秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

通風大魔降臨・・・。

2013年04月30日 17時52分54秒 | おもろい関西人。

 参った・・・。

去年の秋頃にやって来たもんだから、まだ、しばらくは大丈夫だろうと
思っていたんですけどね。(医学的根拠はありませんけど)

3日ほど前に早朝のTVをボンヤリマナコで二人して観ていました。

常日頃は、あまり医学や健康に関する番組は観ないんですけどね。

その日は通風(あ~、口にするのもオゾマシイ・・)の予防と対処を取り上げて
いました。内容的にはすでに知っていることばかりでしたけどね。

その2,3日前から親指(右足)の付け根に鈍痛は感じていました。しかし4日
前にちょっと無理して市内を歩き周っていたから、原因はソレだと思っていました。

TVを観ながら相方が、ボソリ、と恐ろしい一言を発するのです・・・・。

「また足が痛いとか言ってたけど、通風が出たんとちゃう?」

なぁ~んて不吉で恐ろしげなこと言うんでしょ、このヒトは!

いや、間隔的にはまだ大丈夫やと思うけど・・・・。とは言ったものの、それは
あくまで希望であって、イチマツの不安はございました。

で、日曜日のことです。伏見の御香宮に行っていたんです。駐車場に停めようと
したけど、700円だか(忘れました)もするもんで、南の参道に路駐しました。

そんなに時間もかからないと思うから、相方は車の中で待っていてもらうことに
しました。簡単に写真を数枚撮って戻るつもりだったんですけどね。

ところが、このあたりから、足の痛みがだんだん酷くなってきました。足を引きずり
つつ、駐車していた場所に戻ると・・・。

なんと緑のユニホームきた男性二人が車を撮影しながら書類を作成中。そう、
民間の駐禁監視員です。

「お~い、ちょっと待ってや!車にヒトが乗ってるやろ~!!」とおめきながら車まで
猛ダッシュしましたね。(足引きずりながら)

で、助手席に目をやると乗っているハズの相方が消えている・・・・。切符は切られ
なかったので、すんません~、と侘びながら車を発進したところで、相方発見。

私の帰りが遅いもんで、喉も渇いたことだし、斜め向かいのスーパーに飲み物を
買いに行ってたそうです。

帰宅後、足の鈍痛が酷くなってきたので恐る恐る足首を見たら、ぷっくり一部分が
膨らんでいました。しかしこの時点では、まだ通風と認めたくない私でありました。

急にダッシュしたから、その前の酷使とあいまって炎症を起こしたのかも知れない。
(なんて往生際が悪いんでしょう・・・。)

そして現在。私の部屋の中での行動範囲は、直線にして約3メートル・・・。つまり
トイレの往復のみです。しかしその3メートルの遠いコト!

そおっと両ひざを立てて、テーブルに手を置いて、ゆっくり左足から立ち上がります。
そこから慎重に右足を伸ばす。ここで足首に激痛。震度に言い換えれば3程度です。

そして上げていた右足をそお~と着地。(震度4) 交互に足を踏み出せないから、
片手で壁などをつかみながら静かにケンケンで進みます。

そしてトイレのドアを開けるんですけど、その後が大変です。バリアフリーじゃない
から、足を少し持ち上げてトイレ内に入るのです。しかし足元の桟が・・・・。

普段なら気にもならない10センチほどの障害物なんですけどね。まず左足を踏み込
んで、右足を床に着けるだけの行為に至るまで、多少のためらいが生じます。

意を決して足を下ろしたとたん、また激痛。(震度5) しかしこれでお終いじゃない。
前向きに入室しますから、便座に座るためには方向回転しなくてはならない。

「むっ!」、とか「アへ!」とか叫びながら、苦痛を堪えつつユルリと便座に腰を下ろす。

用をたした後も部屋に戻るには同じ努力が必要です。行きはまだよいのです。
生理的欲求に堪えられず歩を進めるのですから。

しかし、大切な用を済ませたあとは、精魂尽き果てています。「ああ、もうこの小部屋
で暮しちゃいますか、当分・・・」なんて思いが心をよぎります。

便座に腰掛けたまま、「明日のジョー」ラストシーン状態です。

もし、これが通風なら(まだ言ってるし)、峠はまだ越していないハズ・・・。おそらく後
2、3日後あたりに震度6~7の激痛がワタクシを襲うのでありましょうネ。

発病してしまったら、あとはイカンともしがたいのが、この病です。尿酸値を下げる
薬を飲んだり、水分を多めに摂取するなどの予防処置しかないもんなぁ・・・・。

 

