優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

ねずみ三部作

2021-05-01 20:28:05 | 日記
宮沢賢治の作品に「ねずみ三部作」と言われている小品がある。
「ツェねずみ」「クンねずみ」「鳥箱先生とフゥねずみ」
どれも哀れな結末を迎える風刺のきいたお話だ。

ツェねずみは「私のような弱いものをだますなんて。償(まど)うてください」という決め台詞で、柱や塵取り、バケツなどを脅迫するような小狡いやつだ。それまで好意的に食べ物をあげていた鼠捕りまでをも怒らせてしまってついに人間につかまってしまった。

クンねずみは高慢で嫉み深く、ネズミの仲間からも嫌われ「暗殺すべし」ということになったのだが、そこに猫大将が現れる。てっきり猫に食べられてしまうと思いきや猫大将は「かあいそうだから」とクンねずみを四匹の子猫の家庭教師に雇う。「先生を食べてしまったりしてはいかんぞ」と。そこでクンねずみも学習すればよかったのに、性格は変えられませんね。つい「エヘン、エヘン、エイ、エイ」と高慢ちきな咳払いをしたものだから子猫たちに「何だい。ねずみめ。人をそねみやがったな」と食べられてしまうのだ。

フゥねずみも最後に「猫大将に地べたにたたきつけ」られるのだが、私はフゥねずみに関しては少し同情的だ。そもそも先生である鳥箱は大ぼら吹きだし(ひよどりを四人も教育したと言っているが、ひよどりには嫌われていたし、四人とも死んでしまった)、しかもそんな鳥箱先生を妄信してせがれのフゥの教育をお願いするおっかさんねずみにも責任があると思うからだ。
今日、賢治の会で読み合わせをして意見や感想を述べ合った時は気付かなかったが、そういえばフゥねずみが自分の友達を「しらみ」や「くも」や「だに」または「けしつぶ」や「ひえつぶ」や「おおばこの実」と言った時鳥箱先生は「なぜそんなつまらないものとつきあうのだ」「なぜもう少し立派なものとつきあわん」と言う。なんとなく引っかかるものがあったが、ここだ。友達は選びなさいよと言われることはよくあることだ。でもここを深読みすると、たとえしらみやだに、けしつぶのようなものであってもフゥねずみが友達というならそれを全否定してはいけないのではということが気になった。
そして最後の猫大将の言葉に賢治の気持ちが込められているのではないか。
「先生もだめだし、生徒も悪い。先生はいつでも、もっともらしいうそばかり言っている。生徒は志がどうもけしつぶより小さい。これではもうとても国家の前途が思いやられる」

偉そうなふりをするねずみ、薄っぺらな判断力しかないねずみ、小心者で努力する気が全くないねずみ、そんなねずみが自らの破滅を招くことになるといった三つの寓話だ。

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