優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

施設と病院

2017-10-29 16:41:53 | 日記
10月になって、姑の入院している精神科から電話があり、退院審査会を開くのでご家族の方の出席は可能でしょうかと言われた。
夫が出向いて話を聞いてきたが、これ以上どうなるわけでもないのでケアマネージャーに相談して施設なりを探したほうがいいですよというものだった。確かに病院は病気の治療をするところだから、治療の必要のない人を置いてはおけないからね。
入院中、介護保険の更新時期でもあったので市役所に出向いて手続きをし、一か月ほどで新しい保険証が来た。介護度は要介護3に上がっていた。最初に申請したときは要支援2だったので、更新するたびに上がってきたようなものだ。私に言わせれば、姑は何も変わっていないので、介護度の認定は最初から介護3が妥当だったよね。
最初に施設を探したときは介護1だったので入所は無理と言われた。運よくグループホームに入ることができたのは良かったが、入所して2か月も経たないうちに職員さんから介護度の見直し申請していいですかと言われ、間もなく介護2になった。そして今回の更新で介護3になった。介護3だと老人ホームへの入所も可能になったわけだが、差し当たって即退院を迫られているわけではないのでもう少し病院でみてもらおうかと思っている。


聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

2017-10-21 11:55:48 | 日記
「これって、ほうれん草ですよね」

レジの若い女の子に聞かれ、自分が何か間違ったものを持ってきたのかとどきっとしたが、どうやら地物野菜売り場のほうれん草は包装されてなかったので何の野菜かわからなかったようだ。

まあね、私も学生の頃アルバイトしたときはそんなもんだったよね。

「小松菜とほうれん草似てるもんね~」と言いながら、レジを打ってもらった。

家に帰って新聞を読んでいたら、読者の投稿に同じようなことを書いている人がいた。
その人は
「これは林檎ですか、梨ですか?」
と聞かれ、さすがに面食らったと書いていた。また、鰯や秋刀魚の区別もわからないで働いているとも書いていた。

いやいや今のフルーツは品種改良されて十分に梨のような林檎?林檎のような梨?もあるだろう。魚などはきれいにカットされて切り身になって並んでいるし、泳いでいたころの姿とそれが同じものだとの認識が無いことだって考えられる。

年配者にとっては常識のことでも、知らないことを馬鹿にしたりあざ笑ったりせず、親切に教えてあげてほしい。

逆もまた然り。

スマホのアプリやSNSのチャット系なんちゃらとか、若者には常識のことが私にはさっぱり…なのである。


中道を行く

2017-10-09 15:24:29 | 日記
食事会をしたとき友人が、最近夫婦間で交わされる会話がめっきり少なくなったが、このところ大いに盛り上がっているのがこの度の選挙の話題だと言っていた。それを聞いたある人が、政治の話で盛り上がれるのは同じ主義、思想、信条だからこそだろうから幸せな事だと言った。

そうしたら、別の人が、
「どんな人であれ一緒に食事ができる人がいるってことはいいことなんだよ」
と言った。彼女は一年前に旦那さんを亡くし、今は一人暮らしをしている。
「一人で晩御飯を食べる気持ちって、わからないでしょ。寂しいというか、みじめというか…」
するとまた別の人
「あ~、でも、あのうるさい夫がいなくなったら食事の支度もしなくていいし、どんだけ楽な事か!」

この二人は自分の主張をはっきり言うタイプなので性格は似ていると思う。
会の中でこの二人は、結論は同じなのにいつもその過程で擦れ違いが起きてしまう。
どちらの主張を聞いても肯けるところはある。
思いは同じなのになぜお互いを受け入れることができないのかと、双方から相談されると私は困ってしまい、どちらの人にもいいように返事してしまう。

確かに家族だからといって必ずしも主義、主張が同じとは限らない。思想、信条が相反する人だっているかもしれない。
そんな人と話していたら盛り上がるどころか絶対大喧嘩になって、その後は気まずい雰囲気で食事をしなければならなくなるだろう。
でも、たとえ意見が異なっても話を聞いてくれる誰かが居てくれるのはやっぱり幸せな事だよね。







幻想第四次の世界

2017-10-02 17:35:04 | 日記
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だが、先月行われた賢治学会で漫画家の木野陽さんが【「銀河鉄道の夜」における列車と天の川の位置関係についての考察と「そらの野原」の空間的具体像の提案」】という発表をされたそうだ。
銀河鉄道は天球儀で現された架空の大地の上を走っているという考察だ。
なるほど…、今までなんとなく、地上から夜空を見上げたイメージでとらえていたが、そもそも鉄道であるからにはレールがあるはずだ。地球の表面である大地を走るのが鉄道列車であるならば、銀河鉄道は天球儀の球の表面に敷かれたレールを走るのではないかというものだ。天球の上を走る銀河鉄道をさらにその上から俯瞰するのだ。

賢治童話の中でも特に「銀河鉄道の夜」は様々な分野の人たちがそれぞれこだわりを持って再現したくなる作品ではないだろうか。

今日はプラネタリウムで上映されている「銀河鉄道の夜」を観に行ってきた。
「銀河鉄道の夜」は2006年に公開されたプラネタリウム番組で、作者のカガヤユタカさんは天文普及とアーティストとしての功績が称えられ、小惑星にその名Kagayayutakaが付けられているそうだ。
映像はため息が出るほど美しかった。それに、賢治のイメージそのものだ。まるで本当に銀河を旅しているかのようで、星空の中で眩暈(宇宙酔い?)したくらいだ。
木野陽さんの漫画も読んだけど、賢治が書いた文字からどうやってこのような絵に描き起こせるのか、ただ感心するばかりだ。

一昔前までの銀河鉄道関連の映像や絵を見たときは、なんか違う、これは賢治さんじゃない、と納得いかないものが多かったけれど、今このように視覚的にまた聴覚的に宮沢賢治の幻想第四次を表現してくれる人たちがいるのは賢治ファンとしてうれしい限りだ。
賢治さんの時代には無かった物で作品が再現されているのは不思議でもあるが、新し物好きだった賢治さんならきっと喜んでいるのではないかと思う。