秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

路地。

2012年04月17日 06時05分01秒 | 路地と廃屋

 人の暮らしている匂いは好きなんだけど、人ごみは苦手。だからこんな
風景や被写体に出会うとカメラを向けてしまう・・・。

 

    

今さら自分の心理分析をしてもしょうがないから、あまり深く考えずシャッターをきっております。
 

ま、世の中、役にたつモンばかりじゃ、つまりませんやね・・・・・。


廃屋?に住む人。

2011年12月01日 20時14分40秒 | 路地と廃屋

 一目瞭然で廃屋と分かるのが廃屋たるゆえんだと思うんですけどね。空き家なの
か廃屋なのか、そのあたりがビミョーな物件もあります。しかしこの建物は360度どこ
から見ても廃屋です。↓

同じ敷地内の廃屋。野良猫が家主さんでした。

しかし三棟のうちの左の家屋にカメラを向けて、フト、シャッターを押すのをためらった
のは、なんとなく生活臭が漂っていたんですよね。

その時、釣り道具を持った男性がこの家の前に現れ、ためらうコトなくその家屋に・・・。

良かった、廃屋扱いしなくて・・。犬を散歩させているご近所のおっちゃんに「今日はどう
やったぁ?」と聞かれて「あかん、ウグイ一匹(尾)だけや」なんて答えてましたけど。

ん~、その釣りってのは趣味なのか、蛋白源の補給のための漁なのか・・・・・・・・・?

 

 


全和鳳美術館。

2011年11月11日 20時18分40秒 | 路地と廃屋

 この廃屋は3年ほど前にチラッと紹介したんですけどね。三条通り(蹴上)を通過
するたび、昔から気にはなっていたんです。

ただ、あの時は、この先の病院に親が入院していたもんで、見舞いの途中に、サクッ
と撮影したのにとどまりました。

この先、退院する希望のない父親を見舞うにあたって、廃屋をキッチリ探索する気に
はとてもならなかったのであります。

父親が他界してからも、車で走行中、横目でチラリと眺める程度でしたが、今回その
近くに偶然用事ができたもんで、あと数カット写真に収めた次第です。

了徳寺が京都最大、相撲で言えば横綱級の廃屋なら、この美術館は大関クラスの
廃屋です。これくらいの廃屋になると不謹慎なヤカラがおいそれとは訪れません。

下部に人が現住しておられることもあるのでしょうが、落書きなどの荒廃した様子
が見受けられないのは、好ましい廃墟といえるかもしれません。(内部までは探索
していないので、現状は不明ですけどね)

この不ぞろいの階段、ワタクシ好みです。↓

階段を登りきった先にあったお地蔵さん。この先は墓地で行き止まりでした。

この建物にはまだ、謎が多く潜んでいそうですが、それはまた、おいおい解明して
いくつもりです。(いつになるかは分かりませんケド・・・・・。)

 


大枝の廃屋。

2011年10月04日 06時58分02秒 | 路地と廃屋

 最近廃屋のカテゴリーから遠ざかっていますけど、これは前にも言いましたが、
ワタクシ、廃屋フェチでもマニアでもございません。

たまたま通りかかって気に入った(ってのもヘンですけど)被写体があったら、
カメラを向ける程度です。最近旅したり、市内を徘徊する機会がなかったも
んで、必然的にこのカテゴリーへの投稿が少なくなっていまいました。

今回は洛西近辺をうろついていて発見した物件です。廃屋というより廃寺で
すな。この瓦の崩れかたといい、草生した石段といい、かなり私好みですョ。

背景の竹藪との取り合わせも「侘びサビ」感があって、たいへんケッコウです。

こうして瓦が一枚づづ剥れ落ちていき、やがて土に返るのでしょうね。

この廃寺を発見したのは明日紹介する大枝神社をたづねて、その傍らに目を
やって見つけたんですけど、神社となんらかの関係があったのかも知れませんね。

「仏ほっとけ神かまえ」といわれた明治の神仏離合令以前は住職が神主を兼ね
ていた例もあるそうですから。

この寺が廃寺になったのはそんなに古い時代ではなさそうですけどね。ワタクシ
思うに、廃寺の例はたまに見聞きするけど、神社の廃社?はあまり例がないよう
な気がします。

