優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

2016-06-25 17:24:16 | 日記
最近イライラするのは、家の中がガラクタでいっぱいなこと。
リビングはもちろんのこと、二階も、座敷も、洗面所も玄関もどこに行っても、なんだかわけのわからないもので溢れかえっている。

実家の父が突然亡くなり、今まで父が生きてきた証であるいろんな遺品の数々、それは膨大な数の書籍であり文献や資料、レコードやカセットテープやCDなど。まぁそれもどう処分したらいいのか途方に暮れるわけだが、それでもまずそれはそれで、もしかしたら価値のある物かもしれないと思うと少しは遺品整理にも身が入るというものだ。
でも我が家の場合、家にある物は全く価値など無いようなガラクタばかりなのでもちろんすぐにでも処分すればいい話だが、これがなかなかそうもいかない。なぜかというと、私にとってはごみでも、夫は絶対必要だと言い張るし、独立してアパート暮らしの息子に捨てないでと頼まれている物もあるし、私自身が捨てられないものもあるからだ。

三十代の頃介護の仕事を始めた私はお年寄りの家を訪問するので、どこの家でも押し入れに入りきらないほどの衣類(思い出があるため捨てられない、またサイズが合わなくて、あるいはデザインが若すぎて着られないけれどもったいなくてと言う洋服)や結婚式や葬式の引き出物、銀行や保険会社の粗品などを、どうしたらいいものかと相談されることがよくあった。娘さんやお嫁さんに差し上げたらどうでしょうと提案すると皆一様に、娘に言ってもうちにもあるからいらないと断られる、嫁さんからは趣味に合いませんと断られる、と同じようなことを言っていた。なるほど、当時のお年寄りは物のない時代に育って、紙一枚、紐一本だって大事に大事に使ってきたのだから、もったいなくて捨てられないのは当然だ。物を持つのがステータスだったであろうその人たちは、自分では擦り切れたタオルを使い続け、贈答品の新しいタオルは使うことなくずっと仕舞い込んでいるのだ。
お年寄りには、娘さんもお嫁さんもいらないと言うのであれば、お手伝いしますから古くなった衣類やふとんは処分しましょう、とごみ袋に入れるのを手伝った。ごみ袋は10枚近くになった。ごみの有料化が始まったのがその後だったので、思い切って捨ててよかったと感謝された。

そのようなお年寄りを見てきたので、私はそのころから断捨離について考えていた。…それが二十年も前のことだ。
ずっと考えていたというのになぜ我が家にこんなに物が増えてしまったのだろう。
言い訳になるが、子供の頃欲しかったけれど手に入らなかったものが、今は、ぽちっ、とさえすれば何でも手に入る。しかも子供の頃はお小遣いをためてやっと買えた物を、誰に文句言われることなく大人買い出来ちゃうのだ。

そして気が付いた。買った本も、買った食器も、手に入れてから読んでないのや使ってないのがあることを。
この飽食の時代に今度こそ、目に見える物では無く目に見えないものを豊かにしていくことに努めたいと思った。






辛酉革命 しんゆうかくめい

2016-06-21 16:05:38 | 日記
そもそも文久元年ていつなの?
文久元年12月父親の祖母に当たる人が生まれたとなっている。

ウィキペディア(いつもお世話になっております)によると

文久は万延の後、元治の前。1861年(文久元年)から1864年(文久4年)間での期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。

おぉ、歴史を感じるね。
でも4年で終わってるのはなぜなのかなと、その前後の元号を見てみたら、あれ?その前の万延はたった一年で終わってるし、その次の元治もまた一年で終わって、江戸時代最後の ­慶応に改元されている。
どういうこと?

元号って私が知ってるのは、昭和天皇が崩御された時の内閣総理大臣(竹下登)が改元を発表したあれだ。官房長官の小渕さんがテレビで「平成」と書いた紙を掲げて発表し記者会見を行った。その時私は、元号は天皇が在位中は変わらないと認識していた。

そこで元号について調べてみると、確かに明治維新の年に慶応から明治へ変わった時、明治政府は、一世一元の詔を発布し、新天皇の即位時に改元する一世一元の制に変更されたということだった。

そうだったのか、日本史を勉強してきた人なら周知のことだろうが、私は今まで何の疑問も持たずに過ごしてきたので恥ずかしながら知らないことだらけだった。

明治時代以前は天皇の在位中にも災害など様々な理由によりしばしば改元が行なわれていたそうだ。また、寛永や慶長のように、新たな天皇が即位しても、元号が変わらない場合もあったそうだ。
改元はそのように、君主の交代により行われる代始改元、吉事を理由とする祥瑞改元、凶事に際しその影響を断ち切るための災異改元の他、革年改元というのもあったとのこと。

この革年改元というのは、三革を区切りと見なして行われるものとある。三革とは、革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)のことだそうだ。甲子とか戊辰とかいうのは干支で言われる年であるが、干支というのは十干と十二支を組み合わせた 60を周期とする数詞のことだ。十干は、甲、乙、丙、丁、(そのあとなんだ?)、戊、己、庚、辛、壬、癸、(読み方は、ぼ、き、こう、しん、じん、き)で、十二支は、ね、うし、とら、で始まるあれだ。その組み合わせで、暦や時間、方位に用いられている。

そして、辛は陰の気なので人の心がより冷酷になりやすいと言われ、辛酉は天命が改まる年で、王朝が交代する革命の年(辛酉革命)とされるのだそうだ。。平安時代に政治的変革が起るのを防ぐ目的で、辛酉年の昌泰4年(901年)が「延喜」と改元された。それ以来、慶応に至るまで、辛酉年と前年の庚申年の2年続きで改元が実施されたのだそうだ。

