秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

紅生姜三種盛り。

2010年06月30日 08時16分31秒 | グルメなのか?
昨日はさすがにお客さんのひきが早かったです。そういうワタクシも11時には店を閉めて
とっとと帰りましたけどね。サッカーに興味ないって言ってるくせに、ナゼ?

その訳は11時に来客があったら、試合終了まで店閉められない、なんてコトになるとヤだから、
という店主としてはあるまじき自堕落な理由からデス。

たまにはそれくらいのワガママいってもバチはあたんないでしょ。ワガママといえば昨夜
T社長の注文したのが「ウインナーと紅生姜」、「ピクルスの盛り合わせ」

後からやって来たベリー君が「ナニそれ?そんなのメニューにあったっけ?」と社長に聞いたら、
「ええねん、この店は深夜食堂やし、マスターに頼んだら材料があったら作ってくれるし」

コレコレ、かってに店の名前を変えるんじゃナイ。しかもお昼も営業してるし!

とはいえ、この前お昼を食べに来てくれたオバサンたちに「お好み焼きはできるん?」と
聞かれて、お好み焼き屋はお隣(昼は営業してません)なんですけど、と思ったけど、
「ええ、できますョ」とオーダー受けてました、ワタクシ。

ま、それはともかく、冷蔵庫にあったウインナーを炒めて、ただ紅生姜を添えるのも面白く
ないから、ストックしてある三種の紅生姜を付け合せてみました。

ベリー君、「あ~。三種盛りかぁ、ソレいいね。ボクもちょうだい。これ新しいメニューに
加えたら?」なんて言うけど、そりゃ無理だってば。

世の中に紅生姜好きが多いのは知ってるけど(その反対のヒトもいます)、付け合せの2種
は寿司パックについてたガリと、あと一つは「すきや」から持ち帰った紅生姜だし・・。


京都リサーチパーク。

2010年06月29日 09時40分04秒 | 京都非観光迷所案内
この辺り昔は大阪ガスの敷地だったんですよね。子供の頃はどこから見ても目に入るガス
タンクがあって、ちょっと遠出したときの帰路の目印にもなっていました。

「オレ、不安でしょうがなかってん。もしゴジラが現れたら、あのタンクを破壊しよるやん
。そしたらあのあたり一面火の海になってしもて俺の家ものうなって(無くなって)しまうし」

なんてコトいってた友人もいたっけ。そんな不安を取り除いてあげようと、ガスタンクは
撤去され、大阪ガスが出費して出来上がったのがこの「京都リサーチパーク」です。

設立の裏には「ゴジラの恐怖」から市民を解放するという秘話があったんですナ。なんて
朝からバカこいてんじゃないワナ。


京都の企業や産業を支援したり、研究場所を提供しますよ、という施設みたいですけど、
「ITな人」や「ベンチャーな人」以外には縁のない場所のような気がするのは私だけ?

ワタクシにはほとんど理解できないもんで、詳しくはコチラをどうぞ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

お昼時にはいろいろな「お弁当売り」の車がやってきます。この車はコーヒー専門車のようです。

こんなカフェで「ITな人たち」はお茶を飲んだり打ち合わせをしたりしてるんでしょうね。
そういや、昔、昼ごはんを食べにきた気もするナ。

今時ビデオなんか借りるヒトいるんだろうか?なんてコトいってるワタクシ、3年ほど前は
よく借りにきたましたケド・・・。なんせタダだし。

受付にいた女性は「みめうるわしい美女」だったっけ。今でもいるんだろうかなぁ?まさか
そのためにビデオ借りて確認するわけにもいかんわナ。

時間があったら、「平安京」の遺跡に関する資料館を覘いてみたかったんですけど、それは
また次回の楽しみにとっておくとしよう。

戦国時代からタイムスリップ。

2010年06月28日 09時54分40秒 | 京都非観光迷所案内
西向日町駅の東口で戦国時代の余韻(と、いってもなにも残ってませんでしたけど)に
ひたった後、サテ店に帰って開店の準備でもしようかと駅まで戻ってきたんですけどね。