どんな小さな社でも、たとえ神主が居なくても氏子がいる限り、維持されていくの
でしょうか。寺の場合、住職が居なくなると廃寺になってしまう場合もあるけど。

でも、人知れず撤去された社なんかもあるんでしょうね。(迷所案内 消えた寛山石)


等持院の廃屋風家屋。

2011年01月17日 10時21分34秒 | 路地と廃屋
一度訪ねようと思ってなかなか機会がなかった寺の一つが「等持院」です。

今回は白梅町の「お首地蔵」さんをお参りしたついでに足を伸ばしてみました。
京福白梅町駅。なんだかこの駅のホーム、哀愁が漂っていると思うのは私だけ?

白梅町の次の駅なんだけど、料金は200円。嵐山まで乗り継いでも同じ料金です。
なんだか理不尽な気もするけど、小雨も降ってるし乗車しましたけどね。

(帰りは歩いたもんね。だって遠くに白梅町駅が見えてるんですから)

で、本来ならここから「等持院」の話題に入るべきなんですけど・・・。

つい、こんな家屋と出会うと立ち止まってしまう。「等持院」とその寺を訪ね
ようと思った理由は次回にゆずります。別に急ぐ理由もないしね。

等持院駅を降りてすぐ遭遇した二軒の家屋。多分もう人は住んでいないと思う
けど、あからさまに廃屋と呼ぶ自信はない。空き家らしき家というべきかも。
  









煙草やと印刷やさんだけど、営業は完全になされておりません。建造物といい荒れ
果てた庭といい、マサシクワタクシ好みです。

このテントの「侘びサビ感」もよろしおますなぁ~。

この近辺は古くから開発分譲された土地なので、古くて趣のある家屋が多く見受け
られましたね。一軒はリホームの最中でしたがエエ感じの建物でした。

新しく建てられたアパート(マンション?)もナカナカオシャレでしたけど、私の
場合、やはり古い家屋がよろしおす。(なぜか今日は京都弁が混じるぞ)


では次回はいよいよ「等持院」です。(予告するほどたいそうなモンではありませんけど)

憧れの。

2010年11月27日 10時07分11秒 | 路地と廃屋
廃屋ではありません、この家。ただ人が住まなくなってかなりの日数を経ている空家です。

ほっておくとホントに廃屋になってしまう恐れはありますが、管理者がときどきやって来て
窓の開け閉めなど、手入れはなされている様子です。

そりゃそうだ、これだけの建物、朽ちるがままにしておくのはもったいないもんなぁ。

フェンスで覆われているので分かり難いけど、玄関は洋風と和風を会わせた建造になって
います。市内でも時折見かけますが、こういった建築が流行した時期があるのでしょうね。

もしかしたら、改修工事がなされるのかも知れませんが、できるだけ原型を残した状態で
改築して欲しいもんです。(他人の家なのに大きなお世話か・・・。)

建物自体にも魅力がありますけど、なんといってもロケーションが良いのです。川を挟んで
見えるのが桂離宮。昔は川沿いの自動道もなかったから、さらに眺望が良かったと思えます。

庭や離れの建物、土蔵もあり、かなりの資産家だったのでしょうね。いったいどんな商売を
していたんだろう?かつてこの辺りは材木の集まる船着場だったといいます。

もしかしたら、そんな商売をしていた家系だったかも知れませんナ。こんな家に住んで二階
からボンヤリ川面を眺めてみたいもんです。年末ジャンボが当選したら考えてみるか・・。

万が一当選しても他のことに使ってしまうと思うけど。と、いうかまだ買ってもいないし。

ところでこの場所あたりに小さな駄菓子屋があったとおもうけど、この家と関係があったん
だろうか?なんせ遠い昔の話だし、ダレも覚えてないだろうなぁ・・・・。

覆面屋敷。

2010年11月10日 08時50分14秒 | 路地と廃屋
蔦の絡まる建物、といえば洋館(蔦のからま~るチャペルで~♪なんて懐メロもありました)
とか、関西人なら甲子園球場を思い浮かべるところです。