 

 

 

 

 

 


正行寺 輪形地蔵。

2013年04月29日 09時07分14秒 | 京都非観光迷所案内

 別名「猿寺」と呼ばれる「正行院」ですが、いつかそのうち訪ねよう
と思っていたけど、なかなか機会がありませんでした。

 

交通の不便な場所じゃないんですけどね。いや便利すぎるくらいです。
京都駅の近所ですから。いつでもいけるし、またいつか、と思ってました。

で、TV見てたら塾のセンセが「今でしょ!!」なんて言うもんだから、つい
探索してしまった・・・。(このネタも旬を過ぎてしまった感もあるけど)

冗談はサテおき、お寺の縁起には動物が関わっている話がけっこうあり
ますよね。猿もときおり登場します。正行院の縁起はアンダーラインを
クリックしてください。(ここまでくると手抜きの弁明もしなくなってます。)

  

ちょっとだけ補足。 浄土宗捨世派は法然上人の正方を守るという志で浄土宗
の中でも地味なんだそうです。江戸時代になって浄土宗でも朱や紫の衣を着る
ようになったけど、この派は茶や鼠色しか着ない、とあります。

寺は伏見城の廃材で建てたとか。開基の円誉上人は鉦や木魚の代わりに石
を叩いて拍子をとられたといいます。さすが捨世派。

うかつなことに、輪形地蔵と正行院が同じ場所だとは思わなかった・・・。



   ま、「うかつ」、「うろおぼえ」はいつものコトですけどね。
    
掘り起こされた当初は、その場所に地蔵堂が建てられていたそうですが、堂は明治5年に
廃され、そのときに正行院に引越しされたそうです。(地蔵堂が建てられたのは昭和8年) 

輪形とは、そう「車石」のことです。このブログでも2度(だったっけ)ほど取り上げて
います。なんせ13キロにわたり敷き延べられた車石です。 フトドキ物が、打ち捨て
られているお地蔵さんを拾ってきて、小銭稼ぎをしたのでしょうか?

   
   三タビ登場「車石」

  

京都を代表する2大ラーメン店の本店は、この寺のすぐそばです。


そうか、オバマさんはここに居るんだ。

若いころ、このホテルがずっと求人募集してたのを覚えています。理由は
聞いたけど、忘れちまった・・。(て、コトにしときます)

 

 

 


 


松花堂。

2013年04月28日 07時27分08秒 | 京都非観光迷所案内

 こちらも迷所じゃないけど、岩清水八幡宮と同じ理由でカテゴリーに
含ませていただきます。(ダレにことわってるんでしょね)

松花堂昭乗の名前や経歴は存じていました(ちょっとだけですけど)が、
あまり興味がなかったもんで、ここを訪ねることはなかろうと思っていました。

今回はせっかく八幡まで来たことだし、ついでに、って感じで来訪したのです。
いや、厳密に言えば「女郎花(おみなえし)」の女塚と男塚には興味はありました。

  ↓近所のマンション。なかなか素敵なネーミングです。
  

その女塚が松花堂庭園の中にあるのです。しかし入園料を支払ってまで見学
するかどうかは庭園に来るまで迷っていました。時間も時間だし。(4時前でした)

  

で、入り口で入園料を見たら、なんと100円。(庭園のみ)閉園まで残り一時間あります。

これは見学しないわけにはいきません。(ワレながらセコイと思います・・・。)


入り口の藤棚。盛りはもう少し前だったようですが、美しゅうございます。

今回は、はっきり言って予測を裏切られましたね、良い意味で。
 

    

これだけの路地庭を一度に拝見させてもらえるとは・・。100円ですョ(もうエエか)

       

 

庭はもちろん、建物、竹林(多種の竹が植えられています)も一見の価値があります。
     

   

  
  ↑水禽窟

 