ふと、西口はどんな風に変わったんだろと、線路を越えてみる気になりまして。

いつも通っていた西向きの路地に足を踏み入れ、そういやこの辺りに小さな飲食店が軒を
並べていたっけ、とその辺りに目を向けたら、きれいさっぱり消滅してました。

跡地は公園のように整地されていましたが、芝生の中に埋め込まれた円柱を目にしてもしや?
と思い足を踏み入れてみたら、やはり思ったとおり、長岡京の史跡でした。

こんな書き方するとおおげさに聞こえるけど、普通に線路沿いに歩いたら目に入る史跡なん
ですよね。ただ私が暮らしていた頃は「大極殿跡」を示す物は東口にポツンと建てられた
石碑のみでした。(それも電車の中からチラリと見えるていどでした。)

おお~、しばらく見ぬまにこんなリッパな史跡公園になっておったのか・・・。

公園の隅には小さな建物があり、そこが資料館になっています。私が館内に入るとモニター
の前で中学生の男子が画面を見入っていて、テーブル席では作業服の男性がパソコンを操作中でした。

しばらく館内を見学しているといつの間にか作業服の男性が後ろにやって来て、パネルの
説明をしてくださいました。彼は館内に常駐している所員さんだったんですナ。

こんな平日の雨の中、訪ねてくるヒマ人は珍しかったんでしょうね。

近頃、事業仕分け人がアチコチで暗躍?してますけど、こんな施設は仕分けしないでね。
確かに来場者は少ないと思うけど、残しておかねばならんと思いますョ、こんな施設は。
   

今年の奈良は遷都記念行事で盛り上がっていますけど「平城京」と「平安京」の間に挟まれた
「長岡京」は忘れられた都のようですな。

いや、まだ「恭仁京」や「難波京」に比べたらマシなほうかも。奈良時代には内乱で慌て
ふためいた聖武天皇はあちこちに遷都したり離宮を作っていましたから。

そのたびに貴族たちは「かなわんなぁ、もう~。ものいりなコトでおじゃる」なんてこぼして
いたんでしょうナ。いや、貴族よりもそのつど使役にかりだされた庶民はもっと大変だったと思いますョ。

問題が発生したらすぐに総理大臣の首をすげ替えれば済む今と違って都ごとの移動ですからね。

この長岡京遷都には秦氏の甚大な助力があったといわれます。しかし数年で廃棄されてしま
ったんですから、秦氏としてはたまったもんじゃなかったでしょうナ。

いくら外正八位下から従五位へ大抜擢されてもね。なんせ神泉苑の鷺やら、「この風景は
見事でおじゃる」なんて風景なんかにまでも官位を与えてますからねぇ・・・・。

とはいえ、人がこれだけの昇進をしようとすれば通常であれば40年分の「考」が必要だった
そうですが。

ところで、JR長岡京市駅ですが、以前は「神足駅」という名前でした。しかし「大極殿」な
どの、今でいう官公所在地はこの向日市にあったんですよね。

と、いうことは本来「長岡京市駅」は、向日市にあるべきなんですよね。

「ウチには世界に誇る大企業もあるし、天神さんもあるんだから(これは関係ないか)、
文句ゆうなよ!」、なんてゴリ押しに「長岡京市」駅の名前をつけちゃったんでしょうか?

「神足」という名も歴史的な価値は立派にあるのに、それを消し去ってまで変名するなんて
もしかしたら「遷都イベント」で一儲けしようと企んでいるのか?長岡京市・・・。

※ちなみに、この公園は「朝堂院跡」といって政務や儀式を行ったといわれる場所です。
もう少し北へ行けば大極殿跡もあります。

西向日町(にしむこうまち)

2010年06月27日 10時49分28秒 | 京都非観光迷所案内
この前東向日町の激辛商店街を紹介しましたけど、東を紹介して西をおざなりにするのは
片手落ちではないか?という多数の意見があったもんで、(ウソです)本日は西向町をご紹介。

