秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

秀明百話13.親父と怪異現象。

2009年02月28日 07時00分00秒 | 秀明百話
母親はけっこう信心深いほう(と、いっても特定の宗教にハマッテたわけじゃなく、
墓参りや初詣は欠かさなかったくらいですが)でしたが、父親は超がつくほどの
現実主義者。よくまぁ60年も連れあったもんだ。

先月逝ってしまったけど、夢枕にたつとか、ムシの知らせなんかも一切無し。

ところが夜伽の晩に皆で集まったとき、一度だけ不思議な体験をして、
父親もあれだけは否定できなかったな、という話が叔母からでました。

ある夜、夫婦で電気を消してテレビを見ていたそうです。

最初に気がついたのは母親でした。

「お父さん、あれ見て。なんやろ?」と母親が指さしたのは襖の一枚。

見ると、白い襖になにか光の輪がはっきり映っていたそうです。

「これ、お墓に彫ってある家紋やで・・・・。」

すると、二人の見ている前でその家紋は少しづつ光度を弱めていき、そしてふっと消えた・・・。

その瞬間、電話のベルがりりーンと鳴って。

電話は親戚(友人だったか、忘れました)が無くなった、という連絡でした。

それ以来父親は信心深くなったか、といえば、相変わらず初詣にも行かない不信心
ものを通してましたけどね。

でも母親が時折口にする変異を頭ごなしに否定することは少なくなったようです。

今ごろ母親に「ホレ見てみなはれ、やっぱりあの世てあるやろ」なんて言われて
いるんでしょうかね。

仙台の廃屋。その2.

2009年02月27日 03時12分12秒 | 路地と廃屋
いや、別に1.2と2回に分けるほどのものでもナイんですけど・・・。

この廃屋、それほど古い建物ではないと思われますが、二階の丸窓がポイントUP。

しかし、仙台東口、どうしてこんなに急速に開発が進んでいるのか?

経済の活性化、という意味では必要な事業だとは思えますが、すでに近辺には
かなりのマンションが建っています。そんなに需要があるのでしょうかね。

建てている間は活性するでしょうが、建った後までのことまで考えてるのだろうか。
なんて事をワタクシが心配してもしょうがないか・・・。

以前伊丹空港の上空から大阪の街並みを眺めたとき、夕日を反射したビル郡が
なぜか御影石でできた墓標に見えて、不思議な思いにとらわれました。

ピラミッドや古墳はいわば大型のお墓。現代のビルも言い換えれば大きな墓標なのかも。


一昨日の朝から、寝違えたのか首が痛くて辛いぞ。歯はようやく歯医者で抜歯して
もらって楽になったけど、一難去ってまた一難・・・・・。

体が廃屋化しつつあるのかも?



仙台の廃屋。その1.

2009年02月26日 06時23分10秒 | 路地と廃屋
昨日は3時過ぎから撤収を始めて、4時前に着物をボテ箱に詰め込んで、挨拶も
そこそこに、店のスタッフに駅まで送ってもらい、9時前に京都着。

いつも地方催事はそんなもんですから、観光とは無縁の旅です。

基本的には店(会場)とホテルの往復だけで、全国どこ行っても同じです。

ただ、私の場合朝の目覚めが異常に早いもんで、雨の日以外はカメラ片手にホテル
近辺の散策を楽しんでます。

名所旧跡以外にも、その土地土地の暮らしを感じることができる、路地裏散歩
や、まだ開店していない商店街を歩くのもまた良し。(ずっと開店しない商店街もあるけど)