 
 ↑玉座                       ↑格天井

生垣の勉強にもなります。
                

          

椿園 

   

  

  

 

私がとくに気に入ったのが庭園にさりげなく配置された石塔です。彫られた
時代や作者はおそらく不明だと思います。筍と背比べしているようにも見えますナ。
  

 
もしかしたら、神仏希釈のおりに、取り壊された寺から集められたのか
も知れませんね。

そして目的の「女塚」




では男塚(頼風塚)はどこにあるか?というと松花堂をいったん出て、東高野街道を
北上した民家の間にひっそりと建っています。
 これは分かり難いぞ。

 

離れ離れになった男塚と女塚、しっかり私のブログで添わせてあげましょう。
(余計なお世話か・・・・。)

最後に松花堂昭乗は知らなくても松花堂弁当は知ってるで~、って人も
いらしゃると思います。

昭乗先生がお百姓さんが種入れとして使っていた箱を見て、「おっ、これを
絵の具箱や煙草入れに使ったら便利でおますな。」と思いついたそうです。

ときはくだって昭和の時代、大阪の貴志家から依頼を受けた吉兆の創始者
湯木真一氏が昭乗さんの道具箱にヒントを得て、弁当箱を発案されたそうです。

 

敷地内には吉兆のお店があって、当然「松花堂」弁当がいただけます。

来年は頑張って、花見をかねてこの松花堂弁当を食べに来るぞ。 

 

 

 
 

 

 

 

 

 


岩清水八幡宮

2013年04月27日 07時26分00秒 | 京都非観光迷所案内

 最初におことわりしておきますが、この岩清水八幡宮は迷所じゃありません。

京都はもとより、全国的にも知れれた社です。(どれくらい全国的なのか
は分かりませんけど。今回は迷所案内人が徘徊した、っつうことで・・・・)

  

実はワタクシ、若かりしころ痔を患ったことがありました。(すんませんビロウ
な話で) で、実家に帰ったときになにげなく母親の前でその話をしたのです。

「あんた今年、本厄やろ。岩清水さん行って厄払いしてもてき!!」

は?なんで岩清水?それまで岩清水のイの字も聞いたコト無いですよ、貴女
の口から。母は神社のお参りといえば城南宮いっぽんやりでした。

おそらく姑からなにか聞かされていたと思うんですけど、二人ともすでに他界
してますから、今だ謎のままです。(痔と八幡宮が無関係というのは分かるけど)

  

ということで、今回の八幡散策においては、この社を外すワケにはいきません。

あのときは車じゃなくて京阪電車を利用したっけ。何かの理由でケーブルが
止っていました。私、このケーブル系との相性が非常に悪い。

  

鞆の浦に行ったときも故障中。エッフェル塔に登ろうとしたら、仏は何十年
ぶりかの大雪でエレベーターが動かない・・・。

 

しかし、写真と関係ないコメントばっかりですナ。なんせ有名な社ですから他に
資料はぎょうさんありますからテキトーに読み飛ばしといてください。

  

今回は車で西参道からアプローチしたんですけど、住宅街の細い道をぐるぐる
巡りながらようやく到着した次第です。所々小さな表示板はあったのですが・・。

  

 

エジソン記念碑。エジソンがフィラメントに八幡の竹を使用したのは有名なお話です。
 
碑の前に電気自動車用の充電コンセント。掃除していたオバちゃんが 「ただやし、車
持ってきて充電したらエエよ~」 って言ってくれたけど、イヤイヤ、ガソリン車です、うちは。

猫にとっても暮しやすい地のようで境内のソチコチでみかけました。八幡猫。
  

社はさすがにしっかり保全されていますが、途中の道はあちらこちらで土砂崩れがあった
ようで通行止めの箇所も何箇所か見られました。

    
八幡市内が一望できます。

   
途中の茶屋と神場舎。

↓これは麓の「放生川」にかかる安居橋。エエ味だしています。


走井餅の店。相方が購入しようか悩んでいたけど、私の強い進言が受け入れられ
て「さくらもちソフト」に決定。ちょっと塩味が効いて美味しゅうございました。

        
      販売していたお嬢がエライベッピンさんでしたナ。

次回は八幡散策ラストの「松花堂」です。

 

