優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

知らないことばかり日本語

2017-04-16 14:43:06 | 日記
大学を退官された先生の講演会があった。
「気になる日本語」というテーマで話されたが、「気になる日本語とはつまり気に入らない日本語だ」と笑っておられた。
最近何かと取り上げられる「やばい」についての話などを交え、言語が変化していった経緯やきっかけを解説してくれた。

その中で面白かったのが、「ハマナス」(ハマナスと聞けばつい口ずさみたくなる、知床の岬に咲くあのハマナスである)の語源についての話。
ハマナスは元々果実が梨のような形をしており浜に自生することから浜梨と呼ばれていたのが、東北訛りのシをスと発音されたのが伝わりハマナスで定着したというもの。ハマナスが東北訛りで出来た名前だということだけでなく、私はローズヒップだったということも今まで知らなかったのでここで二重に驚いた。ハマナスはうちの近くの公園にも植えられているが、花が終わって実が熟し赤くなったものはお盆の時の盆棚に飾ったりするので、なんとなく仏壇を飾るものみたいなイメージで見ていた。それがあのおしゃれなローズヒップティのローズヒップだったとは。ハマナスと言うからどうしても茄子が連想されていた(お盆には茄子の牛もお供えしますから)が、梨だったらバラ科だものね、途端におしゃれに見えてきた。

それから「山賊を流す雨」という話。
これは先生が子供の頃、今で言うところのゲリラ豪雨のような土砂降りになると母親が「山賊を流す雨だ」と言ったそうだ。子供だった先生は山賊が流れるほどなのかと解釈したそうだが、大人になってハタと気づいたそうだ。雨は「山賊を流す」のではなく、「車軸を流す」のだと。辞書にも「車軸を流す」は大雨の降ることと書かれている。これもやはり東北訛りの聞き違いだったわけだ。
もちろん私はここでも、大雨の降ることにそんな表現があるということ今まで知らなかったので驚いた。

さて、ローズヒップティでも飲みながら「日本人の知らない日本語」(蛇蔵、 海野 凪子 著)でも読みますか。

直虎

2017-04-10 17:10:20 | 日記
久しぶりにNHKの大河ドラマにはまっている。
「おんな城主直虎」である。
そもそも私は日本史をほとんどやってこなかったので、武将の名前も有名どころしか知らない。最初に直虎と聞いた時も誰それ?と思ったのだが、女性だというではないか。あの時代に女の城主ってあり得るのか?
そんなことから興味がわいて第一回から欠かさず見ている。期待通り面白い。脚色されてはいるだろうが、いいなずけとは結ばれず、幼馴染とは擦れ違い、よき理解者であった父、縁者、そして重臣たちも次々に命を落とし、いよいよ自分が井伊家を守らねば、と奮闘する柴咲コウさん演ずるところの直虎である。

ところが視聴率が低迷しているというではないか。
理由は直虎の知名度が低いということや、女性が主人公の大河はあまり好まれないらしい。
そもそも直虎なる人物が果たして本当に女だったのか、直虎を名乗ったのは実は今川家重臣の息子だったという説もあり、日本史を勉強している人にとってはその辺りも大河ドラマとしてどうなのかということになるのであろう。
元々の大河ドラマのファンはやはり王道を行かなければ納得しないようだ。私でも知っている「桶狭間の戦い」のシーンなど、合戦のシーンはごく短くしか描かれず、こういったことが物足りないのかもなと思った。
面白くないという記事を書いた人は、これはまるで月9ドラマだとも書いていた。そう言われると確かに直虎の子供時代からの話の流れは三角関係を連想させ、恋愛ドラマに通じるのかもしれない。だが、愛だの恋だの言ってられない。何せ出家するのだから。その上男子が次々に死んでしまうし、幼馴染には裏切られるとくる。

柴咲コウさんの直虎は柴咲さんだからこそいいのだ。他の女優さんではしっくりこない。他の俳優さんたちの役柄もとてもあっていると思う。家康が阿部サダヲさんというのも面白い。
おかげで私は今まで興味なかった日本史を紐解くことになり、今更ではあるが戦国武将や合戦についても調べるようになった。
これからの展開にも期待する。

メルマガ

2017-04-08 14:35:36 | 日記
毎週土曜日朝に配信されるメルマガを楽しみにしている。
宮沢賢治研究をしているそのメルマガの記事の最後に、先月末「癌が見つかって手術をすることになったので、もし配信が滞ったらお許しください」と書かれていたので、今日のメルマガは無理かなと思っていたが、変わらず配信されていた。

先月の記事の中に「自分が癌になるとは思いもよらず驚いています」とあったので心配して、どうか手術が無事終了し、お元気になるまで無理なさらず、ゆっくりお休みなさってくださいという内容のメールを送ったものの、すごく不謹慎だが心の中ではせめてあと一回(今日の分まで)はいつも通り配信してほしいものだと思っていた。
というのは、二年ほど前からそのメルマガで取り上げていた賢治の年譜がくしくも今日の配信で最後、つまり賢治の臨終の日(1933年9月21日)の記事となるからだった。

宮沢賢治は37歳でその生涯を終えるのであるが、その最期は他の文献でも読んだことがあるがなかなかドラマチックである。熱心な法華経信者である賢治は亡くなる日、経を唱え、父親にその宗教のことで遺言を残し、自分の身体をオキシフルで拭いたという。そもそも賢治は22歳の時友人に、自分の命もあと15年はあるまいと言っていたというから、自分の死期を予見していたのではないかとも思えてくる。

今日配信された記事の中に、来週から抗がん剤治療が始まることが書かれていたが、まずは我々賢治ファンのためにメルマガを10年以上も配信し続けてくれている著者の無事を祈りたい。