なるほどね。文久の前の万延が一年で改元されたのは、江戸城火災や桜田門外の変など黒船来航以来の国内情勢に危機感を抱いたため災異改元がされ、その翌年は辛酉革命による改元の年なので文久に改元され、4年後は甲子革令の年に当たるため改元し元治となり、それも1年ほどで災異改元され慶応となったわけだ。

ふむ…今さらだけど勉強になった。

余談だが、昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御して皇太子明仁親王が即位し、翌日からは平成元年1月8日になったわけだが、同年1月1日生まれの子を持ついとこが、一週間だけ昭和にいたのよね、何か微妙、と言っていたのを思い出した。

ご先祖様

2016-06-19 12:53:01 | 日記
妹から借りてきた父の原戸籍を三日三晩かかって判読してみた。
父の父が自分の兄と養子縁組したりしているので、そのあたりが複雑になっている。
父の祖母になると、夫が亡くなった時点で婚姻解消となり実家に戻って「父母の氏名および続柄家督相続、追完」などと書かれている。何か事情があったのかもしれないが、文久元年生まれの人だからそんなことも不思議ではないのかもしれない。

テレビでも芸能人のルーツを辿る番組があるが、先祖を辿ってみたら有名人だったりしてよく調べるものだなぁと感心しながら興味深く観させてもらっている。その影響もあり、ご先祖様がいたから自分がいるんだな、とそのルーツを調べてみたいと思った。
原戸籍から読み取れるものと、自分の幼いころ見聞きした記憶を頼りに家系図が出来た。
父の人生は時代がそうさせたということもありドラマチックな様相を帯びているので、年表も作ってみた。
それを見ていた夫がパソコンで打ち直して仕上げてくれた。
来週父の納骨なので、披露したいと思う。

はらこせき、ってなんだ?

2016-06-15 17:07:54 | 日記
妹が、相続の手続きに必要な「はらこせき」を取ってきたから見るか?と言うので、なんだろうと見せてもらった。

正しくは改製原戸籍と言う名前で、戸籍の形式を変更する法律の改正(平成6年、昭和23年、大正4年、明治31年に新しい様式に作り替えられている)によって閉鎖された、古い形式の戸籍のことらしい。

コンピューターの中にデータとして保存された内容が「現在戸籍」で、それまでの紙の戸籍簿は「改製原戸籍」となるわけだ。

私も自分の現在の戸籍謄本は何年か前に見たとき、横書きでずいぶんすっきり見やすくなったと驚いたが、その前のは確かに縦書きの手書きの物だったものな。

戸籍は大正4年以前は家を基本としたものだったが、昭和23年以降は夫婦が基本であり、その子どもが結婚するとその戸籍からは除籍となる。そして除籍となった翌年から150年で廃棄になるらしい。平成22年6月1日までは80年で廃棄だったそうだから、電子化が進んだことと人間の寿命が延びたためかな。


父は、若くして亡くなった姉が一人だけしかいないのだが、これが兄弟が何人もいたりとか親が本籍を転々としたような人だったら、この原戸籍も複雑になっただろうし、自分のあずかり知らぬところで意外な相続人が現れたりとかも(ドラマなんかではあるよね)。

それにしても昔の戸籍係の人、大体は字が上手ではあるが中には達筆すぎて判読困難なものもあるし…。
記載ミスのような箇所もあるし、じっくり読み解いてみたいと思う。


雀も鴉もシナントロープです

2016-06-07 11:05:06 | 日記
うちの近所に出没する巨大な鴉がいる。
最初、地面を歩いてるのを見た時は恐怖を感じたくらい半端なく大きかった。背中のところを上から見たら平らになっていて1,2歳くらいの子どもなら座れるんじゃないかと思うくらいだ。あれに襲われたら大変なことになるだろう。鴉は人を識別できると言うから、弱そうなやつだと思われると襲われるに違いない。

先日のこと、翌日が燃えるごみの日なので朝に慌てないよう、まとめて小屋にごみを持って行った。そしてまだ家にも残っていることに気付き取りに行った。つい、小屋の戸を開けっ放しにして。
うちの地域はごみの分別がそんなに難しくなくて、生ごみ、プラスチック、ガラスや瀬戸物も一緒に出せることになっている。
私は最近不要なものは少しずつ処分しなければと古い食器などを捨てているのだが、そこでまだ踏ん切りがつかなくて、まだ早いかなとか、もったいないよなとかごみ袋を手に持って悩んでいたら、何か外が騒がしい。騒がしいのはスズメや名前は分からないが小鳥の声だ。ぴー、ぴー、ちゅんちゅん、ぴちー、ぴちー、、スズメの悲鳴とでもいうか、何だろう小鳥たちが大騒ぎしている。不思議に思って外に出てみたら、なんと!あの大鴉が小屋の中のごみ袋を破いて残飯漁りをしているではないか。
私に気付いた鴉は一瞬逃げようとしたが、待てよといった感じで一旦戻り、ハムかなんかの袋を咥えて悠々と飛んで行った。
あ~、なんてこった。鴉め~!!でも、まぁ、戸を開けっ放しにしていた私が悪いのでしょうがない。食い散らかされたごみ袋を新しいのに入れ替えて今度はしっかりと戸を閉めた。

あの時大勢のスズメたちが「大変だよー」と大騒ぎしていたんだね。
人間と共に暮らす、人間 の生活環境に依存して生きる野生動物のことをシナントロープと言うそうだけど、スズメは人間社会と共生しており、人里には生息するが、人が住まなくなった村からはスズメもいなくなるらしい。
私に鴉の襲来を大声で知らせてくれたスズメちゃんたち、なんだかいとおしい。