 

 

 


八幡・八角堂

2013年04月26日 08時31分17秒 | 京都非観光迷所案内

 今回相方のアンテナが感知したのは、この八角堂ではありません。
これは迷所案内人の嗅覚が嗅ぎ当てた物件です。

なんてエラそうなこと言ってますけど、「八幡まるごと イラストマップ」
にもちゃんと記載されています。(小さめですけど)

しかし道路からは建物は見えるんですけど、なかなかたどり着けない。
地理に不案内ってこともあるけど、なかなか手こずらせてくれましたナ。

車を置いて堂への上り口を見つけるまで少々時間がかかりましたね。
 

   

鎌倉時代に前善法寺検校祐清が男山の西谷に建立されたそうです
が後に大破。慶長12年に豊臣秀頼が小出吉政に命じて再建。

  

この地に移転されたのは明治の神仏分離によるものだそうです。取り壊された
寺も数多くあったらしいけど、よくぞ生き残ったもんです。

建物の形状は正確には八角ではなく、四角の四隅を切り取った「隅切り八角形」
で類例が少なく珍しい。いや、私が言ったんじゃなくて説明板に書いてありました。

明治のバカ役人からこのお堂を救ったのは正奉寺住職 志水円阿というお坊
さんだそうです。
 
しかし堂に回らされたこの柵。防犯のためでないのはひと目見てわかりますよね。
柵の理由はコレ↓ 
       

   

  
ナルほど、こりゃ危険だわ。というか痛々しい・・・・。

こちらは集会所のようになっていますが、こんな新しい建物を建てるお金が
あったんなら、御堂のほうをもう少しなんとかしてよって言いたくなるけど。
 
歴史的建造物だから、おいそれと手がつけられないのでしょうか?まぁ、ヨソもん
が口だすこっちゃないか・・・。

坂道を登りながら、なんとなく古墳ぽい丘だな、と思ってたら、やはりそうでした。
西車塚古墳後円部上に建てられているそうです。

  

改修工事うんぬんはともかく、個人的な好みで言わせていただくと、実は
好きです、このウラビレた感・・・・・。


飛行神社。

2013年04月25日 08時16分15秒 | 京都非観光迷所案内

 今回の八幡散策の目的の一つがこの社です。以前から気にはなっては
いたのですが、ここだけのために八幡まで足を伸ばすのは、ちょっとね。

この日は半日の余裕があったので、大急ぎで探索。しかし、これ、神社
に見えます?パルテノン神殿かいな、と突っこんでしまいたくなりますナ。
 

いや、本物のパルテノン神殿は見たことないんですけどね。

 

 
ガレージ横にあったレリーフ。すべて飛行機や飛翔(トンボなど)に関連したものでした。
地下ガレージも看板がないと絶対見つけることは不可能です。(見逃す恐れアリ)

 
これはジェット戦闘機のエンジン。Fなんとかのです。(またウロ覚えですんません)

            

   

なんといっても胸うたれたのがこれです。


      

 
パイロットはどうなったのでしょうね・・・・・。

資料館は入館料が必要です。が、この時点で3:40分。4:00閉館ですから、この日は
断念。(次に来ることはないと思いますけど)

次の目的地へ向かいます。(まだ続くのであります。)

飛行神社 八幡市土井44 

 


都飯店・四川ラーメン

2013年04月24日 07時32分43秒 | グルメなのか?

 相方が4日ぶりに出張から帰ってまいりました。その間、血も凍る
思いをしたワタクシ・・・・。

21日は相方の誕生日。ここ数年は相方が出張中が多いんですけど、
それでもオメデトメールは欠かしたことはなかったんです。

が・・・・。なんてこった。気がついたときにはすでに遅し。一夜にして
総白髪になってしまった・・・・。(これはウソですけど)

ま、内輪の話は追い置いておきましょ。出張に出かけるまえにPCを
いじりながら相方がのたまうには「なぁ、八幡に行く用事ってないん?」

いや、あえてといえばないようなあるような・・。(どっちやねん!)

