秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

白川と古川町商店街。

2008年03月31日 06時48分37秒 | 京都商店街巡り
http://www.kyoto-town.net/モバゲーのTV.GMにイラつく今日この頃。それが爺化の証拠なら、あのような「あざとい」
CMを許容できる感性が若さなら、爺化も悪くないぞ、なんてね。爺の戯れ言はこれくらいにして。

祇園会館からの帰り道、白川沿いを少し歩いてみました。
東大路通りから一本東の一方通行の狭い道路です。
  
この道は中学のころ、岡崎の美術館へG.アンソール展を観た帰りに偶然発見。
別にバス代を惜しんだんじゃありませんが、がらにもなく感傷的になってたんでしょうか。
  
その後は東大路が渋滞している時、車の抜け道として、利用させてもらってました。
今は川端通りが拡張されたので、そちらを走るようになりましたけどね。
  
「古川町商店街」。この商店街も古いです。この前、商店街を訪れたのは
「なかじん」さんの蕎麦を食べにきたときだから、もう2年ほど前になるかな。

            
惣菜屋さんが増えているのは、一人暮らしのお年寄りが多いせいかも知れません。
パッケージも小さめですし。ポテサラ&オカラの煮つけを購入。

京都の古い商家などでは、オカラを「切らず」、(豆腐は切りますね)、と、いって
食べる日も決まってたりしたけど、今はどうなんでしょう。

昔の時代劇で、居酒屋に入ると必ず「オカラ」を注文する主人公のドラマが
ありました。あれ、もう一度観たいもんだねぇ・・・。

http://domestic.hotel.travel.yahoo.co.jp/special/kyoto/

祇園会館と昭和の味。

2008年03月30日 19時30分13秒 | グルメなのか?
どこからか祇園会館の招待券がやって来たので、久しぶりに映画鑑賞。
学生時代に映研に所属(一応部長だったナ)していた関係で、この映画館には
馴染みがありました。(毎月無料券貰ってましたから。)

↓開場当事(昭和33年)から残されているタイル画。11月の「祇園をどり」の会場でも有名。
  
バブルのころは同じ建物(北側)にマハラジャがありました。その前はジャンボと
いう京都最大のディスコ(なんて安易なネーミング)でしたよ。

まだ上映まで時間があったので、八坂神社の桜の開花を確認に。
まだ三分咲きくらいか 
でも、もう場所取りのシートがはられていました。まだ夜は寒いと思うぞ。
お笑いお化け大会? 
こどもの頃はまだ見世物小屋があって、一度見学したけど、なんだか嫌~な気分
で小屋を出た思い出があります。まだお笑いのほうがイイやね。

食事はどこにしようか、と、考えて以前から気になっていた洋食屋さんへ行ってみる事にしました。
かなり昔から営業されているんだけど、一度も入ったことが無いんですよね。
    
床も椅子も、カウンターのタイルもレトロですなぁ。

何だか懐かしい椅子。

豚カツとカレーの店って書いてあるから、両方いっぺんに味わうにはコレ。
     1000円です。 
通常1200円だけど、お昼のサービスタイムで1000円。ん~祇園だしね。味のほうは
子供のころに食べた、昭和の味ってとこでしょう。なぜかスプーンと一緒に割り箸
が出てきたけど、何に使えばよかったんだろ・・・。

食後に入館。リバイバル2本立てだし、館内はガラ空きかと思いきや、なんと8割
ほどの入り。お客さんの層は圧倒的に60台前後、いわゆる団塊の世代です。

ちょうど昼どきに入ったから、皆さん席で弁当をひろげてはりました。
ナルホド、そういう手もあったか・・・。
         
映画は国分君が落語家を熱演、なかなか良いできでした。しかし、彼の落語を
くってしまったのが、子役の「まんじゅう恐い」。枝雀さんを思いだしましたよ。

もう一本あったけど、こちらはパス。別に見てもよかったけど、イマイチ食指が
動かなかったもので。町並能様(まちなみよきよう)、の気持です。↓
  
上は新門前通り。新、と言っても新門前町ができたのは寛文5年(1665年)。
古道具、というより美術品を商うお店が並んでいます。


                   

