優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

思い出を整理

2016-06-04 18:57:47 | 日記
父は博学多才な人だったので、子供の頃はたいていのことは父に言えば何とかなった。
おもちゃが動かなくなった、雨漏りがした、アイロンが壊れた、ストーブが点かなくなった、自転車がパンクした、車の調子がおかしくなった、ねじが抜けなくなった、庭木に虫がついた、電子オルガンの音が出なくなった、下水が詰まった、水漏れがした、、、とにかく父に言えば何とかなったのである。
だから世の中のお父さんという人はみんなそうなんだろうと思っていた。社会人になった時、職場の給湯室の水道が水漏れするので50歳くらいの男性に、パッキン取り換えてもらえますか?とお願いしたら、「無理、無理、おれ、どうやるのかわからない」と断られ、あれ?と思った。でもその後、家電や車が壊れたときは一般的には専門店に修理に出すものだと言うことがわかり、そうだったのかとびっくりしたのを覚えている。

また父の頭の中には記憶の引き出しが沢山あり、地名であれ史実であれどんなことでも、話題に出た事柄に対しての逸話を語ることができるのはすごいなぁといつも思っていた。今だったらスマホですぐに調べられるかもしれないが、その頃はまず父に聞けば答えが返ってくるものと思っていた。

でも、大人になってからわかったのだがそのような父のすごさは実は、何にでも興味を持ち億劫がらずに自分で動くという性格のたまものだったのだ。よく聞く世の中のお父さんだと、休みの日はソファでゴロゴロして「新聞持ってこ~い」とか「お~い、お茶入れてくれ」というイメージだが、父は何でも自分で動いていた。そして、子供の頃は勉強のわからないことを聞くと何でも知っていて答えてくれていると思っていたのだが、実は父にだってわからないことは沢山あって、ただそれをすぐにいろんな文献や辞書で調べてくれていたのだった。その探究心と面倒くさがらない性格は私には受け継がれなかったな…


そういえば、三月末に父と語ったのが、平田篤胤のことだった。最近ひょんなことから興味を持って平田篤胤に関する本を読んでいたので、父が知らない篤胤像をひけらかして自慢していたのだが、あとでもう一つ父に教えようとしていたことがあり、それはもう叶わなくなってしまった。
篤胤は先の奥さんが亡くなって二番目の奥さんをもらったんだけど、その人のことも先の奥さんの名前「おりせ」と呼んだんだって。今では考えられないよね。
こんな話だけど。
他愛のない話だけど…。

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