母親はけっこう信心深いほう(と、いっても特定の宗教にハマッテたわけじゃなく、
墓参りや初詣は欠かさなかったくらいですが)でしたが、父親は超がつくほどの
現実主義者。よくまぁ60年も連れあったもんだ。
先月逝ってしまったけど、夢枕にたつとか、ムシの知らせなんかも一切無し。
ところが夜伽の晩に皆で集まったとき、一度だけ不思議な体験をして、
父親もあれだけは否定できなかったな、という話が叔母からでました。
ある夜、夫婦で電気を消してテレビを見ていたそうです。
最初に気がついたのは母親でした。
「お父さん、あれ見て。なんやろ?」と母親が指さしたのは襖の一枚。
見ると、白い襖になにか光の輪がはっきり映っていたそうです。
「これ、お墓に彫ってある家紋やで・・・・。」
すると、二人の見ている前でその家紋は少しづつ光度を弱めていき、そしてふっと消えた・・・。
その瞬間、電話のベルがりりーンと鳴って。
電話は親戚(友人だったか、忘れました)が無くなった、という連絡でした。
それ以来父親は信心深くなったか、といえば、相変わらず初詣にも行かない不信心
ものを通してましたけどね。
でも母親が時折口にする変異を頭ごなしに否定することは少なくなったようです。
今ごろ母親に「ホレ見てみなはれ、やっぱりあの世てあるやろ」なんて言われて
いるんでしょうかね。
墓参りや初詣は欠かさなかったくらいですが)でしたが、父親は超がつくほどの
現実主義者。よくまぁ60年も連れあったもんだ。
先月逝ってしまったけど、夢枕にたつとか、ムシの知らせなんかも一切無し。
ところが夜伽の晩に皆で集まったとき、一度だけ不思議な体験をして、
父親もあれだけは否定できなかったな、という話が叔母からでました。
ある夜、夫婦で電気を消してテレビを見ていたそうです。
最初に気がついたのは母親でした。
「お父さん、あれ見て。なんやろ?」と母親が指さしたのは襖の一枚。
見ると、白い襖になにか光の輪がはっきり映っていたそうです。
「これ、お墓に彫ってある家紋やで・・・・。」
すると、二人の見ている前でその家紋は少しづつ光度を弱めていき、そしてふっと消えた・・・。
その瞬間、電話のベルがりりーンと鳴って。
電話は親戚(友人だったか、忘れました)が無くなった、という連絡でした。
それ以来父親は信心深くなったか、といえば、相変わらず初詣にも行かない不信心
ものを通してましたけどね。
でも母親が時折口にする変異を頭ごなしに否定することは少なくなったようです。
今ごろ母親に「ホレ見てみなはれ、やっぱりあの世てあるやろ」なんて言われて
いるんでしょうかね。