なんだコレ→
府立図書館で借りてきた本の間に挟まってました。
どう考えても子供が読む本じゃナイんだけど・・・。
「天狗筆記物語」。私説西陣の歴史ですよ。多分お爺ちゃんが借りだしてお孫さん
が描いたのを栞代わりにしてたんでしょうね。
この後、白川べりをブラブラ歩き、古川商店街を抜けて三条通りへ。
これはまた次の機会にでも。

船岡山

2008年03月29日 07時01分28秒 | 京都非観光迷所案内
山、と、いっても高さは112メートルですから、船岡だけでもいいと思うんですけどね。

平安時代の始めには祭祀の場所だったそうです。清少納言の枕草子にも取り上げ
られていますから、当事の貴族たちはこの岡に遊んだのでしょう。

応仁の乱(1467年~1477年)や、永正の船岡山の戦い(1511年)では武将達の砦
が築かれていました。

  
上は建勲神社。祭祀されているのは織田信長。創建は明治8年。最初は岡の中腹に
建てられ、今の山頂の場所に移転したのは明治43年です。

明治になって、やっと朝廷は信長を祭祀することを許したんですね。
なんとなく、わかる気がします。

私たちの世代は、船岡山、と、聞けば「警察官殺人事件」を思い出します。
あの日、市内を車で走っていると、いたる所で検問が張られ、パトカーが走り
回って、まるでミニ戒厳令のようでしたよ。

警邏中の警官が殺害されただけでも、大変なのに、所持していた拳銃を奪われ
たんです。20年以上経た今でもしっかり記憶に残された事件でした。

それはさておき。
市内のみならず、銭湯好きには有名な「船岡温泉」。中もすごくレトロで風情がありますよ。

実はこの写真は上七軒に行った日に、少し手前(かなりか・・。)で下車して
撮影したものです。だから建勲神社の桜も今日あたりボチボチ咲いているかも。

時間の都合のつく時に、いろいろネタを仕入れてるから、ちょっとタイムラグが
あるけど、ご勘弁。

なんせ、毎日カメラを持ってウロウロするほど暇はない。(そんなに忙しくもナイけど・・。)

上七軒界隈。

2008年03月28日 06時53分45秒 | 着物話
いやな事件が続いてますねぇ・・・。日本は仇討制度を復活さすべきだ!!
なんてアナクロな思いが、ふと脳裏をかすめます。

そんな話はさておき、天満宮からの続きです。

上七軒の名前は室町時代に天満宮修復のさい、残った材木で七軒の家を建てたの
で、「上七軒」、と、呼ばれるようになったとか。

上七軒も花街としての歴史は古く(最古ともいわれます)、公認されたのは寛政2年(1790年)
ですが、営業はもっと以前から行われていました。なにしろ、出雲の阿国が五条大橋から
このあたりに移り、踊っていた、といわれるくらいですからね。北野踊り開催中↓
  
このあたりは西陣の機屋の旦那衆が多く、そのおかげで随分栄えたんでしょうね。
「お召し」は高級の普段着ですが、他の花街ではお座敷着としては着ることは無いけど、
この上七軒だけは例外、と、いうのも西陣ならではです。

ただし、この件に関しては、実際に上七軒のお座敷にあがったことが無いので、
確かめたい人は、スポンサーになってワタクシをお連れください。
      ↓遠くに舞妓さんが見えます。 
           
     今回はこちらのお店「まつひろ」の二階に用がありました。↑

町屋造りの和装小物(がま口)販売の専門店です。もとはお茶屋ですから、
普通の町屋と少し雰囲気が違いますね。
  

                   二階から中庭を見る。↓
           

本当の用事は2階のギャラリーにあったのですが、こちらは他の方が扱う着物だから、
かってに写真をUPできませんので・・・。

今回の主催者は女性で、自分なりに販売方法を模索されている、魅力的な方でした。
ここでその販路を説明することはできませんが、誰でもできるやり方ではなくて、目の付け所が
ユニークで、大変勉強になりました。

大儲けするより、コツコツと着物と自分のファンを増やしていきたい、と語られ
る姿に、少し勇気がいただけました。

三方よし、「売り手よし、買い手よし、世界(制作者も含む)よし」、
なんて言葉は業界では死語となりつつあります。(すでになっているか・・。)

でも、このまま着物の世界を終わらせたくない、と思っている人もおります。

あ、こんなエラソウなこと言ってると、業界から文句がくるって?大丈夫、
このブログを見てくれてる人はごく僅かですから。(威張って言う事ではないけど。)
          
       「まつひろ上七軒」は、北野天満宮と上七軒の間、郵便局が目印。 




吉峰寺その2.

