ホテルから近ければタオル一本もって入湯したい・・・。

昭和の最大といっても良い娯楽場の映画映画館。このまま取り壊さず保存を切に願いたい。
 
この逆立ちした人形にはどのような絵が描かれていたんだろう?↑

これ以外にも撮影した風景というか建物はあるんですけど、他人が見たらドコが面白いの?
って言われそうなのばかりだし、一応これくらいにしときます・・・・。
 

 

 

さて、スーツケースに荷物を詰め込んで一仕事終えたら京都に帰るぞ。

晩秋の足利。

2010年12月04日 21時37分06秒 | 旅ゆけば
今朝の続きです。体調や日程によってホテル近辺の散策は一切無し、という土地もあります。

それより大きな理由は、私にとって魅力のない街は歩いてもしょうがない。それは観光名所
があるなしに関わらず、自分の足で迷走するに値するかどうか、というマコトに身勝手な理由です。

その意味ではこの足利市は、マサシク私好みの街です。歴史のある街だけど、中途半端に
寂れている、なんていうと足利市民に叱られるか・・・・。
 
路地、廃屋マニアのワタクシ、仕事が無ければ一日中カメラ片手にさ迷っていたいトコですが
とりあえず、寂れていない「ばん阿寺」の風景をば。
 
さすがに足利家ゆかりの寺だけあって、そこはかとなく武家の佇まいを匂わすお寺です。
 
京都や奈良の寺と違って、仏教の寺なんだけど、抹香臭くない。(ちょっと変な表現ですけど)
 
このアッケラカンとした開放感、こんな寺もワタクシ、大好きであります。
 
お参りに来ていたオバサンと朝の挨拶をかわし、ドコから来たのか、と問われて京都と答え
たらびっくりしてはりました。そりゃそうだわナ。

晩秋の「ばん阿寺」、もう来ることはないかもしれないけど、印象深い寺の一つとなりました。


早朝の足利散歩。

2010年12月04日 08時28分59秒 | 旅ゆけば
昨夜も早飲み、早寝。したがって今朝は当然早起き。(夜中に怪しげな夢もみなかったし)

6時に一階の大浴場(と、いうほど大きくはないけど)で一風呂浴びて、7時前には朝食を
済ませたもんね。なぁんて健康的というか、爺様的な朝なんでしょ。そして爺様は散歩へ。

昨日の朝とはうって変わって天気は上々、さほど寒くもなく、散策にはうってつけの朝です。

まずはホテル前の道路を挟んだ足利学校へ。日本最古の学校といわれておりますが、京都の
種智院も最古の学校と言われてます。まぁどっちでもいいやね。

当然、この時間帯ですから開園されておりません。開園時間だったとしても、はたして入館料
を払って見学していたかはわかりませんけどね。(建物は復元されたものです)

とりあえず、外からざっと景観を見とけばいいでしょう。ってことで足利学校見学終了。

この後、「ばん阿寺」まで足を伸ばす(と、いってもほとんど隣なんですけど)のですが、
今回はここまでで時間がきてしまった。なんせお仕事できてますからね。

ちょっとだけ言わせてもらうと、この近辺、ワタクシ大変気に入ってしまった。とても朝の
短い時間では紹介しきれません・・・・。

と、いいましても私のお気に入りですから、こんなのがほとんどですけど・・・。↓
          

マヨネーズで歯を磨く(夢)

2010年12月03日 07時44分01秒 | 旅ゆけば
寝床が変わったからか、気圧の変化のためか昨夜は夜中に目が覚めてしまった・・・。

そんなときはナゼかおかしな夢をみているんですよね。一つは食堂で歯を磨いているんで
すけど、親戚のオバサンが私を見て、うわぁ~つて顔するんです。

で、自分の手をみたら歯磨き粉じゃなくて、持っているのはマヨネーズのチューブ・・。

ま、同じようなモン(絶対違うけど)だし、いいかぁ、と歯を磨きだしたトコで気持ち悪く
なって目が覚めてしまった。

朝方みたのはサルの夢。小指の爪より小さなニホンザルを飼っているんですけど、その
飼育場所はバスルーム。浴槽でうつぶせになってプカプカ浮いている。

あ、イカン、サルは水生動物じゃなかった!と、気付いて慌てて掬い上げたら、どうにか
甦生したから良かったけど。夢とはいえ朝からサルを殺してしまったら寝覚めが悪いやね。

今日の関東地方は朝は大雨、昼は10月並に気温が上昇、そして夜は冷え込むそうです。
そんな急激な気温の変化を予測して、脳がオカシナ夢をみせたんだろうか?

まぁ、関東に住んでいる人が皆、マヨネーズで歯を磨く夢をみていたとは思えませんけど。

夜中から降り続く雨のため、朝の足利学校見学は順延。(今ようやくあがりそうな感じです。)

夜明け前、雨の足利市の風景と髭剃り。(なんの関係もないけど)コレってこの前泊まった
ホテルでも貰いました。買うとけっこう高いんですよね。でも替え刃はついていません。

この「替え刃」がホントは高いんです、実は。でもシックも考えたよなぁ。正に損して得とれ
です。大きな企業も生き残りをかけて大変です。ウチはもっと大変だけど・・・。

足利に来たどぉ~!

2010年12月02日 20時01分34秒 | 旅ゆけば
本年度最後の旅行、いや違った催事は群馬県の足利市。群馬県は何度か来てるけど、足利は
初めてです。京都発7時42分の新幹線に乗車して品川駅で下車。それから山手線、地下鉄浅草
線と乗り継いで東武線「りょうもう11号」に乗車。乗り継ぎに許された時間はそれぞれ約10分。

これは京都の田舎モンにはかなりハードですよ。しかもスーツケースゴロゴロ引っ張ってるし。

東武線なんか、ようやく二階の改札口に着いたと思ったら、切符は一階で買ってくれなんて
言われて、そんな時間ないわい!っていったら後精算の切符をくれたけど、あれはイカンね。

がら空きのりょうもう11号。何年ぶりだろ、この電車に乗車したのは。

ところで品川に到着して降りようとしてたら学生時代の後輩にばったり遭遇。彼女は渋谷で
作品展のためやって来た(京都人は上京とは言わない)らしいけど、お互いびっくらこきましたネ。

踏み切りに誰か立ち入ったとかで5分ばかり遅れたけど、まぁなんとか足利市駅に到着。
依頼書に駅近辺はなにも食べる所が無いのでタクシーで会場までお越しくださいって書いて
あったけど、ホンマ駅周辺はなぁんも無し。

天気も良いし、時間も余裕があったから、散歩気分で渡瀬川を渡る。でも森高千里の歌は
歌わない。

路地マニアのワタクシとしてはこんな食堂で昼食をとりたいトコだけど、若干不安な気も
したから、依頼書に書かれていた会場の一階で食事を済ませてセッティング&作品説明。

店の人が車で送ってくれるって言ったけど、スーパーに寄りたかったもんで、買い物をして
10分ばかりぶらり歩きしてホテルにチェックイン。今回のホテルは天然温泉があるぞ!


サテ、一風呂浴びて早寝して、明日の朝は足利学校跡でも見学しますか、ホテルの前だし。