と言っても長岡天神駅と東向日町の間にあるこの駅、いたって地味です。もちろん急行さえ
止まらず、駅前もほとんどなぁん~にもありません。

そんな人知れない?駅をどうして訪ねたかというと理由は二つあります。

一つ目は今、物集女(もずめ)と西岡(にしのおか)の歴史をちょっこし調べています。
この付近、歴史的には古墳時代からの遺跡も数多く残されています。

今回は戦国時代にこの地を治めていた土豪たちの足跡を訪ねてみたくなりまして・・・。
(貴重な昼休憩の時間にナニやってんだか)

当時、この地には物集女氏をはじめ、数家の土豪たちが存在していました。そんな豪族の
なかの一人、「秋田氏(仔細は不明)」が城を構えていたといわれる「上植野城」があった
といわれる場所で往時を忍んでみるべぇ、と小雨降る中、阪急西向日駅で下車。

城跡といっても城郭も無い周囲に土塁や堀を巡らせたタイプの「居館」といわれる城で、
しかも今は住宅地と化していますからなぁんに残っていません。

ではナゼ物好きにもそんな場所に足を向けたかというのが、理由の二つ目。

この西向日駅は10代後半から20代前半まで利用していた駅なんですが、一度も東口に足を
踏み入れたことがありませんでした。

一度くらいあったかナ?と記憶を辿っても、まったく無し。まるで阪急の線路がベルリンの
壁みたいに東側は未知の町でした。

それも当然で商業施設のほとんど無いカンペキな住宅街ですから、知人でも住んでいない
限り訪ねる理由がありませんからね。

駅周辺は閑静な佇まいで、多分阪急が開通された頃に宅地として開発されたんでしょうね、
こんな家も当時に建てられたものではないでしょうか。(廃屋じゃないですョ)


春には町の人たちの目を楽しませてくれるんでしょうね、この桜並木。この道を真っ直ぐ
行けば噴水公園。きっとこの町を分譲したときには「噴水公園のある高級住宅地」、なんて
のがウリだったのかも知れません。



桜の季節には大勢の人たちが集うんでしょうが、小雨降る梅雨時、水の止った噴水公園は
なんだか「冬枯れた公園」みたいです。こんな雰囲気も悪くないんですけどね。

住宅街を抜けると、昔の風情を残す風景も点在しています。
  

城館があったと思われる付近にある「持泉寺」。この寺の屋根の四辺にいる唐獅子は逆立ち
していたり、皆バラバラの方向を向いています。寺を四方から守るという意味なのか、禅寺
独自のなにかあるのか、ワタクシにはわかりません。いつか調べてみよう。
 

 

城の面影を残すものはいっさい残っていないのは出かける前の資料で分かっていましたが、
本だけで想像するより現地に立ってイニシエの頃に思いをはせるのでは、また違った感慨
があります。

明治期にこの付近を調査した資料によると、土地の古老はこの場所を「田村将軍居城跡」
だと語ったそうですが、信憑性は?ですね。(坂上田村麻呂は清水寺の建立にも関りの深い
といわれる平安初期の将軍です)

今回参考にさせてもらったのは「京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女城」文理閣出版です。
まだ他にも城跡が数箇所紹介されていますが、勝竜寺城を除いて建造物として形の残されて
いる城跡はありません。

明日はもう少し時代を遡って「長岡京時代」を訪ねてみます。この歴史探訪はビンボー人に
とってはお金がほとんどかからない娯楽ですなぁ・・・・・。

昨日は・・・。

2010年06月26日 09時17分12秒 | Weblog
昨夜の「鶏ちゃん」は店開けにtakeちゃんが来店してくれただけで8時前まで閑古鳥が鳴いて
おりました。給料日だというのに・・・・。

「明け方までワールドカップ観てたから今日は皆、早く帰宅してしまったんだろか?」
なんて話ているうちにtakeちゃんの乗るバスの時間(彼んちに帰るバスは一時間に一本デス)
になって、彼も帰宅。「そして誰もいなくなった」こんな小説があったよなぁ。