今回のホテル近辺は開発中の荒涼とした土地で、散策場所としてはイマイチでした
が、それでもワタクシ好みの「廃屋」はしっかりカメラに収めてきました。

廃屋の素材として一番好もしい?のは木造建築でプレハブはかなり下位に位置します
が、今回は中空である、という構造と周囲の枯れ木が良いアクセントになってます。

今朝の徘徊。

2009年02月25日 07時00分16秒 | 旅ゆけば
今朝は4時過ぎに目覚めてしまった・・・。

いくらなんでも早すぎるから二度寝をしようとしたけど、眠れない。

しようがないからベッドの上でボンヤリ過ごしながら夜明けを待っていました。
朝食までそうしていても良いのですが、この部屋は禁煙ルーム。

別に窓開けて吸ってもいいんだけど、仙台のピリッと冷えた早朝の空気が吸いたく
て(ついでにタバコも)今朝も東口を散策。

昨日も書いたけど、この辺り宅地開発中で、見ていて楽しい風景ではありません。

が、昨日の朝、車で店に向かう途中でちょっと気になった場所があったので、
ブ~ラブラタバコを吹かしながら探索。

更地にするための造成地に、取り残されたような社が数社。

開発の波にかろうじて飲み込まれまいとする姿がけなげ(なんていうとバチあたるか)
で、早朝から参拝させていただきました。

寺も数軒ありましたが、こちらはすべてリニューアルされて、立派な建物に改築
されていましたね。うまく造成の波に乗っかったんでしょう。

さて、仙台催事も今日で終了。帰ったら引越しだ。

その前に歯医者だった・・・・。

仙台の朝散歩。

2009年02月24日 06時57分45秒 | 旅ゆけば
相変わらず爺化進行中。だもんで今朝も早起きです。

ホテル近辺(東口)は最近開発された様子でマンションばかりで、散歩道としては
イマイチなんですけど、近くに「躑躅岡天満宮」があったから、朝飯前の散歩。

なんだか最近天満宮に縁があるなぁ・・・・。

歩道は一部凍結している場所もあって注意しながらの散歩でした。

霜柱踏んだのは何年ぶりだろ・・・・。

紗合わせな禁煙ルーム。

2009年02月23日 19時00分48秒 | 旅ゆけば
写真は紗と紗を合わせて「しゃあ~わせ(幸せ)」。そんなベタな事は言ってませんョお店では。

三日間催事初日終了。その後仙台の夜の巷をブ~ラブラ。したけど寒い!!

そそくさとホテルに帰ってイッパイやってます。

まだ歯の治療してないもんで、仙台名物の牛舌なんてとんでもない!冷奴などの
歯にお優しい食物とあとは液体・・・・。

ホテルは「東横イン」。このホテル、ベッドはセミダブルだし、パソコンの環境も
整っているから、悪くは無いけど、朝食がねぇ・・・。

全国共通の「型押しオニギリ」&「味噌汁」オンリー。無料だから文句言えませんけど。

夜は液体(焼酎)中心で固形物を摂取しないワタクシとしては朝食で栄養のバランス
を摂りたい。ま、勝手なイ~ブンですけどね。

ところが今回の仙台東横イン、スクランブルエッグやウインナ、パンまで用意され
てます。これは仙台だけなのか?それとも全国的に改良されたのか?

また今度他の東横インに宿泊したときにでもチェックしてみよう。

それはいいけど、今回リザーブされた部屋は禁煙ルーム

喫煙の部屋に代えて欲しいと言ったけど無理でした。

「お~、そうかい、んならトイレで隠れて吸ってやるさ。高校時代みたいに
水流しながら吸うと煙も一緒に吸い込まれるもんね。」

なんて裏技使ってまで吸うこともないか。

三日間だけ夜は禁煙タイムにしとこ・・・・。



仙台に着いたどぉ~!

2009年02月22日 19時05分31秒 | 旅ゆけば
仙台に来たのは何年ぶりだろ?

今回は仙台駅から一駅先の東仙台が催事会場。(ホテルは仙台駅)

仙台駅に到着してまずはホテルにチェクインして、その後会場(お店)へ挨拶
と視察をかねて在来線で東仙台へ。

仙台駅から一関方面行きのホームへ行くと、ちょうど電車が停車中。

車中には乗客の姿も見えますが、ドアが閉まってるではないですか!

しまった、乗り遅れたか!?

と、思ったけど、いっこうに発車する様子がない・・・・・。

ドアの前まで行ってよく見りゃ、乗車の際はボタンを押してくださいだと。

なるほど、開けっぱなしだと車内の温度が下がるわけだ。

ボタンをプッシュして無事乗車。

ところが降りるときに、そのシステムをすっかり忘れてました。

東仙台駅で降りようとしてドアの前にたったけど、ドアが開かない!

