yoosanよしなしごとを綴る

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「遊戯神通 伊藤若冲」斜め読み2/3

2024年03月07日 | 斜読

 book562 遊戯神通 伊藤若冲 河治和香 小学館 2016

明和4年(1767)淀川下り                         
12 月下夜船 
  若冲に大坂の吉野五運から、美以の父竹内式部(垂加神道の第1人者、瀑布転覆の讒言で都を追放されていた)の島流しを知らせる書状が届き、若冲は美以を急がせ、大坂に向かおうとする。
 夕刻に伏見から船に乗り淀川を下れば明朝に大坂天満橋に着くはずだが、伏見の船は出たあとだった。運良く、もと臨済宗相国寺慈雲庵の住持・大典禅師が船で大坂に下るよころだったので、同乗させてもらう。「若冲」は、大典禅師が老子のことばの「大盈若冲」から名づけたのであった。
 「大盈若冲」は、満ち足りていれば空虚に見えても尽きることが無いという意味で、まさに若冲の生き方を体現している。
 大典禅師も竹内式部を知っていて、江戸永代橋から二度と戻ることのできない八丈島への島流し、と若冲に話す。美以は別れた父の島流しに驚き、疲れと船の揺れでいつの間にか眠り込む。気づくと、若冲は巻紙に淀川の風景の墨絵を描いていた。美以は巻紙の墨絵が人生の流れのように思えた。
13 浪花の風 
 若冲と美以が大坂吉野五運の家に着いて、竹内式部は半年前に江戸に送られていたことを知らされる。
 五運の勧めで木村蒹葭堂を訪ねると、蒹葭堂の娘が美以に奥村正信の石摺絵や鈴木春信の浮世絵を見せる。美以は自分も作ってみたいと眺め、若冲の近くで生きていることが誇らしく、嬉しく感じる。
14 蓮花 
 京に戻った若冲が、美以に蓮の花の音を聞きに行こうと誘う。夏の早朝、宇治萬福寺で蓮の花の音を聞いたあと、寺の一室で、若冲は美以に淀川で描いた風景の拓本を見せる。烏の濡れ羽色のような黒色と淡い蝉の羽のような薄墨色を巧みに使い分けた拓本を見て、美以は若冲の絵そのものに経典のような異次元の世界を感じる。
 帰りに蓮池で蓮の甘い香りに包まれ、美以は若冲と同じ香りに包まれているのが無邪気に嬉しく感じる・・美以が若冲に引かれていくのだが若冲は無頓着で読み手をハラハラさせる。河治氏の筆裁きである・・。
15 踵の紅 
 若冲が、引退して茂右衛門を名乗り、白歳が5代目枡屋源左衛門、6代目は宗右衛門、美以はいったん吉野五運の養女にし宗右衛門と妻合わせる、と言い出す。
 美以が白歳に確かめると、白歳は妾の子で、若冲が10歳になっても鈍なため7歳になった白歳が枡屋に引き取られた、若冲は陰に日向に白歳をかばい守った、と話す。白歳は、若冲は美以のことが気に入ったので、一番似合いと思う人に妻合わせたとも言う。若冲には執着心がないのか、美以には(読み手も)若冲の本心を測りかねる・・河治氏は読み手の想像力を膨らませようとする・・。
 美以が若冲のそばにいたいという自分の気持ちを話せないでいると、若冲は美以に、宗右衛門は自分の子だと話し始める。若冲は明清の絵画にあこがれ、若いとき長崎に2年いて中国の沈南びんの弟子・神代熊斐に絵を学び、そのとき親しんだ女に子どもが産まれ、子どものことを知らず京に戻ったが友人が5歳の宗右衛門を連れてきた、両親が許さなかったので弟として迎えた、と打ち明ける・・若冲が2年間、丹波の山奥に籠もったとの説があるが、河治氏は長崎で絵を学び、その間に後述の女性とのあいだに子が生まれた話を構想したようだ・・。
 いったん五運の養子になった美以は、父竹内式部追放は権大納言に返り咲いた園基衡が美以を妾にしたいと言ったのを竹内式部が断ったのが理由らしいことを五運から聞く・・権力者はいつも横暴で、そのため不運に生きなければならないのはいまも変わらない・・。
16 群燕
 宗右衛門は、美以との婚礼を終えた夜、夫婦は形だけ、自分は遊女といると気が休まると出かけてしまう
 若冲は金刀比羅宮の障壁画を描くため讃岐国に出かける。
 残された美以は、「玄圃瑶華」の版木で石摺を試し始める。玄圃瑶華を摺ったのは本願寺に居住している70近い松下烏石で、教えを乞いに行くと、松下烏石は父竹内式部が八丈島に行く途中の三宅島で死んだと話す。美以は動揺を隠し、松下烏石から玄圃瑶華の石摺は唐様の紙で、薄い雁皮紙を使ったことを教わる。
 家に戻った美以は、若冲の描いた黒地に白く抜ける絵の美しさに心を静める。