いいんだ、こんな日もあるさ。「人工衛星に乗せられて宇宙で死んだライカ犬にくらべたら、
ボクのほうがマシだ」なんてイングマル少年になってました。

ところが8時過ぎに久しぶりの保母さん二人組がご来店。takeちゃん、残念やったね、二人
ともベッピンさんやで~。その後も常連さんやご新規さんが次々来店。

なんて書くと大繁盛に聞こえますけど、キャパの小さな店ですから、たいしたコトないんですケド。

ただ、相方は昨日から金沢出張、店はワタクシ一人・・・。

見かねたMちゃんが「手伝どうたげるわァ~」と臨時店員に変身。アリガトね。

と、いうワケでどうにか閉店までこぎつけました。後片付けと今日の準備を済ませて帰宅
したのは2時前。

だもんで、ホントは今日は昨日の昼休みに散策した「西向日町」を紹介するつもりでした
けど、余力がありませんので、ソレはまた次回。(なんて予告するほどのモンではないですけど・・。)

蜘蛛の理不尽。

2010年06月25日 08時10分46秒 | Weblog
湯船に浸かってボンヤリヒゲをあたっていて、室内灯の辺りに目をやると体長5ミリほどの
蜘蛛が巣を張っていました。(ワタクシ、風呂は基本的に朝にはいります。)

「アレ?おかしいぞ。電灯の周りに巣を張っていたら餌がどんどん飛び込んで来るって俺の
DNAが教えているけど、さっぱり餌がつかまらんのはドウシテ?」

そりゃ、無理だってば。田舎の隙間だらけの風呂場ならともかく、ウチはユニットなんだからね。

それでもそいつはセッセと網をつむいだり、「そうか、体を縮めてじっと待てばええんか」
と、手足?をすくめてみたり・・・。

なんとなくおかしくて、可愛く思えてきましたネ。

体を洗い終えて、体の水分をふき取った後、そっと手の平に乗せてベランダから外へ出して
やりました。

(別にワシが地獄に落ちても糸はたらさなくてもいいからナ)

相方に見つかったら、大変だったぞ、なにしろ蜘蛛は大の苦手だし、大騒ぎしてシャワーで
流されていたところだわ。(蜘蛛が大好きって女性は少ないと思うけど)

子供のころ、「夜の蜘蛛は縁起が悪いから殺してもよいけど、朝の蜘蛛は縁起が良いから
殺しちゃダメ」なんていわれたもんですけど、蜘蛛からすりゃ理不尽な話ですナ。

同じ固体が同じ場所に巣を張っているだけなんですから。




今朝の「冷やし中華」

2010年06月24日 09時17分12秒 | グルメなのか?
なぜか今朝も朝から「冷やし中華」。今日みたいな梅雨の中休みの朝にはサッパリ味の
「レモン醤油だれ」がよろしいですナ。麺も細麺だし。(別に天候は関係ないか・・・。)

これは北海道江別市(ってドコら辺りだっけ?)の(株)菊水社のサッポロ冷やし中華です。

前回の韓国風麺より、コッチのほうが朝食向きかもしれませんね、あのタイプは焼肉食べた
あとにはちょうど良いのかもしれませんが。(朝から冷麺食ってる人はあまりいないか)

スーパーにもいろんな冷麺が販売されていますが、全国でいったいどれくらいの数の冷麺
が発売されているんでしょうね。

今年の夏は全種類制覇を目指してみるか。(ウソです。)

ところで、この前仕入れた喜多方のピリ辛味噌冷麺、店では好評で完売。追加注文しても
いいかも・・・。(結局私の口に入るまでに売り切れてしまったし)

雨と映画。

2010年06月23日 09時29分04秒 | Weblog
本日の京都は「正しい日本の梅雨空」です。

雨の映画で思い出すのは「雨に歌えば」ですナ。(「シェルブールの雨傘」なんてのもあった
けど、内容はサッパリ忘れてしまった・・。カトリーヌ・ドヌーブは好きでしたケド。)

ワタクシ、学生時代は映研の部長、というか創立者でありました。(映画を研究したコトは
一度もなかったけど)

その部員にM、というバカなのがいて(今でもバカですけど)、そいつは雨が降ると突発的
に表に飛び出して「雨に歌えば」を歌いつつ踊りだしましていました。

この映画は古き良きアメリカを代表する、と言っても良いミュージカルなんだけど、タイトル曲
を聞いて思い出すのはジーン・ケリーじゃなくて、おバカのM。トラウマだな、こりゃ。

学生時代(中学生~)は週に3本以上観ていた映画だけど、最後に映画館に足を運んだのは
いつだっけ?