この物件は、絡まそうと思って蔦を植えたわけじゃなくて、廃屋となってから勝手に繁殖
した感じですね。なんだか覆面しているように見えますナ。

近年の京都市内では町屋ブームで、店舗や宿泊設備などに改装されて人気物件となっていま
すが、この手の建物はいったん廃屋となってしまうと果てるがママにされているケースが多いようです。

しかしお隣は気にならないんでしょうか?かなり侵食してきてますけど・・・。
余計なお世話か、うん、余計なお世話ダナ。


獅子瓦の館。

2010年10月27日 16時11分35秒 | 路地と廃屋
この家はまだ人がお住まいの様子なので、「路地と廃屋」のジャンルに含めてよいものか
迷ったんですけど、「廃屋的オブジェの館」として特別に登録させていただきました。

こういう家を見るにつけ、いったいどんな人が住んでいるのかと興味深々です。でも訪ねる
勇気はありませんけどネ。

正面中央の瓦。撮影したときは鬼瓦だと思ったんですけど、よく見たらライオン(獅子)
のようです。不動明王にも見えるけど、あまり見かけたことがない瓦です。

その横になぜか錨。余計なお世話だと思うけど、重みで手すりが落ちないか心配です。

ときどき古道具を商う店で、このようなオブジェの館を目にするけど、ここは普通?の家屋
の様子です。家の中も覗いてみたいけど、ちょっこし怖い気もするナ・・・・・。

ところで話はまったく変わりますけど、昨日突然携帯が壊れてしまった。

お昼前、ジーンズのポケットに入れていた携帯が「ポコペン」(と、聞こえたんです)と
鳴ったから、けったいな着信音やな、と取り出してみたら、なんと液晶が真っ黒ケ。

何度か電源を入れたり切ったりしてみたけど、かすかに縦線がみえるだけ・・・。

すぐにauの店にもって行って代用機を借りて帰ったけど、あの「ポコペン」は携帯の断末魔
の悲鳴だったのか・・・・・?

ジャングル的廃屋。

2010年06月16日 08時21分20秒 | 路地と廃屋
この廃屋、じっくり見ないと家屋の存在に気がつきません。日当たりがよいのか、土壌に
栄養分が多く含まれているのかカンペキに森林化しています。

土壌の栄養分といえば、昔は墓場の周りにお茶の木を植えることがあったそうですが、異常
なほど育ちが良いんだとか。(無論、土葬の墓場の場合ですけど)
    

と、いうことは・・・。なんて怖いことは考えないでおきましょう。

かろうじて崩れかけた屋根が見えています。

室内。無断で立ち入ったりしていませんよ。塀の外から一枚撮らせてもらったけど、ヘンな
モノが写ってなくてよかった・・・。


ここまでジャングル化するまでどれくらいの月日をようしたんでしょうね・・・。

ガード下の昭和。

2010年03月31日 09時05分59秒 | 路地と廃屋
ガード下、と聞いて思い浮かべるものでそれぞれの生まれた年代や環境が分かる気がしますね。

「ガード下の靴磨き」・・・、これはさすがにワタクシの時代ではありませんナ。

「飲み屋街」。これはやや近いけど、京都のイメージではありませんね。というか、京都
とガード下ってのがあまりフィットしないもんなぁ。

私の場合、思い浮かべるのは神戸三宮のガード下。高校時代はよく買い物にいったもんです。
ちょっと色気付いた頃で京都では手に入らない服や小物を求めてあの下をウロウロしてました。

そうそう京都のガード下の話でしたナ。数少ないけど京都にもガード下の暮らしが存在します。

ここは阪急嵐山線のガード下。両脇は端整な住宅街ですが、ここだけ昭和の香りが濃厚に残る
貴重な区画です。



  
以前はそこそこ賑わった商店街だったと思いますが、今では半数以上の店はシャッターが
閉じたままの状態です。

  
↑こんな壁面も高架下ならでは。更地になっている所も数箇所見受けられました。↑ 

  
↑この手描きジーンズの店は営業中。頑張ってください! 

京都に限らず、ガード下は倉庫として活用されている場合が多いようですが、このように
生活感漂う空間もワタクシ好みです。