秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

皆川淇園弘道館跡。

2012年05月27日 06時17分36秒 | 京都非観光迷所案内

 北野天満宮の近くにあるこの「弘道館跡」は現在は京の和菓子老舗の「老松」さん
が管理され、お茶会などに利用されているようです。
   

ワタクシのようなモノ知らずは「弘道館」?皆川淇園?講道館といえば加納治五郎じゃ
なかったっけ?しかも講道館は東京だし。なんて愚かな連想しか浮かばない・・・。
   

水戸の「弘道館」(江戸にも確か剣術道場があったと思いますが。)となんらかの関係
があるのかも知れませんが、またいつか調べてみます。(多分しないと思うケド)

淇園先生は江戸時代中期の人で最初は儒学を学び、易学の造詣も深く、「物」と「名」
の関係を解釈する「開物論」を唱えたそうです。これはちょっと興味深いもんがありますナ。

もう少し時間と気持ちに余裕ができたら、ゆっくり、訪れてみたいものです。

 

 


そしてボクは途方にくれ・・・ないけど。

2012年05月25日 21時21分48秒 | Weblog

神奈川での催事を終えた相方は在京3日で、再び熱海での着物仕事。アタシャ
またまたヤモメ状態。今宵の晩酌のアテは相方が作り置きしといてくれた豚生姜焼き。

あとは冷奴とマカロニサラダ、小芋煮。これは相方が神奈川催事のお土産に買ってきた
崎陽軒の特製シュウマイです。悲しいカナ、特製と並シュウマイの違いが私の貧乏舌で
は判断つきかねますナ。(並もそんなに食べてないんですけどね)

 サテ、明日の晩餐はナニにしますかナ。

 


三井越後屋京本店。

2012年05月22日 09時06分05秒 | 京都非観光迷所案内

「越後屋、オヌシもワルよのう」なんて時代劇で悪商人の代名詞みたいになっていますが、
日本を代表する三井グループのルーツが三井越後屋。その京本店跡がコチラです。

    

悪商人どころか、当時では斬新な商法でメキメキ頭角を現したベンチャー企業でした。
そのころの呉服商人たちにとっては憎き商売敵だったのかもしれませんけどね。

     

京の呉服商といえば近江(滋賀)出身者が多いそうですが、高利さんは伊勢の出。滋賀の
楽市楽座は有名ですが、伊勢も同じく自由な商業が発達した土地です。

それに加えて、諸国の情報を持ち寄る御師(おし)が立ち寄る地で育った環境が、高利の
経営感覚に影響を与えたのかも知れませんね。

長兄の江戸店で支配人を勤め、「江戸店持京商人」(えどだなもちきょうあきんど)を志し、
28歳で松坂に戻り資本を蓄積、その後、京に出店。

 私は越後屋の本店は上京区(寺ノ内か新町六角)辺りだと思ってたけど、こんな地
にあったんですナ。

    
    家紋入りの瓦。この「くぎ抜き紋」は高利が14歳で手伝うことになった三井家の紋です。

余談ですが、越後屋のユニークな商法の一つが店名入りの番傘。突然の雨に備え、沢山の
傘を用意し、店の名と通し番号をかいていたそうです。(それが番傘のルーツという説もあります。)

三井家のことを調べだしたのは、宮崎友禅斎がらみなんですけど、今のところ直接的な
関わりは見いだせておりません。まぁ、友禅斎の件は気長にやっていくしかないですナ。


引き篭もりの晩餐。

2012年05月20日 19時20分07秒 | グルメなのか?

