河原町今出川の西南角の「了徳寺」(正確には跡)
河原町通り側の門はブルーシートが掛けられて今にも崩れそうなんですが、
なぜか長いあいだ放置されたまま・・・。
これだけの面積、荒れるがままにされているのも不思議なんですけど、道ゆく
人たちは気にもかけず、まるでそこに廃屋があることを見て見ぬふりをするように
通り過ぎて行きます。
まるでその寺の存在を知ることすら禁忌とされているように・・。
そういう私もカメラを向けたのは初めてなんですけどね。
廃屋の規模としては、京都市内最大の面積、個人の所有地でないために、手が
つけられないのでしょうか?
鳴滝の「了徳寺」は大根炊きで有名ですが、あの寺となんらかの関係があるのか、
謎多き寺跡ですが、なにしろ資料が少ないもんで・・・・。
そのうちボチボチ調べてみるとしよう。
河原町通り側の門はブルーシートが掛けられて今にも崩れそうなんですが、
なぜか長いあいだ放置されたまま・・・。
これだけの面積、荒れるがままにされているのも不思議なんですけど、道ゆく
人たちは気にもかけず、まるでそこに廃屋があることを見て見ぬふりをするように
通り過ぎて行きます。
まるでその寺の存在を知ることすら禁忌とされているように・・。
そういう私もカメラを向けたのは初めてなんですけどね。
廃屋の規模としては、京都市内最大の面積、個人の所有地でないために、手が
つけられないのでしょうか?
鳴滝の「了徳寺」は大根炊きで有名ですが、あの寺となんらかの関係があるのか、
謎多き寺跡ですが、なにしろ資料が少ないもんで・・・・。
そのうちボチボチ調べてみるとしよう。
特にこの出町の了徳寺!私も以前から気になっていました。
いろいろと調べましたが、なかなか真相がはっきりしませんね~。以前2ちゃんねるで、ここの売買に絡む詐欺事件があったと書き込んであったような気がしますが、そのスレは後日いくら探しても見つかりませんでした。
その後、入江敦彦さんの著書(この方の本も読んでおられるのですね!)にも紹介されていましたが真相は未だわからず。
私も一度おそるおそる近付いてみましたら、例のブルーシートの門の南側の道を東に入ったところに勝手口があり、入口脇に小さな木札で「了徳寺の自然と建物を守る会」と掛けてあったのが今も気になっています。
はたしてそんな会が活動しているのか・・・
また、これは上とは関係ない話ですが、yousaiさんのブログを私のブックマークに登録させて頂いてもよろしいでしょうか?
ブックマーク、喜んでどうぞ!
asashio82さんも恐らく同年代なんでしょうね。
住んでいる街の歴史などに興味をもつように
なるのは、やはり今くらいの年にならないと
無理なのかもしれませんね。
そうそう、衛生掃除の話で忘れてたけど、
時々畳の間から10円玉が出てきて、思わぬ
お小使いに恵まれた記憶もありました。(笑)
以前、調べてみたところ、今は了徳寺ですがもともとは伏見宮邸です。江戸時代からあったようで、大正御大典の写真集にもあの門や建物が伏見宮邸として掲載されています。
しかし昭和の御大典では民間人邸となって李王家の宿舎になったようです。
その後どういう経緯で寺になったかは不明です。
由緒ある建物なので保存してほしいものです。
伏見宮なら、門にうたれた家紋は裏菊に
なっているのかも知れませんね。
そこまで観察していなかったので、次に
立ち寄った折にでも調べてみたいと思います。
でもあれだけ長く放置されてしまったら、
再建は難しいでしょうね。
貴重な情報、ありがとうございました。
門の瓦の家紋なんかは外されたり取り換えられたりしてますね。建物内の建築金物には残っているようですが・・
あ、それと廃屋に見えますが住んでるというか管理してるような人は一応います。かなりの建物数なんで住めるところもあるようです。
大きな池の上に立派な廊下橋が架かっていたり洋館や和館が雁行していてもったいない~
最近通った時には樹木がかなり整理され業者の車が止まっていたのでなんらかの動きがあるのかもです!
しかしあの場所で生活している人がいるとは
驚きです。出町商店街にも近いし、便利だろう
けど、私には無理かも知れません。
再建されたらぜひ公開してほしい建造物ですね。
突然失礼します。まきこと申します。
阪神間在住ですが京都は学生時代をすごしましたこともありある程度知っています。ひさしぶりにたまたま前をとおりかかりこの巨大な廃屋に気付きそのおどろおどろしい雰囲気にひかれて調べ、こちらのサイトに出会いました。了徳寺についていろいろわかりありがとうございました。出町は昔学生時代にしばらく住んでいたこともあり古巣です、この地にお寺があったことはミスタードーナツ側の河原町通りに入口があったので知っていますが中がこんなだとは知りませんでした、でも当時からカラスがたくさん舞っていて入口は荒れ放題でひとがいるのかいないのか、薄気味の悪い寺だなあとは思っていましたが。
加茂川べりという一等地でいまは地下鉄も近く地のりもいいのでマンションに最適地だと思いますがいろいろあって、あのままなのですね、私としては残してほしい遺跡?です。
「くうしん」(知り合いがやってました)や
「かんから」によく飲みに行きましたが、南に
越してからちょっと縁遠くなってしまいましたが。
あの寺はまた機会があればもう少し調べてみたい
物件です。
また市中の不思議スポットがあれば紹介して
いきたいと思っております。
他の了徳寺が手を差し伸べるとかないのですかね?
今の土地の管理者は?和や洋風建築があるようですが、建築年代は?設計者は?施工者は?
どのような経緯で宮家の土地に了徳寺が入ったのか?
気になりますね。
この先どうなるんですかね。今は東京に住んでますが、今度京都に遊びに行く予定なので、ぜひ見に行きたいです。
か、皇室にも関係のある寺だから、たやすく手
が付けられないのか?その辺りが不透明ですね。
マスメディアもとりあげないって事は触れては
いけないタブーがあるのかも?
気になる廃寺です・・・。