秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

今年も後わずかやねぇ。

2009年12月31日 21時55分00秒 | Weblog
とうとう31日まで営業してしまった…。

相方は着物で接客。

しめてる帯は「おはなはん」の帯。

「おはなはん」と言われても、ほとんどの
人は知らんわなァ。

かくゆうワタクシも知らなかった…。

NHKの朝ドラで放映されていたのは知って
ましたけど、ヒロインがしめていた帯の柄が
当時大流行したそうです。

そんな時代もあったんですね。

ブログも「鶏ちゃん」も今年いっぱいで
終了するつもりだったけど、
もうチビっとだけ継続すっか…。

復活!するかも?

2009年12月30日 13時51分44秒 | Weblog
しばらく日本を離れてていたもんでブログの
更新ができませんでした。(今年の嘘のつき納め)

今日は「鶏ちゃん」の常連さんのT社長の
毎年恒例の餅つきに
お邪魔しとります。

「鶏ちゃん」から撤退する予定だったけど、
只今話が二転三転中。詳しくはここではお話
出来ませんが、続投かどうか考え中…。

車塚古墳

2009年12月25日 15時52分16秒 | 京都非観光迷所案内
地理的にいいますと、京都市内ではなく、郊外の向日市に位置するんですけどね。
まぁ、大まかに京都府下というくくりで「迷所案内」でご紹介。


この古墳には少し思い出がありまして・・・。

なにを隠そう(別に隠す必要も無いんですけど)、ワタクシ中学時代は「考古学部」
にも在籍いたしておりました。(他にも1,2在部していました。)

中学生時代といえば思春期の真っ只中、クラスメイトは異性やアイドル歌手の話題
でもちきりでしたが、私の興味はとお~い昔、古墳時代にありました。

ですから、アイドルの名を聞いても無反応だったけど、「ハニワ」、とか「前方後円墳」
という言葉を聞いただけで、「ぜ、ぜんぽーこーえんふん?どこ、どこの後円墳?」
などとエキサイトしていた次第であります。

そんなクラブの活動で、この「車塚古墳」も訪れていたんですね。

同時はこんなに奇麗に整備されておらず、物集街道の脇に切り取られた丘のような
雰囲気で残されていました。


引率の教師とその丘(古墳ですけど)に登り、話を聞いたのですが、記憶に残って
いるのは、その教師の子供時代は辺り一帯田園地帯で、そこで鞍馬天狗の撮影が
あって、「馬にまたがったアラカンがコッチからアッチに走り抜けていきよった
んや」という話だけ・・・・。

ま、もっと学術的な事を憶えているようなら、今頃別の人生を歩んでいますわナ。




場所など詳しいお話はコチラ↓
http://www.kyoto-wel.com/mailmag/ms0403/mm.htm

南瓜と柚子湯

2009年12月24日 13時27分48秒 | Weblog
冬至に柚子湯に入って南瓜を食べる、こんな風習を知っている人もだんだん少なく
なってきました。(ウチも知ってはいても実行となると、?ですけどね)

昨日、店の近くの銭湯へ行ったら袋入りの柚子がプカプカと浮かんでおりました。
(本当は前日が冬至なんですけど、その日はお休みでしたから。)

番台で料金を支払ったら、「どうぞ、よかったら持って帰ってね」と柚子を一つ
いただきました。

それが本日我が家の風呂に浮かんでおります。(金魚は撮影用、いつもコレで遊んで
いるわけではアリマセン。柚子一個では絵になりにくいもんですから・・・。)