 今日は一日部屋に引き篭もり状態です。朝、昼は買い置きの食材で
済ませたけど、サテ、夕食はどうすべぇ?相談する相手もいないしなぁ。

(相方は明日に帰京。)わざわざスーパーまで出かけるのもメンドーだし、
冷蔵庫にあるモンでいいかぁ。

最初に発見したのが茹でたキャベツ。これは相方が出張前に茹でた後、パック
しておいたやつですナ。まだ賞味期限はOKでしょう。

そこで胡瓜を刻んで塩もみ。これと茹でキャベツ、「くらこん」の塩昆布を合えて、
葉わさびをトッピングして一丁あがり。(すりゴマも隠し味に混入)
   

後は刻みネギと紅生姜入りの卵焼き、キムチ乗せ冷奴と里芋の煮っころがし。

ま、こんなトコロで充分ですかナ。


 

 

 

 


澤井醤油本店。

2012年05月19日 07時42分44秒 | 京都非観光迷所案内

  京都府庁のすぐそばにある、この澤井醤油本店は創業明治12年。建物はそれ以前から
あったそうですから、江戸時代の建築かもしれませんね。

     

 伏見の造り酒屋が並ぶ街並みかいな?と勘違いしそうです。こんな街中に残されているの
は奇跡です。そういえば佐々木倉之助さんの実家の造り酒屋も街中でしたナ。

アチラも創業は明治26年、同じころの創業です。

 

    

 

 

     

今回のお買い上げ。アラレは「もろみ」が効いた大人味でした。醤油系の辛いもん好きにはOKですが、
私の場合、カラマニヨン(辛いもんマニア)でも香辛料系ですから、少し辛すぎる感がありますナ。


稲妻と弁当。

2012年05月18日 08時01分41秒 | Weblog

 

 昨夜は仕事場から自宅へ帰る途中、西空が「イナビカッテ」おりました。
この年になっても稲妻を目撃すると心躍るワタクシであります。

釣りをしている最中以外(カーボンロッドは通電性があります)は恐怖を
感じることはありませんからね。(ゴルフはしないし)

雷とは関係ないけど、今日から相方は着物仕事で神奈川へ。ワタクシ、
またしばらくは男ヤモメ状態です。

で、晩御飯、というか晩酌のアテをナニにするか?と思案したけど、コレ
といって思い浮かぶ食材がナイ。

そんな時は弁当です。近所のライフ(スーパー)で購入したのがコレ。

ちまちま惣菜を買っても一人だと残しちゃいますからね。(この弁当も飯類は残し
たけど、ま、朝食用ってことで)

 

 

 


 

 


本願寺伝道院。

2012年05月16日 07時38分13秒 | 京都非観光迷所案内

 前回の迷所案内はマサシク、迷所でしたが、今回の伝道院は西洋建築に
関心を持つ人には割合知られている建造物です。

西本願寺の東側、堀川通りを挟んでもう一つ大きな門があります。仏壇やお念誦を
商う店が軒を並べている通りであります。経本をメインに販売しているお店もございます。
 

先日知り合ったお父さんは、この経本の製本(和綴じ)を生業とされています。最近はCD
やカセットテープの需要が増えて注文は減っているとか。

まだカセットテープなんて存在しているのも驚きですが購入客の年齢層をかんがみると、
そんなに不思議な現象でもないんですけどね。

また話が迷走しそうなんで、軌道修正。その通りにそびえたつのが、この「本願寺伝道院」。
   

          

伊藤忠太と本願寺の由縁や、大谷探検隊については私のエエ加減なブログより他の資料を
参照にしていただければヨロシイかと思います。

この妖怪的石造物を初めて写真で目にしたとき、これはゼヒ逢いに行かねば、と思ったんです
が、建物の上層部に位置しているものと勘違いしておりました。
  

 
だもんで、いちいち申し込んでまで鑑賞するのもなんだかメンドーだし、まぁいいか、とずっと保留
にしていたんですけどね。まさか路上に面していたとは・・・・・・。

何体かは部分的に欠落していましたが、それは風化によるものなのか、人的な行為による破損
なのかは分かりません。

建造物の保存も大切ですが、私個人としては、この妖怪的オブジェをもう少し大事に残す手段
を何とか考慮していただきたい所存であります。(なんだか政治家みたいなコメントですけど・・)


六条西洞院。

2012年05月14日 12時46分58秒 | 京都商店街巡り

 この通りを商店街と定義してよいものか、若干悩むトコですけどネ。でもこの近辺
で、この数百メートルだけが異界(とは大げさか)なんです。
 

路面もそうだし、街灯もこの通りだけ、こんなのです。↓
       

しかし不思議に思うのはナゼこの筋だけコジャレた通りに変身したんでしょうナ。町内
会費で購入したロト6が当選したんだろうか?

