優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

龍淵に潜む 秋分の日

2019-09-23 15:01:16 | 日記
龍は春分にして天に登り、秋分にして淵に潜むという。
「龍淵に潜む」は秋の季語とのこと。
今日は秋分の日。
明日からは夜がだんだん長くなっていくのだな。

昨日夫が車を買うというので、一緒にディーラーの話を聞くために出かけようとして、何か忘れているような気がした。その一つは友人の朗読劇を観に行くと約束していたことだった。二か月も前にパンフレットを貰っていたので、忘れるといけないと思ってパソコンのそばに貼り付けていたのに、すっかり忘れていたのだ。それにはもう間に合わなかったので諦めた。友人にはごめんなさい、だな。
「あれほど秋のお彼岸の時期だから忘れないようにしようと思っていたのに…」
とつぶやいてはっとした。お彼岸!
そうだ、お彼岸なんだよ。先週に続き連休だったので何の祝日なのかうっかりしていた。そもそもお彼岸というのは太陽が真西に沈むので、夕日が西にあるという極楽浄土への道しるべとなり、先祖を敬い亡くなった人をしのびましょう、という日なんだからね。お墓参りに行かなきゃ!ご先祖様、ごめんなさい!
というわけで、近所のスーパーに寄っておはぎとお花を買い、ろうそく線香、お布施を準備して無事お墓参りを済ませてから、車屋さんへ向かった。

夫の車は3年前に購入したのだが、なぜそれを今買い替えることになったのかというと、そのシリーズの車が今回ファイナルエディションだというのだ。今や車と言えば電気自動車が主流になりつつあるというのに夫はそのガソリン車をこよなく愛しており、今乗っている車が生産中止になり、これが最期のシリーズだというので今手に入れるしかないと思ったようだ。
でも車は高い買い物だ。そんなに簡単に買い替えなんて出来るわけない。
「我が家にそんな余裕どこにあるっていうの」と、その話を聞いた三週間前、私は相手にしなかったのだが、三日前に見積もりを貰った夫が下取り150万くらい行けそうだ、というので、それだったら話を聞いてみようと思ったのだ。
だってこの前、電気自動車をやはり三年足らずで乗り換えた知人がいて、その下取りが150万だったという話を聞いていたからだ。その彼の話だと人気車で需要があるので下取り価格が高かったとのこと。それは分かる。だが、夫の車はガソリン車で燃費もよくない。以前次男に乗らないかと言ったら、「おっさん車だからな~」と言われたくらいだし。

そしてディーラーさんで商談の結果、下取り150万まではいかなかったけれど、値引き、サービスで何とかということになり、今年中には新車に乗り換えることになりそうだ。
暑さ寒さも彼岸まで。

お日様・お月様

2019-09-16 07:22:31 | 日記
今年の春のこと。
夫が、各県の持ち回りでやる会議の当番になり宿泊場所を決める時、親しくしている他県の人から
「泊る所は是非、太陽が海に沈むところが見れる場所で」
と言われたそうだ。
「だって夕日が海に沈むなんて、ロマンチックじゃないか」
とその人は言ったそうだ。
大体想像はつくが、夫は
「そんなの見て楽しいか?」
とにべもない。
そう、夕日が海に沈むのが見たいその人は太平洋側に住む人で、夫は日本海側しかも沿岸部に住んでおりそんなの当たり前のことで、見ようと思えばいつでも見れるのだ。
「夕日が海に沈む光景はロマンチックだ。私だってそう思う。是非ともその願いはかなえてあげた方がいい」と私が言った。

そんな会話をしたこともあり今年の夏に長男が帰省した時、ちょっとドライブがてら男鹿半島まで行って日が沈むのを待って写真に収めてきた。さすがに日の入りを待ってまで夕陽を見たのは初めてかもしれない。周りには人影もなく私たちだけ。ヒグラシの声だけが聞こえ、海に沈んでいく太陽を見るのはなかなか幻想的だった。大気のせいなのか光の屈折のせいなのか、沈んだと思われる太陽がしばらく海の中にぽっかり見えていた。夏の日の思い出だ。

そして私はふと思った。そういえば、我々は太陽が海から昇るのは見たことないじゃないか。
というわけで今回、「海から日が昇るのを見る」ために三陸方面へ行ってきた。
夕方、宮古の国民休暇村にチェックインしてから、翌日の朝日が見えるポイントを探しに裏の散策路を歩いていた時のこと。
「あっ、ちょうどお日様が沈むところだ」
崖下に海が見え、木立の間から太陽が見えたので私が思わず叫ぶと、すかさず夫がばかにしたような声で
「あれはお日様ではない。それに沈むところではない」

そうなんです、ここは太平洋、日が沈むわけがない。それでも
「あれは月で、今水平線から月が昇ってきたところだ」という夫の言葉を聞くまで私はきょとんとしていた。
その日はちょうど満月で、出たばかりのお月様は赤みを帯びて真ん丸で大きかったので、私には夕方海に日が沈む見慣れた光景に見えたのだった。
よく考えてみれば満月の頃は月は太陽と反対方向にあるのだから、夕方昇って翌朝沈むんだよね。(新月の頃は太陽とほぼ同じ方向だから朝昇って夕方沈む)
月は太陽が1年かけて変化するのを1か月(厳密には27.3日)で変化しているんだものね。たまたまその日(9月13日)が満月だったというのは偶然。

そして翌朝、早起きして「海から日が昇る」のを見るという念願を無事叶えることができた。





好きなもの

2019-09-09 17:15:22 | 日記
「自分の好きなものを好き」な人に感じる親近感のようなもの、要するに「同じ匂いがする」というのはそういうことなのかな。

妹が県立美術館でやっている藤城清治展を観に行って、私の好きな宮沢賢治の物語のもあったよと教えてくれたので、私も行ってみた。
「暮らしの手帖」に連載されていた影絵や、テレビで放映された人形劇などは何十年も前の子供の頃よく見ていたが、その生み出される作品はますます異彩を放ち、新しいことへのチャレンジも続けられ、1924年生まれの95歳という年齢を感じさせない素晴らしい作品の数々だった。なんでも栃木にある藤城清治美術館にはシニア割引があるというが、その年齢が95歳からというのも面白いではないか。

一つ一つ作品を見て行くと、宮沢賢治の童話をテーマに描いた作品のコーナーがあった。そこで作者は賢治童話が自分の根底にあるというようなことを書いていた。あぁ、やっぱり。私の好きな賢治の世界を藤城清治さんは影絵で表現してくれている。そこに描かれているなめとこ山のクマが、カエルのゴム靴のカエルが、銀河鉄道のジョバンニが…、どうして私が想像したそのイメージと同じなのだろう。

そういえば、昨日最終回だった「あなたの番です」というドラマ、毎週楽しみに見ていた。そのドラマの中にも「宮沢賢治」が登場していた。正確に言うと文庫本「宮沢賢治全集」の7が読まれるシーンだ。これには銀河鉄道の夜などが収められているのだが、意味深な場面だ。でもそのシーンを敢えて使いたかったのだろうという気持ちは私にはわかるような気がする。
ドラマと言えばテレビ朝日の「やすらぎの刻〜道」を録画して毎日見ているのだが、これにもやはり宮沢賢治の本が登場していた。うん、うん、わかるよ、そのシーンにそれを持ってきたかったのね。

その人が「自分の好きなものを好き」なんだと思うとなんだかうれしい。私がこれらを感覚的に好きと思うのはやはり「同じ匂い」を感じ取るからなのだろうか。