お店で「お通し」に南瓜を出して、「冬至に南瓜を食べるのは風邪よけや中風よけ
なんですよ」って言ったら、「中風ってナニ?」と訊ねられてズッコケましたネ。

そうか、中風って死語なんだ。

中風という言葉や呪い(南瓜はビタミン補給の意味があるから呪いではないけど)
もどんどん忘れ去られていくんでしょうナ。

医療の発達していなかったイニシエには、風邪なども悪霊のせいにされていたから
、悪霊に対抗するには呪いも重要な対処療法だったのです。

今年のインフルエンザなど、道真公レベルの鬼神として恐れられたと思いますョ。

応天の変で憤死した伴善男は悪霊となって京の都をさ迷い、出会った人に、

「この都をワシの恨みで滅ぼしたろと思たけど、在官中は宮廷に世話になったこと
もあるし、風邪を流行らすくらいでカンベンしといたるねん」と語ったとか。

セコイというか、リチギというか・・・・。

一説では善男は大納言止まりだったから怨霊になれず「咳の神」にしか成れなかった
という説もありますが、怨霊になるのも官職が必要とは・・・。

現在の大臣で怨霊の資格?を持っている政治家ってダレだろ?ちょっとツブが
小さすぎるか。妖怪みたいなヒトならいますけどネ。

海老カレー丼「つるめん」

2009年12月22日 18時20分54秒 | グルメなのか?
桂との縁も後少し(の予定)

そこで以前から気になっていたウドン屋

で遅めの昼食をとる事にしました、本日。

開店してまだ間がないお店ですが、
昼の営業が2時半までだから、私たちの
生活サイクルでは入店が困難でした。

今日も2時過ぎに滑り込み…。

この海老カレー丼セットは相方が注文。

ワタクシは釜揚げ風ウドン(正式な名前は失念)

釜揚げ風ウドンの出汁は醤油の勝った関東味。
(もしかしたら讃岐味かも知れないけど)

ウドンは細めで口あたりは柔らかいけど、
しっかりコシはありました。

それ程ウドン喰いでは無いからエラソ~な事
は言えないけど、ワタクシ個人の感想としては大変
好もしいウドンでございました。

相方の海老カレーも味見したけど、カレーは
さほど辛くなくて、優しくて懐かしい味。

油揚げや竹輪が和風感を醸し出しております。

セットで付いる小ウドンの汁は辛目ではなかった
から、つけ汁だけがやや辛目なのかも知れませんね。

値段も良心的だし、味も良いから、
長く続きそうなお店です。

場所は阪急桂駅東口を東へ、一筋目の角。

その筋を右に入ると「鶏ちゃん」です。
(今さらもうエエか…)

今年も店も残す所アト10日です。

「つるめん」さんの仔細は↓
http://30min.jp/place/440838

蜜柑と駅伝。

2009年12月20日 13時40分04秒 | おもろい関西人。
タスキを付けた人たちが京都市内を走り抜ける季節になりました。
これも京の冬の風物詩の一つになってきましたねぇ。

以前、女子駅伝を見ていた知り合いが、「オレ、一度でええから、あの太ももの
群れの中に身を投げ出してみたい・・・・」、とボソリと言ったことがあったっけ。

私が言ったんじゃナイですョ。(それを言ったのは某、老舗茶屋の店主です。)

もう一つ、冬と言えば「蜜柑」。

今目覚めにいただいてるのは有田の「新堂みかん」。甘い!

私の場合、冬になると必ず枕元に蜜柑を用意しております。

これは催事で地方に出かけた折にAD(着付け師)の人に蜜柑を一個貰って、何気
無く、テーブルの上に置いて、目覚めに口にして以来の習慣になりました。

それまでは、目覚めは冷たいウーロン茶、その後、煙草をイップクがパターン
だったんですけど、近頃では煙草の前に「蜜柑」です。

本当は早生の酸っぱいのが体には良いのかも知れませんが、果物に関しては私、
「おこちゃま口」でありまして・・・。

ああ、「冬と言ったら、テッチリかカニに決まってますがな」なんて言える生活
に来年はなりたいもんダ・・・・・。

ワタクシたちの「鶏ちゃん」、カウントダウンまであと、11日。(くどいけど、
店は無くなりませんよ~。)

「鶏ちゃん」カウントダウン。

2009年12月19日 09時21分05秒 | Weblog
突然ですが、「鶏ちゃん」からのお知らせ。

ワタクシと相方は12月いっぱいで「鶏ちゃん」から撤退いたします。
(お店はそのまま継続しますョ)

ワケは色々ありますが、まぁここでその話は止しましょう。

私たちが身を引く、と聞いた常連さんたちも名残を惜しむように頻繁に来店
してくださり、有難いことです。

今日は大学時代の仲間が数人集まってくれる予定です。

店は大晦日まで無休で頑張ってますから、まだ「鶏ちゃん」に来たことが無いヒト
はゼヒ御来店くださいまし!