とはいえ、シャッターを閉じた店も数軒目につきました。これはしょうがないか・・・。

   
     やはり、京都の商店街にはなくてはならぬ、和菓子屋さん。

この店はなんだかよく分からない。カラオケも
あり、粉モンのデリバリーもアリの不思議な店舗。パチンコ屋ではないのは確かです。

突き当たりは銭湯。日曜は朝7時から営業しているようです。今度行ってみますか。
      

      

 


でぃぷな居酒屋。

2012年05月13日 12時29分01秒 | おもろい関西人。

 昨日仕事中に、N君から電話がありました。「Tのお母さんの仏壇に線香あげに
行きませんか?」・・・・こりゃまた唐突ですな。

そういえば私、お通夜も葬式も出席できなかったよなぁ。高校時代や卒業後もお世話
になったのに、ずっと心にひっかかっていたんですよね。

そこで仕事を早めに切り上げて夕刻、Tの実家へお邪魔して仏壇に手を合わせて、
ようやく、私の中にあったわだかまりの一つが解消できました。

その後はN君と一杯やるつもりだったけど、Tのお兄さんから、「せっかく来てくれたん
やし、ちょっと飲みにいこか?かなりディープな店やし、紹介しときたいねん。」

Tのお父さんはその店に毎夜かよっているそうです。(ホントに定休日以外ずっと)
お父さん自体がかなりディープなんですけどネ・・・。

その日はTは以前からの約束があって顔を出してなかったんですけど、本人がいなく
ても、その兄と父と一杯やる。この事実をとってもT家のオープンさがうかがえます。

てっきり近所の店だと思ってたら、なんと千本二条ですと。オヤジさん敬老パスで
バスを乗り換えながら皆勤?してるとは・・・・。なんてパワフルなオヤジなんだ。

タクシーに乗り込んで、「ところで、今から行く店って、どんなトコがディープなんです?」
と、お兄さんに聞いたんですけどネ。

「ウン、その店、常連しかこん(来ない)店なんやけどな、平均年齢がメチャ高いねん。
一番若い人で65歳やし。」

おっと、それは飲み屋じゃなくて、ケアハウスじゃないの?と聞いたら、まぁ似たような
もんやナ、という返答。

で、到着したのが出世稲荷の正面。店名だけを記したそっけない看板が・・・・・。通りを
挟んだ向かいにある寿司屋はいったことあるけど、こんな店があったとは知らなかった。

千本通りからちょいと路地を西にはいると、そのお店がありました。想像していた店と違い、
こざっぱりしたアルミサッシの表戸。ガラリとその戸を開けて三人で入店。

カウンターに先客は6名。ん、こりゃ確かに平均年齢は高いぞ。私たちの入店によって平均
年齢がぐっと下がりましたけど、通常ならありえない状況です。

一番端っこに腰かけていたのがクダンのTのオヤジさん。「お~○○かぁ!久しぶりやのぅ。まだ
生きとったんかぁ」(○○はワタクシの名前です。)

いや、順番ならオヤジさんのほうが先に逝くはずなんですけどね。でもそんな順次は関係ない
ほど元気一杯の姿をみて、ホンマ、嬉しくて涙ぐみそうになっちまいました。

とりあえず、三人はカウンター席でオヤジさんたちを交えて飲みだしたけど、次から次へとやって
来る常連さんに席を譲って私たちはテーブル席へ。(来店客はすべて65歳以上です)

常連しか来ない店、というか、こりゃ一見さんは入り込めんぞ、この店。お品書きは一切無し。
だもんで、客はママが出してくれる「おばんさい」などをアテに飲むシステムです。