2008年03月27日 07時22分39秒 | Weblog
すいません、一日分のネタでずいぶんひっぱってます。でもこのあたりは観光する
人はそんなに多くないと思いますから、この機会に大原野を巡ってください。
  
桂昌院お手植えの桜ともみじ。数年前に、この桜が満開のシーンをJR東海がCMに使用
して観光客がどっと増えました。私も頼まれて名古屋のお客様を案内したっけ。

  

  
この地蔵堂、空中にあります。高所恐怖症の方は参拝はできないかも。地蔵さんは
300年ほど前の物らしいですが、この堂は以前はなかった気がします。

  
天気の良い日には京都市内はもちろん、淀のほうまで見渡せますよ。

  
  
5月と10月の第二日曜日、8時~3時までだけ入浴できる薬湯場。この山で取れる
↑百草湯で神経痛をはじめ、諸病に特効があるそうです。通風にも効くかな?

  桂昌院像→
犬公方、とよばれた綱吉の生母ですから、膝元に子犬がじゃれ付いてますね。

春は4~5月、秋は10月の土、日、祝~11月~12月第2日曜には桂昌院ゆかり
の品1200点が寺宝館で特別公開されているそうです。

思えば前回この寺を訪ねたときは、まだ両親も元気だったんだよなぁ・・・。


            今日の桜

   駒井邸→
    三分咲きくらいかな。

 銀月アパート→

両方とも京都非観光迷所案内1.で案内した場所です。また今年も春がきたんだ。

昨日の天神さん。

2008年03月26日 06時37分56秒 | Weblog
北野天満宮については、説明するまでもないので、昨日の賑わいを写真でご覧いた
だくだけでよろしいか、と。(また今度ゆっくりお話する機会があると思います。)
一つだけ薀蓄たれると、天満宮、といえば菅原道真公を祭るため創建された、と
思われがちですが、公が天神として祀られたのは天暦年間(947~957)で、
それ以前は雷雨神(農耕神)が祀られていました。
  
     天満宮、といえば梅。まだ咲いている木がありました。↑

   
↑そして長五郎餅。え、知らない?と、いう私も一度も食べたコトありませんけど有名です。

  
この牛をサスサスした手で、体の悪い部分を撫でると効果があるそうです。
今更頭撫でても手遅れの気がします、私の場合・・。

幕末のころ、長州藩の血の気が多いヤカラが天満宮の使いの牛を、縄をかけて
引き倒そうとして、見回りにきた会津藩士たちと乱闘になったそうです。

この牛かどうかは知りませんが、昔も今も無茶するやつはいるもんだ。

←こんなでかい蒟蒻どう料理するんだ。

古着のいいのも少なくなったナ。

骨董市のコーナー→
骨董市では、昔、少し高い商品を扱う店では、若い人が触れたりすると、
「買う気が無いんなら、触らなんといて」なんて小生意気なコト言う店も
ありました。見せる気が無いんなら、店のショーケースに仕舞っておけよ!
と、その話を聞いたときは思ったもんだ。今はそんな店は無い(はず)と思うけど。

あの頃随分ガラクタ買ったよなぁ。

昨日はついでに覘いただけだから、何も買わずに帰ってきました。
明日は中抜けになったけど、吉峰寺の後半です。え、もうイイ?そんなイケズゆわんと
紹介させとくれとくれやす~。


今日は天神さん。

2008年03月25日 19時09分20秒 | 旅ゆけば
上七軒に用事があったもんで、ついでに天満宮をのぞいてきました。
平日、というのに、この人だかり・・・・。
  
25日にこのあたりを通過することはあっても、わざわざガレージを探してまで
見物することは無いから、数年ぶりですな。

京都の人なら皆知っているけど、21日の弘法さんが晴れだと、25日の天神さん
は雨が多い。だけど、今月はどちらも良い天気に恵まれたようです。

今日の詳しい話はまた後日、とりえず、鮮度の高い情報をば提供しなければ・・。
(そのわりには一箇所のネタで一週間ほどひっぱってますケド・・・・。)