牛丼の思い出。

2009年12月18日 16時01分09秒 | おもろい関西人。
とうとう牛丼も200円台になってしまったか・・・。どこまで続くデフレスパイラル。

それはさておき、牛丼で思い出すのは学生時代。まだ京都に「吉野家」ができて
なかった時代の話です。(エライ昔の話ですなぁ。)

神戸で単発のバイト(交通流動調査。ときどき道路の隅で椅子に座ってカシャカシャ
やってますよね。)があって友人三人と出かけて、初めて「吉野家」で食べた牛丼。

美味かった・・・。それまでウドン屋などで牛肉丼は食べたことはあったけど、
まったく違ったシロモノでした。(ソレはソレで美味いんですけどね。)

こんな美味いモンを神戸の人はいつでも食えるんダ、と羨ましく思ったっけ。
まぁ、その後すぐに京都でも出店しましたが。

もう一つの思い出は京都にもアチコチ「吉野家」ができだした頃の話。

当時住んでいた左京区の店でのこと。時刻は夜中の12時を過ぎた頃だったと思います。

カウンターで牛丼をかきこんでいたら、チンピラとその兄貴分みたいな二人連れ
がやってきました。

そのチンピラは「アニキ、また肉少ないてゆう(言う)たりましょか?」

兄貴分「もうヤメといたれ」

昔はこんな絵に描いたようなチンピラがいたんですなぁ・・・・。
今なら特盛りもあるから、こんな会話も成立しないか。


フォークの使い方。

2009年12月17日 16時25分26秒 | グルメなのか?
そういえば長いことちゃんとしたコース料理って食べてませんなぁ。
だいたい披露宴くらいでしかいただく機会がありませんからね。

だから、いつの間にかライスの食べ方が変化していたことに気が付かなかった。

私たちの若い頃はフォークの背にライスを乗っけて食べてる人が多かったけど、近頃
では、それはマナーに反するんですね。

私の場合、周りのヒンシュクも気にせず、「すんません、箸くださ~い!」と言って
フォークはほとんど使いませんでしたケド。

これにはワケがあって、実は金属が苦手なんです私。我慢できないほどでは無い
から、どうしても、って時は使用しますが・・・。

時折街中で缶コーヒーを口に咥えている若者を見かけると、殴りたくなるのを、グッ
と我慢してました、若い頃は。


話がまた迷走してしまいましたナ。


このマナーってのは、いったいダレが考えるんでしょうね。確かそんな協会みたいな
のがあって、たまに教育テレビなどで喋ったはるのを見たことはあるけど。

元から西洋にあった料理はともかく西洋で、正式なコース料理にライスってのは
無かったと思うんですよね。

もしかしたら、協会でいろんな確執があって会長あたりが交代した時に、先代の
風習は一掃しましょう!なんて理由で変化してたりして・・・・・。

あのスープを手前から掬うのはイギリスで、フランスでは逆もありだそうです。

街中を見回しても明らかに「イギリス料理」の店より「フランス料理」の店のほうが
多いし、ホテルのコース料理といえば、ほとんど、と言っていいほどフランス料理。

しかも洋食の作法をつくったのはフランス人らしいのに、日本では作法だけは
イギリス式ってのはどうしてなんでしょうね。

ま、ワタクシなど洋食といえば、たまにファミレスでハンバーグ食べるくらいだし、
どっちでもいいんですけどネ。

↓これは京都のハンバーグ好きには有名な「とくら」のランチハンバーグ。

「とくら」↓
http://gourmet.walkerplus.com/177260343001/