父が急逝した。
五月十九日9時。妹から、今朝父が倒れて病院へ運んだと電話があった。それまでも父はどんな危ない事態になっても必ず後で笑い話になるくらい簡単に復活しているのでその時私は、今はちょっと大変なことになってるようだけれどすぐによくなるに違いないと思っていた。
癌になった時だってそうだった。雪下ろし中、屋根から落ちても無傷だったし、はしごから地面に落ちた時もただの打撲で済んだじゃないか。きっとまたいつものように笑って「まったくもう、お父さんたらびっくりさせるんだから~」と言ってる自分を頭の中に思い描いていた。
ところが妹の電話は「大動脈解離なので、もうだめだと思う」ということだった。妹は看護師なので処置されている様子から父がどんな状態なのかわかっていたらしい。
そして、9時22分。父は帰らぬ人となった。
亡くなったという知らせを聞いた時、真っ先に口を突いて出たのが「あ~っ!、父らしい逝き方だ!」という言葉だった。
亡くなる前日は畑の草刈りをし、その前の日は趣味の会の人達と遺跡を見に旅行に行っていたらしい。
朝起きて着替えをしソファに腰掛けた時、胸の痛みを訴え、妹夫婦が出勤する前だったので車で病院に連れて行ってもらったそうだ。そのまま一日も入院することなく、私たちに悲しむ隙も与えぬようにして逝ってしまった。
風薫る五月に。
自分の誕生月でもある五月に。
葬儀が終わって私が自宅へ帰ってくると、庭の花が一斉に咲いていた。手入れのしていない庭なので今までこんなにたくさんの花が一斉に咲き誇っているのを見たことがなかった。父は花や木など植物も愛していたから、きっとそうしてくれたのだろう。
お父さんありがとう。
五月十九日9時。妹から、今朝父が倒れて病院へ運んだと電話があった。それまでも父はどんな危ない事態になっても必ず後で笑い話になるくらい簡単に復活しているのでその時私は、今はちょっと大変なことになってるようだけれどすぐによくなるに違いないと思っていた。
癌になった時だってそうだった。雪下ろし中、屋根から落ちても無傷だったし、はしごから地面に落ちた時もただの打撲で済んだじゃないか。きっとまたいつものように笑って「まったくもう、お父さんたらびっくりさせるんだから~」と言ってる自分を頭の中に思い描いていた。
ところが妹の電話は「大動脈解離なので、もうだめだと思う」ということだった。妹は看護師なので処置されている様子から父がどんな状態なのかわかっていたらしい。
そして、9時22分。父は帰らぬ人となった。
亡くなったという知らせを聞いた時、真っ先に口を突いて出たのが「あ~っ!、父らしい逝き方だ!」という言葉だった。
亡くなる前日は畑の草刈りをし、その前の日は趣味の会の人達と遺跡を見に旅行に行っていたらしい。
朝起きて着替えをしソファに腰掛けた時、胸の痛みを訴え、妹夫婦が出勤する前だったので車で病院に連れて行ってもらったそうだ。そのまま一日も入院することなく、私たちに悲しむ隙も与えぬようにして逝ってしまった。
風薫る五月に。
自分の誕生月でもある五月に。
葬儀が終わって私が自宅へ帰ってくると、庭の花が一斉に咲いていた。手入れのしていない庭なので今までこんなにたくさんの花が一斉に咲き誇っているのを見たことがなかった。父は花や木など植物も愛していたから、きっとそうしてくれたのだろう。
お父さんありがとう。
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