吉峰寺はパノラマ寺。

2008年03月25日 06時36分38秒 | 旅ゆけば
このお寺も久しぶり。すこし手前の有名俳優さんの豪邸。今でもここで暮らしている
のかは不明ですが。大きなカジキで誰かはわかりますよね。近くで釣堀も経営して
↓いたほどの釣り好きです。
  

もう少しすると、このあたりには朝掘りの筍が並びます。地物は桜が咲いてから。
                   

  
アップダウンの多い寺です。ゆっくり見学すると1時間ほど要します。
ガレージは登り口(無料)にもありますが、上の駐車場は有料。(500円)
  
以前来た時はこんな建物は無かったし、上のガレージも無料だったぞ!↑

開山は平安中期、長元2年です。やはりこの寺も応仁の乱で一度消失しています。
その後江戸時代に桂昌院によって復旧されたそうです。
  
観音堂から山門を望む。拝観料は500円。拝観時間は8~17時。マイカー以外
はJR向日町駅か、阪急東向日駅から阪急バス、長岡天神からタクシーで。

  
↑遊龍の松。樹齢600年の五葉松。元は54メートルあったのが松食い虫のため、
平成6年に15メートルあまりにカットされました。天然記念物。
後半に続く・・・・。

大原野神社。

2008年03月24日 08時04分15秒 | 旅ゆけば
この神社も相当古くて立派な社なんですが、やはり交通の便の悪さから、あまり
大勢の観光客は訪れないでしょうね。迷所案内にしてもいいけど、文徳天皇が造営
された由緒のある神社ですから、迷所にしてしまっては恐れ多い・・・。
  
やはり、春日大社を分霊してますから、神の使いは鹿です。

  
樅の木。昔はこの木の実を潰して衣料を染めたので別名「べべの木」ともいわれました。↑

       頭に乗っかってるのはカタツムリや、う○ちではありません。↓
  

↓瀬和井(せがい)。清和天皇産湯の清水とも伝えられています。
  
脇道の竹やぶは若干荒れ気味。枯れた竹が風に振られてガラガラいって少し怖かったぞ。↑

  
↑相当古いものですね。片手がモゲて痛ましい・・・。

  
ずっと昔は本当の鹿が飼われてた気がするんですが、なんせ随分以前の記憶だしなぁ。

神社の近くには「花の寺」もあります。茅葺の寺って珍しいですよね。
            

ここから3キロほど山中を行けば金蔵寺、というお寺もあるんですが、今回は時間
が無い(吉峰寺へまわる予定)ので今回は見送り。あすは吉峰寺です。



十輪寺後編。

2008年03月23日 18時54分29秒 | 旅ゆけば
大原や 小塩(おしお)の山も けふこそは 神代のことも 思い出づらめ

寺内には業平にちなんで、和歌を詠んだ色紙や短冊が多くみられます。
なぜか羽子板も見かけましたが、関連は不明。

↓蝋梅。本当に蝋で造られたような手触りです。
  
なんと、樹齢800年の樟!地蔵菩薩の神力で一夜で大木になったとか・・?↑

  
上の2枚は本当は写真撮影禁止なんだけど、我慢できずに撮ってしまった・・・。すいません。
ちょっと奇怪な瓦です。魔よけの意味なんでしょうが、あまり見たことないです。
(もっともアチコチの屋根を見て回っているわけではありませんが。)

  
この廊下がいいんです。右の柱に人形の浮遊霊が見えますね。嘘、募金箱です。↑
  
本堂と御殿を結ぶ高廊下ですが、その屋根にかかる桜の樹(樹齢約200年)を
守るため、樹医にかかる費用を募金されています。モチロン募金しましたよ。

  
この桜が咲いたら見事でしょうねぇ。いくら募金したって?ようは心です。心。↑

     三方普感の庭→
高廊下、茶室、御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる庭。
縁側に寝そべり、肘枕で見ると良い、と書かれていたのでローアングルで撮影。
少し傾斜があるんですね。

正四位上まで登りつめた業平が、この鄙びた村で晩年を過ごした、という事を不遇
とみるか、静かに詩作に耽ることができ、幸せだったと思うのか、それは本人に
聞いてみないとわかりませんね。

吉峰寺は最近観光客も増えたようですが、その途中にある十輪寺にも足を止めて
みてはいかがでしょうか。と、いっても相変わらず交通の便は悪いし、道は狭いけど・・。