彼女のアンテナになにやら引っ掛かったモノがあったようなので、それ
では帰京したら出かけてみよう、と話はまとまっておりました。

で、昼食をドコでとるか、それぞれリサーチしていたら二人の意見が偶然
一致したのがこの「都飯店」でした。

 

京都を出発したのが13時過ぎ、店に到着したのが14時くらいでしたか。
それでも店の駐車スペースの空きは一台分しかありませんでした。

(別の場所にもガレージはありましたが) さすが地元での人気店です。
昼時だと席にスムーズには座れないのでしょうね。

         

私はチャーハン&四川ラーメンセットを注文。これで600円は安いぞ。
 

相方の四川ラーメン・唐揚げ・ライスのセットは700円。

唐揚げは「からじろう」ではなくて普通タイプです。でもボリュームは充分。

 

他のお客さんが注文しているのを観察していると四川&チャーハンセット
が一番多いようでした。

四川だけど、とびきり辛いことはないから、子供さんや女性でも大丈夫です。
私はテーブルにあった唐辛子とニンニクをたっぷり投入しましたけどね。

食べ終わって店を出た二人の感想。

「近所でなくてよかった・・・」 そう、この値段で手軽にいける場所にあったら
通いつめてしまいますョ。なんせ二人は極細麺大好きなんですから。

て、ことは「通風大魔王」が・・・・オソロシや。

  
こんなのもありました。でも二人ともつけ麺は食べないし。

 


油小路の決闘。

2013年04月23日 09時59分45秒 | 京都非観光迷所案内

 「燃えよ剣」。この小説を読んだは20代前半でした。あの頃は「坂の
上の雲」に始まり司馬遼太郎先生の小説にどっぷり浸かっていました。

しかし思い返せば「燃えよ剣」との出会いはもっと以前でTVドラマ
だったんですけどね。それはまぁ置いといて・・・・。

司馬先生以外にも他の作家さんの新撰組関係の小説はぎょうさん
読んだつもりやけど、伊藤甲子太郎を主題にした小説を読んだ記憶
はありません。登場はするけど主役ではない。

活躍した時期があまりに短くて資料も少ないのかも知れませんが、
主役をはるには、いささかカゲが薄いのかも知れませんね。

 

とはいえ、生き残った弟子たちは明治政府においては、そこそこの
要職についていますから、非凡の人ではなかったはずです。

その甲子太郎さんが、新撰組と袂を分かち非業の死を遂げたのが
この寺の門前だったそうです。

  

 北辰一刀流の使い手でもあり、学識も高い自信家の先生をコロッと騙し
て闇討ちしたのは、新撰組の真骨頂発揮ですが、その後も凄まじい。

その遺骸を油小路に打ち捨てて、引き取りにこようとした御陵衛士の
残党を討ち取ろうと図ったんですからね。

          

この遺体回収に向かった7名のうち、死亡者は3名。司馬先生の解釈
では剣のたつ者ほどわが身を死地に追いやったと書かれています。

しかし40名もの新撰組が取り囲み、7名のうち僅か3名しか討ち取れな
かったというのは、ドナイなもんですやろ。

ちょっと前まで同じ釜の飯を食った人間だし、ムゲに惨殺するには忍び
ない、なんて心理が働いたのかも?

新撰組立ち上げ当初なら許されなかった行為でけどね。なんてコトを
想像してしまうお人好しです。そんな甘い考えでは生き残りは難しいぞ。

 わかっちゃいるんです・・・・・・・・。


菅原院天満宮。

2013年04月22日 09時46分30秒 | 京都非観光迷所案内

 天神社は日本三大天満宮(北野・大宰府・大生郷)を筆頭に※一万社以上
あるそうです。 (なんだかオオザッパな数え方にも思えるけど)

「大生郷ってドコやねん?それやったら天満の天神さんはどないしてくれるねん、
アチアチのたこ焼き口につっこんだろかワレ!」なんて大阪の人、おこらんで下
さい、私が言ったんじゃないし。

京都を徘徊中、私もソチコチで天神さんと遭遇して、そのつど気ままに投稿して
いますけど、この菅原院天満宮は通過するだけでした。
 

なんせ烏丸通りを挟んだ京都御苑の西ですから、おいそれと車を停めて散策、
という訳にはいきません。でも先日は自転車でしたからね。

そうです、薬祖神祠の次におじゃましたのが、この社です。道真公誕生の地は
他にもあったけど、ま、いいかワタクシの生活には関係ないし・・・。

  

由緒由縁、地図はいつものようにアンダーラインをクリックしてください。

じゃ、なんのために紹介しているんだ?と聞かれても困るけど・・・。

この「見返り道真公」、なんかエエなぁ。「よっ、みっちゃん今日も一杯いく?」
なんて肩をたたいて言いたくなりますナ。

やはり天神さんといえば「へたり牛」。アタシャ、「へたれ牛」。やかましわい!
 