これは仕入れに無駄がなくていいやね。ただ常連でない客にとってはナニを注文していいのか、
分からないし、出された品が幾らなのかサッパリわからない・・・・。

だから、常連さんだけで維持している店なんでしょうネ。ディープというより「でぃぷ」なお店を
紹介してくれたTの兄貴に感謝です。

 

 

 

 


深草大岩神社。

2012年05月11日 20時58分36秒 | 京都非観光迷所案内

 迷所案内で投稿する際、はたして迷所なのか、名所なのか少し迷ってしまう
場合があります。(だから迷所、という解釈もできますが)

この深草にある「大岩神社」は迷うことなく迷所でアル、とワタクシ胸を張って宣言
できます。と、いうか久々に好みの社に遭遇できた、つうのが正直な感想です。

醍醐と深草を結ぶ大岩街道にドォンと建つ立派な石柱。それには「大岩神社参拝道」
と刻まれています。そういやこの道を行き来しているときに、何度か目にしていましたナ。

この日はその石柱に呼ばれたかのように、ハンドルをきっていました。急坂は行けども
行けども竹藪の中。車の擦れ違いに往生するような細道です。
   

天気のよい昼間だから良かったけど、雨降りの夕方なら途中で引き返したくなるような
藪道です。いや、引きかえそうとしても、Uターンする場所もほとんどありませんケド。

途中でやたら目についたのが不法投棄監視中の看板。10~20mに設置されていま
したね。今は投棄されたゴミはみあたらないけど、以前は酷い状況だったそうです。

ゴルフ場の手前、ようやく道が開けてきた所で、右手に見えてきました、冥界へ、
いや違った社殿へいざなう石の鳥居が・・・。
   

この、ちょっこし荒れ果てた感の参道は、いやがうえにも期待を感高めてくれますナ。
             

祇園社の「牛頭天王」。どういう由緒でここに勧進されたのか?他にも数点歴史が
刻まれた石碑が目にとまりましたが、近くに寄って観察するのはヤメときました。
   

私の野生のカンというか、嗅覚がとらえたのは、マムシの匂い・・・。実際に匂う
のではなく、六感がそう告げているのであります。

仕事中にこんな山の中でマムシに噛まれた日にゃ、シャレになりませんワナ。

見えてきました、社務所の一部。参拝者用の新しい蝋燭が、かろうじて廃屋(社)で
はないことを示していました。
 

この提灯と山のように積み上げられた古い札、エエなぁ・・・。
 

このまま時代劇のセットに使えそうです。さしずめ盗賊たちの隠れ家といったトコです。
   

こちらは多少なりと人の気配が感じられましたね。(この黒電話は使用できるんだろうか?)
   

また、ハゲチョビ奉納額のコレクションが増えたぞ。これは衝立になっていますが、以前は
奉納絵馬だったと思います。
   

たとえ荒廃した社とはいえ、ちゃんと参拝はいたします。柏手を打ち、頭を垂れていた時、
隣の社殿でも柏手を打つ音が・・・。ハッとして首をそちらに向けたけど誰もいない。

恐る恐る隣の拝殿に近づいて確認したら、小さな小さな社殿の中に小さな神職の老人が
一心に祝詞をとなえていはりました。

ちょっと人心地ついたけど、あれは本当にヒトだったんだろうか?まさかムジナ?
それは冗談ですけどね。

由緒所以の書かれた立札ですけど、なぁんにも読めませんやね。
   

大岩街道沿いの石柱をはじめ、参道の石灯籠や鳥居などの石材は最近リニューアル
された様子です。

もしかしたら、石関係から修復が手がけられているのかも知れません。他の推理もでき
るけど、まぁ、別にいいや。こんな鳥居は初めて見ましたね。
      

この大岩神社は迷所案内でもかなりいいとこに位置します、って勝手な私の好みです
けど・・・・・。ブログくらい勝手にさせてくれい!。(最近フラストレーションが溜まり気味?)