気づいて慌ててボタン押したけど、危うく乗り過ごすとこでした。

明日から三日間、仙台暮らし。思ったほど寒くなかったけど、まだ路面には
雪が残っております・・・・。

円丸市場。

2009年02月22日 06時12分41秒 | 京都商店街巡り
マーケットの意味は単純に訳すと市場なんですけど、私のイメージでは小さな
商店が寄せ集まった商業スペース。

東京あたりでは、終戦後、焼け跡に出現した露天商の集合地帯といった所でしょうか。
(闇市と呼ばれ、映画や小説の舞台となったりしていますね。)

京都にはほとんど空襲がなかったので、関東(以外にも)のマーケットの定義
(そんなモンがあるのかは知らねども)とは少しニュアンスが違うかも知れません。

ワタクシの勝手な解釈ですが、京都のマーケットは路地に集まった
商店。その商店の間に屋根を渡したのが原型ではなかろうか?と考察しとります。

路地は「ろじ」と発音するけど、京都人は「ろうじ」または「ろおじ」といいます。

そんな「ろおじ」商店の匂いを残したマーケットもほとんど見かけなくなりました。

この円丸(円町丸太町という意味)市場は数少ないマーケットの一つ。

花屋と饅頭屋の間に数件の乾物屋、八百屋が営業されていますが、半分くらいは
廃業。隣の卓球場とともに永久保存して欲しい・・・・・。

今日から25日まで仙台にて催事。寒いやろなぁ・・・・。

松尾大社のオマケ。

2009年02月21日 06時53分43秒 | 京都非観光迷所案内
今ではお酒の神様として、全国の「お酒関係者」に知られる神社ですが、元は
「秦氏」建立の由緒のある社で、大社となったのは明治から。

写真はお酒の博物館、入場無料。

私が子供じぶん暮らしていた七条には、この大社のお旅所がありました。

毎年四月の最終の卯の日(今は日曜かな)に「おいで」、と呼ばれる神輿渡りの
行事が待ち遠しくて、「おかえり」で神輿が大社に帰ったあとは寂しかったなぁ。

あの頃は屋台が御前通りにずら~っと並んでいたけど、今はズイブン寂しくなりました。

少子化にも原因があるけど、今は家でパソコンやゲームのほうが楽しいんでしょう
かねぇ。

余談ですが、嵐山はアラスダ(荒洲田)にある山。アラスは松尾の古名だそうです。

余談ついでに、この三日間、晩酌のアテにず~ぅと肉ジャガ食べてます。
これは相方が出張前に大量に作り置きしてくれたもんで。

余ったら冷凍しとけばイイヨ、て、言われてるんですけど、ワタクシ、美味い
ものなら、同じものを毎日食べ続けても平気です。(限度はありますけどね)

母親はそれが出来ず、毎晩の親父の晩酌のアテに苦労してたなぁ・・・。

松尾大社の人面岩。

2009年02月20日 07時08分38秒 | 京都非観光迷所案内
松尾大社は以前とりあげましたから、今回は説明はしませんが、その松尾神社の
奥、小さな滝の前の鳥居の上に注目。

正確には人面岩ではなくて、天狗の顔らしいんですけどね。

自分のカメラでも撮影したけど、アングルや光のあたりかたが違っていたんでしょう、
天狗さんらしき顔は見えませんでした。

そこで鳥居の前に立てられていたパネルを撮影。

たしかに天狗、というか顔ですね。

嵐山への通過地点みたいに思われがちですが、この神社には惹かれるモノがあります。
(境内の横のアパートの一室を、自宅とは別に借りていた時期がありました。)

またまた話は迷走しますが、この松尾大社に鮎を献上していたのが福知山市の私市。

私市は「きさいち」と読みます。第三十代の敏達天皇時代に皇后の世話を行う
私市部という役職が置かれた土地なのですが、母親の出身地が、この私市。

その後結婚して、長らく暮らしていたのが松尾大社の「お旅所」のすぐそば七条御前。

そして私の兄が今住んでいるのは交野市にある「私市」。

ただの偶然といっていまえば、それまでなんですけどね。

「加茂の厳紳、松尾の猛霊」といわれた「松尾大社」、探せばまだ不思議話が
出てきそうです。因みに正確な読方は「まつお」ではなく、「まつのお」です。