優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

自分のためにお金を使う

2011-06-29 22:18:34 | 日記
全くと言っていいほど、運動をしていません。
買い物に行くのにも車を使い、駐車場は入り口に近いところに停めます。

昔の人は、取り立てて運動なんてものしなくても、日常の生活がすなわち運動でしたから。
私のような人間は、心がけて動かなければ日常生活をしているだけでは、到底運動量は足りるわけありません。

というわけで、本日フィットネスクラブに申し込みをしました。
何かを始めなければ、何も始まらない。

梅雨入り

2011-06-22 00:14:48 | 日記
別に、待っていたわけではありませんが、やっとのことで梅雨入りしました。
例年より一週間遅いそうです。
今日は断続的に強い雨が降ったり止んだり。
仕事でいろんなお宅を訪問するのですが、片や扇風機をつけているかと思えば、片やストーブをつけているという…

梅雨が明ければ夏本番ですね。

明日で震災から三ヶ月になります

2011-06-10 19:41:03 | 日記

天災は忘れた頃にやってくる

この格言を、ずっと寺田寅彦のものとして覚えていた。

明日は震災から三ヶ月。
毎日必ず、気象庁のホームページと放射能の状況を調べているサイト及び福島原発のライブカメラをチェックしていた私が、このところ見るのを忘れるようになっていた。

被災地では一向に先が見えない状況であり、また未だに行方不明の人もかなりいるというのに、当事者で無いからなのか、あの衝撃的な映像から徐々に忘却が始まってきていたのだ。

そこでこの格言を胸に、普段の備えが大切なのだということを再確認しようと「寺田寅彦」と言う人物を検索してみた。

すると、その格言は弟子である中谷宇吉郎と言う人が恩師寺田寅彦の言葉として紹介したのだが、実はそうではなかったということであった。恩師との語らいの中で、そのような内容の話をしていたので、内容は間違いないのだが実は言葉そのものは中谷宇吉郎の言葉ということになるのであろう。

寺田寅彦は物理学者でありながら文学者でもあった。
彼は、文明が進むほど天災による損害の程度も累進すると述べている。
そして、だからこそ普段からそれに対して防御策を講じなければならないはずなのに、いっこうにできていないと説く。

今まさにその通りのことが現実となっている。
混乱した政局、先が見えぬ不安、今彼が生きていたらどんなことを提言しただろう。

日常ということのありがたさ

2011-06-06 11:22:49 | 日記
高速道路上限千円制度が6月で終わるというので、このごろ日帰りできる場所へドライブ旅行をしています。

私は同じ東北でも東日本大震災の被害がないところなのですが、隣県に出かけるとやはり、沿岸部でなくてもそのことを目の当たりにします。
昨日も、日曜日というのに観光地の広い駐車場は半分くらいしか車はいませんでした。

高速道路は自衛隊の特殊車両が走っており、サービスエリアでは隊員の人たちがこれからまた支援に向かうのか、休憩を取っている姿を見かけました。

自分には出来ることがないけれど、せめて気持ちだけでもと、有名なお寺の「浄財」と書かれた賽銭箱の方ではなく、その隣に置いていた震災の義援金を入れる方の箱にお金を入れました。



なんたるこっちゃ(情けない…)

2011-06-01 21:30:23 | 日記
ある人のブログを見ていたら、SF映画で面白そうなものが紹介されていた。

その監督作品には、このような作品があり…ということなので、過去映画のあらすじを読んでみると、それは昔、私も観たことのある映画だった。

表題ももちろん見たことあるし、主人公の名前も記憶にある。

ネタばれあるかも、というストーリー紹介を見てみると、
そうそう、あやしい同僚の名前もそれだ。あー、そこで急展開してそんな流れになった。そうだ、その女性の部屋はグリーンっぽい色調だったな。うん、うん、あの俳優さんの演技は鬼気迫るものがあった。
…などと、書かれているストーリーを読み進めると確かに覚えている。

だが、しかし、読めば思い出すのだが、読まないと全く思い出せないのである。

というわけで、ストーリー紹介の最後はさすがにネタばれにはなっていないので、
「すべての謎が解けたとき、恐ろしいひとつの真実が浮かび上がる」
と締めくくられているわけであるが、そこんとこが全くもって思い出せないのである。
その映画を観たのはそんなに昔のことではない。
なのに、途中まで書かれているあらすじを読んでも、その後のストーリーがどうなったか思い出せないのである。

当然のことながら気になってしょうがない。
他のレビューなど読んでみたが
「意外な事実が明かされ、大きな衝撃を受けた」
とか
「その言葉が意味するものは何だったのか」
など、ますます気になる内容である。

そして私は、自分の記憶の引き出しが開かないことに対する苛立ちと情けなさでいっぱいになった。

そういえば、以前息子たちに言われたことがある。
「お母さんて、お得な人だよねw」
何のことだろうと思っていると
「だって同じ映画観ても、結末忘れてるから、二度楽しめるじゃんww」