優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

家訓カレンダー

2016-11-28 13:03:25 | 日記
風水ではトイレにカレンダーを飾るのは×なのでよろしくないと思いつつ、それでも我が家はなるべく小さめの可愛いお花のカレンダーを飾っていた。
ところが、夫婦二人の生活になって会話が少なくなったせいか?お互いに年を取って記憶力が低下したせいか?「言った」「言わない」でどちらも譲らず延々と「言った」「聞いてないし」「確かに言った」が続くので、今年は夫がトイレのカレンダーを大きめにして予定を書き込めるようにして、さらに思い出したら書けるようにご丁寧に鉛筆までぶらさげていた。当然見た目も悪いのでトイレに入るたび、なんかいやだなと思うのだが、夫に言わせると必ず見るからそこがいいのだそうで、なんだかんだ言いながらも11枚目になり明後日には最後の12枚目になる。

そのカレンダーだが、妹が遊びに来て帰った後、ちゃっかり妹の家の予定が書かれていて、トイレの中で吹き出してしまった。
さらに次男が来て帰った後、「我が家の家訓」と題する言葉が書き込まれているではないか。

10月の所には父の言葉として
「評価は他人がするものだ」
そして11月の所には母の言葉として
「取り返しのつかない失敗でなければなんとかなる」

それを見た時の夫と私「………」
でも確かにそんなことを繰り返し言っていた気がする。

さらに今日、12月の所をめくってみたら、5月に亡くなった祖父の言葉として
「意味のないと思うことをどう役立てていくか」
と書かれていた。
父が亡くなった時、孫である次男は「自分が教師になりたいと思ったのはおじいさんの影響があったからだ」と言った。
「おじいさんのように、生徒が勉強が楽しいって思える授業をやりたい」と言っていたが、意味のないと思われることをどうやって役立たせるか、その言葉は含蓄があるよなぁ。

今週木曜日からは12月になりカレンダーも最後になるが、たぶん我が家は来年も風水の教えは守れないだろうな…。


梟のふくちゃん、今までありがとう

2016-11-24 12:07:04 | 日記
11月初旬に動物園に行ってきた。
近くにあるのだがリニューアルされていたのを知らなかった。
私のお目当てはフクロウだ。特にシロフクロウのふくちゃんにあのつぶらな瞳で見つめられるとたまらない。
また来るからね、とふくちゃんに言って、本当に冬季の閉園前にもう一回行こうと思っていた。

10日ほど経った時「コクチョウが鳥インフルエンザで死んだ」というニュースが流れ、他の感染しやすい鳥(ニワトリやアヒルなど)も殺処分されたということだったので心配していたのだが、今朝のニュースでシロフクロウ二羽も鳥インフルエンザで死んだことがわかった。
動物園は初期の段階から閉園し園内の消毒や感染対策に追われている。
感染源は園内に飛来する野生の鳥と思われるが、これほどまで感染力が強いというのは恐ろしいことだ。
どうか鳥インフルエンザが終焉しますよう。
人間の方のインフルエンザも流行期に入るので、これから予防接種に行ってこようと思う。

ふくちゃん、今までありがとう。

思い出の建物

2016-11-20 13:40:43 | 日記
駅前にあるファッションビルが取り壊されることになり、さよならセールが開催されている。
30年間ありがとうと書かれた大きな幟が掲げられているが、実はファッションビルとして営業する前は総合スーパーで、県内第一号店として私が高校生の時にオープンした店だった。それから結婚して子供が生まれる前迄よく利用したものだった。
ファッションビルになってからは行くことが無くなっていたので、名前が変わったことを知ったのは子供たちが大きくなってファッションに興味を持つようになり自分の服を自分で買ってくるようになった時だ。

「(そんな奇抜な服)どこから買ってきたの?」と聞くと、よく口にしていたのがそのビルの名前だった。
だからビルそのものは築43年くらいになるのかな。

オープン当時はガラス張りのエレベーターが珍しくて8階に用がなくてもいったん8階まで上がってから降りてきたりしたものだった。
今は8階が本屋さんになっているので行ってみた。
記念に何か買おうかなと本を手に取ったが、今あるものでさえ読んでいないものがあるし無駄だなと元の棚に戻し、ふと下を見ると朗読のCDがあったのでそれを買うことにした。
今の時代、ユーチューブを探せばほとんどの物が見たり聞いたりできるわけだが、まぁ若いころお世話になったビルへのご祝儀ということで
…。

展覧会

2016-11-19 20:07:31 | 日記
2年前に特別支援学校の高等部を卒業したTくんの写真が展示されていたと友人が教えてくれたので見に行ってきた。
卒業するとき「またどこかで会えるかもね、おばさんたちのことも忘れないでよ」と言い、彼も「忘れないですよ~」と言ってくれたが、なかなかそんな機会もないまま彼も二十歳になった。

T君の写真と言っても被写体の方だったので、作業を頑張っている成長した姿を見て感慨にふけっていたら後ろから「それは私が撮ったものです」と声をかけられた。その男性は自分も障碍者だと言った。映画のスチールなどを撮るカメラマンだったらしい。その人からT君の様子を聞くことができた。T君は明るく気持ちが優しい。コミュニケーション能力も高い。それだけで十分だけど、それだけではいけないのだろう。センターでの訓練期間が終了すれば新たな居場所を探さなければならないのだ。どうか世間の荒波に負けないでほしい。


全うするということ

2016-11-16 09:43:51 | 日記
先日、ヘルパーになりたての同僚から質問された。
彼女が初めて担当した方が亡くなられたとのこと。その方とは利用者とヘルパーという関係以上にお互い信頼しあっていたので訃報を聞いたときはとても悲しくて、せめてお線香をあげに訪問したいのだがという内容だった。
彼女の気持ちはよくわかる。私も最初の頃は特に介護保険制度もない時代だったので、今では考えられないようなサービスもしたし、義理や人情で動くこともあった。
でも今は時代が違う。仕事以外の勝手な行動は慎まなければならない。
いくら心が通じ合って親しくしていた方でも、たとえその方が入院されてもお見舞いにも行かれないことになっているのだ。

そうは言っても確かに彼女でなくとも悶々とすることだろう。
もう一人の同僚が
「大丈夫、自分も最初のうちはそうだったけど、慣れるから」と言っていた。


職場に行くと机の上にメモ書きがあって、
Tさんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしましょう。
と書かれていた。

Tさんは子供さんが遠方に住まわれていたので、奥さんに先立たれてからヘルパーを頼んで一人暮らしをしていた方だ。
最初お会いしたとき、私に敬礼して挨拶してくれた姿ががあまりに格好良かったので尋ねると、やはりそういったお仕事をされてきた方だった。
現役を退いてから何十年にもなるのだが当時の制服は大事に保管されていた。私が訪問するようになって一ヶ月ほどしてTさんは物置に保管してあったそれらを処分したと言った。安易にゴミに出されないものなので切り刻んで捨てたと言っていた。

そして十日ほど前まで自宅で暮らしていたが、検査入院だからと身の回りの不要な物を処分して、小さいカバンと風呂敷包み一つを持って「また家に帰ってきた時はよろしく頼む」と言って出かけて行った。

肝臓が悪かったらしいが、入院して何日目かのある日、運ばれてきた食事に手をつけようとしないので看護士が声をかけると、すでにこと切れていたとのことだった。

人の最期は様々だ。

私はどんな最期を迎えるだろう。
この仕事をしていると考えさせられる。

Tさんのご冥福をお祈りいたします。