アメリカ資本の配給が強力になって「作品」より「商品」的映画ばかり上映されるように
なったためだろうか?いや、そんなカッコええもんでもないか、南会館なんて頑張ってます
からね。多分「お年」のせいなんでしょうナ。

ウッディアレンのとぼけた大人映画や、な~んとも重苦しいけど、映像の美しいフランスの
フィルムノアールなど、時間があったら観なおしたいのもあるんですけど、当分無理ダナ。

激辛「チャーハン」&「中華丼」

2010年06月22日 09時59分49秒 | グルメなのか?
向日市が「激辛商店街」企画を打ち出して以来、ずっと心の隅にひっかかってはいたんです
けどね。ただ向日市という場所はそんなに遠くはないけど、なにかの「ついで」の「ついで」が無い。

私にとって向日市は高校時代の通学経路でしたが、競輪開催中は得体の知れないオッサン
たちがウロツく町というイメージが強く残っております。

競輪も近頃は購買層が高齢化してきて観客が激減し選手の確保も難しくなっているとか。

これといった観光地も無い向日市としてはなんとか町の活性化を図った企画の一つがこの
「激辛商店街」なのかも知れませんね。カラマニヨン人の私としては嬉しいかぎりです。

40店弱の店舗が協賛されているようですが、いくら辛モン好きの私でも「饅頭」「クレープ」
にはちょっと手がでないし、ここはオーソドックスに中華の「眠眠」で。

私は炒飯の2辛、相方は中華丼の1辛を注文。中華丼の「あん」やラーメン系のスープは
他の料理に比べると辛味を強く感じますから、要注意。

炒飯。これなら3辛でもOKかナ。欲を言えばご飯がパラッとしているほうが私、好みなん
ですけど、これはまぁ好き好きがありますからね。

中華丼。これは1辛くらいがちょうどかも。中華丼自体が美味いから、これ以上辛くすると
本来の味が損なわれる恐れがあります。(辛いのが苦手な人にとっては充分損なわれているか)

食べはじめてしばらくすると胃の中がポカポカしてきて、相方のオデコには薄らと汗が。
カプサイシン効いてます。

ゲーム感覚で食べるのでは無くて、「食べ物は食べ物」としていただくにはちょうどの辛味
でした、今回の「辛味探訪」。

激辛商店街、詳しくは↓
http://www.kyoto-gekikara.com/

朝蕎麦と「おあげさん」

2010年06月21日 10時19分42秒 | グルメなのか?
別に統計をとっているわけではないんですけど、ウチの朝食の食卓に蕎麦がのぼるのは、
月2~3回でしょうか。今回は具材は「なめこ&あげ」です。

この「あげ」、ですけど京都(大阪もかな)では「あげ」に敬意を表して「お」をつけて
「おあげ」、さらに親近感をこめて「さん」もオマケに付けますから「おあげさん」

この「さん」づけはいろいろなものにつけちゃいますから、「う○こ」にまでつけます。
「う○こさん」、もしくは「う○こちゃん」。

すんません、食べ物の話なのにビロウな話になってしまいましたネ。

話をもどして、この「おあげさん」は「松山あげ」、乾燥タイプです。発売元は松山市の
(株)「程野商店」。なんとなく無味乾燥なふうに見えるけど調理してみるとそうでもナイ。

油でしっかりあげているので、けっこうコクがありましたね。ただし、ヒジキと炊いたら、
溶けてなくなっちゃいましたケド・・。

今思ったんですけど、ヒジキにはあんまりさ「さん」づけしませんね。海の無い京都(市)
だから馴染みが薄いからか、単に「さん」との相性がよくないのか、どうなんでしょうね。