優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

わたりどり

2010-10-31 13:12:49 | 日記
前から見たいと思っていたジャック・ペラン監督のドキュメンタリー映画「WATARIDORI」(2001年フランス)

やっとのことで見ることができました。

今更ながらですが、すばらしい映像でした。
まるで見ている我々が一緒に渡りをしているかのような、それは太古の昔から人間が抱いてきた「鳥のように大空を飛びたい」という夢を見させてくれるものでした。
それもそのはず、すべて実写だというから鳥たちの目線で繰り広げられる「生」がそこにあるのです。
生とは生の彼らであり、生まれ、生きる、そして種族を保存するという使命であり、命を与えられたものすべてにそれが課せられているのかもしれない。

もし私たちが、世界に国境など存在せず、地球というたった一つの空間を共有していると悟ったら?
もし、私たちにも鳥のように自由 でいられることが分かったら?
この時代だからこそ、全世界の人たちに見てもらいたい―――。

というジャック・ペラン監督のメッセージが、心を打つ。



父のこと

2010-10-26 11:17:02 | 日記
三年前父は癌が発覚した。
父は命に限りがあることを教えてくれたのだ。

ステージⅢと言う段階で見つかったものの、幸い進行が遅いという事で本人は、
「癌が勝つか寿命が勝つかだな」
と落ち着いたものだった。

三年が経とうとしている。
父は晴耕雨読を地でいっているような人なので、日々淡々と過ごしている。
私はいまだかつて、父から他人の悪口を聞いたことが無い。

お父さん、あなたは昔こう言ってましたね。
「若い時は(戦争があったので)明日死ぬかもしれないと思って生きていた。
年をとってからは、明日死んでもいいように生きるのだ」と。


主婦の贅沢

2010-10-24 08:36:28 | 日記
夫は二日前から出張で不在。
息子は学祭の打ち上げで帰ってこないかも。
姑は親戚の家に泊りがけで遊びに行った。

というわけで、昨日は家に誰もいないのだった。

こんな日は数年に一度あるかどうか。
つまり、その日は丸々一日自分のために与えられたのだ^^

朝はゆっくり起きて、コーヒーを入れた。
もちろん、洗濯もお掃除もしない。

秋晴れのいいお天気である。

そういえば高速道路の無料化実験とか、まだ続いているよね。
ドライブがてら実家に出かける。
(高速というものの、無料ということで利用する車も増え、
一般道を走るのとさほど変わらないということに気付く。
インターが遠いということも難点である)

父も母もそれなりに元気で、晴耕雨読の日々を送っている。
「お前は幸せだなぁ」と言う父の言葉に、私もつくづくそう思う。
この幸せを大切にしなければと思いながら帰途につく。

そして、これが私の一番の贅沢。
夕飯。
カップ麺を食べる。箸を洗うのも嫌なので割り箸で。
やるのはお湯を沸かすということのみ(^^;)

洗濯やお掃除はたまにサボることはあっても、食事だけはどうにも、
家族がいれば食べるということだけはやらないわけに行かないものね。

なので、家事一切何もしないということが、究極の贅沢なのでした。

そして、寝るにはまだ早いかなと、ごろごろしてたら、
帰ってこないと思ってた息子が終電で帰ってきて、
「お母さん、おみやげだよ~」
と(差し入れにもらった)お菓子をくれた^^

ふふっ^^こうして私だけの一日が終わった。


冬の使者といわれる皆様へ

2010-10-22 21:21:02 | 日記
今年も白鳥が飛来する季節になった。

ここは中継地点なのか、昨日は数十羽の群れで羽を休める姿を見たが、今日は一羽もいなかった。
さらに南下の旅へ飛び立ったのだろう。

渡りをする鳥は何種類もいるが、その中には数千キロ数万キロもの旅をするものもいるとの事。

V字編隊の先頭は経験豊かなものがなり、時々交代しながら飛ぶのだそうだ。



ちっぽけな人間の私が、旅のご無事を祈らせてください。

そういうものにわたしはなりたい

2010-10-16 11:47:47 | 日記
宮沢賢治が好きで、数年前から賢治童話を読む会に参加させてもらっている。

多くの人に愛され、多くの人がその研究をしている。
詩人としての賢治はもちろんのこと、童話作家として、農業家として、
また植物に関して、鉱物に関して、宇宙に関して、さまざまな方面からの研究がなされている。

有名な「雨ニモ負ケズ」は、本人の死後発見されたものであり、それについての解釈もさまざまだ。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち

という冒頭の部分が有名だが、私が好きなのは、

みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい

最後のこの部分なのだ。