明和5年(1768)鴨川西岸 心遠館
17 鬼鳥 
 突然、東町奉行所から錦市場を差し止める通達が来た。五条市場が冥加銀を年に15枚上納していて、錦市場が冥加銀年16枚の上納を申し出ると差し止めが解除になった。五条市場は、冥加銀を30枚出すので錦市場を差し止めるよう誓願する。五条市場は錦市場をつぶし、京の市場を独占しようとしているらしい。
 宗右衛門は、若冲が金刀比羅宮の障壁画に専念しているあいだに錦市場差し止め騒動の決着つけようと、五条市場を取り仕切っている明石家の半次郎に会いに行くことにする。
 宗右衛門の出かける支度をしていた美以は、いつも帰ってくると女の匂いが残っている、女は島原住吉楼の鬼鳥太夫と言い当てる。鬼鳥は唐から渡ってきたといわれ、胡弓の名人で、唐から取り寄せた薬を飲むから体から芳しい香りがする、美以は島原の遊郭住吉楼に売られ、そこで美以が6枚の下絵を描いた花鳥の打掛を着た鬼鳥に出会い、鬼鳥の部屋の引船女郎になり、鬼鳥の飲んでいた薬を飲まされた、と打ち明ける・・ついに美以の正体が明らかになるが、河治氏の仕掛けはまだまだ続く・・。
 島原にやって来た五運が美以を根引きし、若冲に引き合わせ、そして宗右衛門の妻になったのである。その話を聞いて激情した宗右衛門は力尽くで美以と交じりあい、事を終えると部屋を出て行ってしまう。
18 鳥兜 
 宗右衛門が出て行った夜、美以が独り寝していると白歳が飛び込んできて宗右衛門が死んだことを知らせる。宗右衛門は五条の明石家で酒肴をたしなんでいて、突然嘔吐し息絶えたそうだ。宗右衛門は出かける前に30両を持ち出していたが、その30両は消えていた。
 その後、奉行所、五条市場、錦市場の悶着が描かれる。枡源はすべて後手後手に回り、窮地に陥っていたところに若冲が戻ってくる。途中で宗右衛門の死を聞いていたが、戻ってきた若冲はごたごたを棚上げし、以前に買っていた鴨川の西、四条と五条のあいだの心遠館と名づけた屋敷に引き籠もり、動植綵絵に没頭する。
 美以は疲れ果ていつの間にか心遠館に来ていて、気を失う。助けた若冲は美以に女房になるかと言うが、美以は遅すぎたと断り、若冲に真相を問いただす。若冲は、長崎で契りを交わした女と海を渡って逃げようと艀で待っていたが女は消え、ユニコーンが届いた、そのユニコーンを形見と思い印にしたと話す。美以は若冲の気持ちを理解し、若冲の手に自分の手を重ねる。
 若冲は動植綵絵30幅を完成させ、続いて釈迦三尊像3幅を描き上げ、すべてを相国寺に寄進し、自分の墓を建立して永代供養料を納めたあと、動き出す。
 若冲は錦市場に野菜をおろしていた近郊の名主に自ら頭を下げ、協力を依頼する。さらに江戸に行って直訴しようと考えているようで、美以は死なないでと涙を流す。
19 鷽鳥 
 鷽(うそ)換えの神事の日、美以は島原の幸天満宮に参拝し、郭にいたとき世話になった下働きのお鈴に会い、鬼鳥に会う手はずを頼む。鬼鳥に会った美以は宗右衛門が死んだことを告げると、鬼鳥は驚き、悲しむ。
 気を取り直した鬼鳥は美以に、あの人は達者で絵を描いているかと尋ね、帰り際の美以に若冲が描いた下図をもとに美以が下絵を描いた花鳥図の打掛の袖の裂を渡す。お鈴の話で、宗右衛門は鬼鳥を身請けしよう30両を渡すが、鬼鳥が断ったことも分かる。
 ・・若冲が契りを交わしたのが鬼鳥で、宗右衛門は若冲と鬼鳥の子であることが明らかになる。鬼鳥の打掛の下絵は美以が若冲の下図をもとに描いたこと、美以は遊郭に売られ、その打掛が縁で鬼鳥の引船女郎になり、唐の薬を飲んだので鬼鳥と美以は芳しい香りを放つことなどなど、河治氏の構想は奇想すぎる・・。
20 革叟 
 美以のお腹が目立ってきた。宗右衛門の子である。枡源を出ても子どもと生きいく助けになればと、美以は下図書きを始める。
 若冲は、突然剃髪し僧形となり、萬福寺で「革叟」の道号を貰う。 ・・フィクションと史実が巧みに織られているのが小説のおもしろさである・・。
21 お精霊 
 盆を迎える準備をしていたフジと白歳は美以を誘い、六道辻の珍皇寺に行く。フジは美以の体に気づいていて、元気な子を産むためにと、フジの実家の分銅屋に丈夫な子を産める薬を手配する。
 フジは15で嫁いだが子ができず離縁され、白歳に見初められて再嫁した、白歳は宗右衛門が跡取りだから子がいない方が面倒にならないとフジを口説いたそうだ。その宗右衛門が死んだいま、美以の子が枡源を継ぐことになる。美以はその重みを感じる。
22 風来山人 
 若冲の留守中、枡源に風来山人と名乗る男が訪ねてきた。庭で鳴いているのは鶯かと聞き、美以が西洋にいる鶯で夜鳴き鳥と答える。男は、宗右衛門が死んだのは本当かと尋ね、泣き出す。
 男の本名は平賀源内で、長崎から枡源に宗右衛門を連れてきたと言い、若冲の女が長崎の唐人屋敷にいたころのいきさつを語る・・平賀源内も登場させるとは河治氏の奇想は果てない・・。  続く

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