なぜかこの日、一人旅の男性が多かったなぁ。受験生には見えんし。もしか
したら「見返り道真公」のポスターに引き寄せられたんだろうか?

ここから烏丸通りを少し北上すると「護王神社」があるのです。自転車でこの
近辺を徘徊するチャンスはめったにないから散策したかったんですけどね。

今度の仕事で、恩師に相談を受けてもらう約束があって、この日はタイムアップ。

護王神社は昔、知り合いが神主を勤めていたから、一度は訪ねてみようと思って
いたけど、やはり駐車場探すのが面倒で先送りなっていました。

また、これはいつか、ってコトで。またいい加減な約束してからに・・・・。

※明治39年(1906)の調査によると天神社(天満宮)は10442社といわれ、
道真公を祭る神社は11089社あったそうです。

 

 

 

 


薬祖神祠。

2013年04月21日 08時04分58秒 | 京都非観光迷所案内

 この祠も存在は知っていたけど、探し訪ねるまでもナカロ、と保留にしていました。
保留にしていたワケは別にコレといってないんですけどね。

まぁ、あの近辺に用事ができたときにでも、寄らしてもらいまっさ、って感じでした。
(別に寄ってもらわんでもエエわいな、と薬祖神様も思ってはったかも知れんけど)

先日烏丸通りを北上して白川方面に出かける用事があったので、ちょっと寄り道
させてもらいました。

大巳貴命(おおなむちのみこと)、大国主命、小彦名命、→日本。 神農→中国
ヒポクラテス→ギリシャ。このバラバラのピースを一まとめて祀ってあるのが、
ここ「薬祖神祠」です。

  

バラバラといっても、一応、医学繋がりはあるから、「無茶しよんな~」、ということ
はありません。けど、「大丈夫でっか、皆さん喧嘩せんと仲よーしたはりまっか?」
と余計な心配をしてしまうのはワタクシだけでありましょうか?

この二条通は1600年ころから薬屋の町として栄え、問屋仲間が集まって講を
くんで、この祠を祀ったそうです。(今の場所に移られたのは1906年)

1880年ころに 「そやな、近頃西洋の薬品もようけ輸入されてきたことやし、
ひとつ、西洋の神さんもお祀りしよなないか?したら誰がよろしおすやろ」

「そら、西洋の神さんゆうたら、キリストはんやろ。そやけど、大国はんの隣に
磔の十字架はどないなもんやろな」

「あほ言いな、なんぼ奇跡で病人を治さはった言うても、そらアカンわ。そや
○×堂のご隠居はんに聞いてみまひょ」
  

てな会話はなかったと思いますけど、西洋医学の父といわれたヒポさんも
合祀されるようになったみたいです。

11月の薬神祭には多くの出店が出て、大変賑わったそうですが、今は昔日の
思い出となったようです。これはどこの町でも見られる現象ですけどねぇ。

神農さんも「ワシを大事に祀ってくれるテキヤの衆が見れんよーになって寂しい
こっちゃの」、と呟いておられるかも知れません。

  

この祠をもう少し西へ行くと2012.5/27日にご紹介した三井越後屋京本店跡
があります。なんでそのときに一緒に探索しておかなかったって?

だから、言ってるでしょ、迷所案内はほとんど行き当たりばったりだって・・・・。

烏丸通りを東に渡ると漢方薬局の「わやくや 千坂」 北大路魯山人が少年時代
3年間丁稚奉公をしていたのも千坂ですが、当時、この場所で営業していたか
どうかは、分かりません。



この無責任さも迷所案内。(地図もかってに他人のブログにリンクしてるし・・)