優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

60歳と80歳

2018-09-26 18:15:03 | 日記
久しぶりに会う友人とランチしながら近況報告などし、私が
「お互いに大病もせず還暦まで来れたのだからそれだけでもよかったと思うべきだよね」
と言うと友人も
「家族が健康で、それなりに生活できているんだから不平不満言ったらばちが当たるかも」
と言う。友人はそれに続けて
「あなたは長生きしたいと思う?私はあと10年くらいで死にたいな」
と言うので私が
「あぁ、それよく聞くよ。私の友達なんか、旦那が『俺は60で死ぬ』って言ってたのに60歳過ぎたらいつの間にか更新して『俺は65で死ぬ』ってなって、しかも1歳の孫が遊びに来たら『じぃちゃん長生きしてランドセル買ってやるからな』って言ってるから心の中で(はあっ!?)って思った‥って言ってたよ。私が介護の仕事で訪問するお年寄りも、80まで生きられれば沢山だって言ってたのに、あっという間に時が過ぎ、85まで生きられれば‥も今年の春に越えたよ。だから自分の思うようには行かないのが世の常だ」
と言った。すると友人が
「私は体力に自信が無くて早期退職したけど、あなたはまだ仕事をしているし健康なうちは仕事を続けた方がいいよ。私はこれと言った趣味も無いし何か生きがいをと言ったって特に思い当たらない。有り余る時間をどうやって過ごせばいいのかわからない」
と言う。
確かにその通りだ。私もそうだからよくわかる。だから仕事はもう少し続けようと思っているのだ。言い方はおかしいが仕事が趣味でもあるから。
年を取るって素晴らしい、と言える人は趣味が豊富で、ある程度の技能を持ち、性格もポジティブだと思う。生まれ持って私のようにネガティブな人間はそうは思えないのだ。彼女も然り。

似た者同士の波長で少し鬱々して別れた。

ところが帰宅したところに電話があった。電話の主は、それこそボランティアや趣味の活動で忙しく走り回っている人だ。2年前に旦那さんを亡くした彼女は御年80歳だが、見た目も若々しくて実年齢を聞くと驚く。用件は彼女が所属している会でジオパークのガイドさんを頼んで旅行するんだけど欠員が出来たから私に参加しないかというお誘いだった。彼女の溌溂とした声を聞いたら、鬱々した気分が払しょくされ、すぐに「行く行く!」と返事をした。いつも元気で朗らかな彼女にあやかりたいと思って…。

賢治の足跡を訪ねる

2018-09-16 14:51:35 | 日記
今年四度目の岩手旅行は盛岡から八幡平と言うコースで行ってきた。お目当ては、岩手大学農学部附属農業教育資料館と焼走り熔岩流である。もちろんどちらも宮沢賢治の足跡を訪ねての旅だ。

大学は休みだったので学生さんたちもほとんど居らず、資料館のあたりも犬の散歩をする人が居ただけでひっそりしていた。
農学部だけあって敷地が広く、植物園や羊が飼われているスペースや睡蓮の咲いている池があり、周囲を散策してから開館時間の10時に合わせて資料館の前に戻ってきた。この建物は大正元年に建てられている。賢治が在籍していたのは大正4年~9年だから、二階の大講堂で入学式などが行われたのだろうなと想像してみる。ところが10時になっても中は暗くてまだ扉も締まったままだ。臨時に休館することもあると書かれていたので、まさか今日がその臨時の休館日なのかと焦ったら、玄関が開いて警備員さんが「今日は計画停電のため電気が点きませんが、どうぞ」と招き入れてくれた。「薄暗くて展示物が見えないかもしれませんが」と言うのでホッとして、「中に入れるならいっこうにかまいません」と入館料を払おうとしたら、入館料はいりませんと言われた。
中に入ると確かに薄暗くて、ただでさえ老眼になって細かい文字は見えづらいので、そういったものはあきらめたがその中で目を引いたのが第三展示室のガラスケースに収められた鳥類のはく製だ。

賢治の作品「黄色のトマト」は
「私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚には、剥製ですが、四疋の蜂雀がいます」
という書き出しで始まるちょっと不思議なお話だが、そのガラスケースのはく製の鳥を見た時すぐにその童話を思い出した。蜂雀はしきりに「ぺムペルとネリ」という兄妹のことを「かあいそう」と言い、その二人の幼い兄妹の話を語りだすのだが、まさにそれだ。このうす暗い部屋でカーテンの隙間からこぼれた外の光に反射するガラスケースの中で語りかけてきたのは賢治が紡ぎだしたあの蜂雀だ。
そんな感慨にふけりながら二階に上がると大講堂があり、大正6年以来送迎の歌を奏でたとされるピアノが置かれていた。賢治の卒業式の時も使われたのだろうな。
計画停電はあの震災の時からなのだろうか。モニターでは「宮沢賢治/青春キャンパス」と題したディジタルミュージアムが見られるはずだったが、今回は見られず残念。

その後車で1時間ほど北上し焼走り熔岩流へ向かう。賢治の会の仲間が、とにかく行って自分の目で見た方がいいと勧める場所の一つだ。賢治の詩「鎔岩流」から抜粋

 「わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
 なにかあかるい曠原風の情調を
 ばらばらにするやうなひどいけしきが
 展かれるとはおもつてゐた
 けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて
 ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
 一ぴきの鳥さへも見えない
 わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロック)をふみ
 すこしの小高いところにのぼり
 さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
 雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
 雲はあらはれてつぎからつぎと消え
 いちいちの火山塊(ブロック)の黒いかげ」

あぁ、この景色、賢治さんも見たんだ。まさに鬼神達の棲みかだ。一ぴきの鳥さへも見えなかった…が、赤とんぼは飛んでいた。それから散策路の中ほどで蟻を見つけた。どこからどうやって来たのだろう。こんな岩塊だらけの所でどうやって生きているのだろう。おそらく賢治が来た時よりは植物も増えているではないかな。

実は今回の旅行は、二日前自分の車にけっこうな傷をつけてしまい凹んでいる私を見かねて(宮沢賢治にも観光にも全く興味のない)夫が計画してくれたのではないかなと思っている。前日の夜中に急に、明日の早朝出発だからな、と言うので。
では、次に賢治の足跡を訪ねて行きたい場所、まだあります。よろしくお願いします。はい、ちゃんと感謝してますよ。


記憶にございません

2018-09-09 16:26:21 | 日記
友人が学生時代の同級生数人とクラス会をしたそうだ。その中には35年ぶりに会う人もいて、山形に旅行した時、急きょその人の家に泊まらせてもらうことになったんだけど、なぜかその話を彼女にしても、記憶はすっぽり抜けていて覚えてないと言われたそうだ。

私が
「35年も経てば忘れることだってあるでしょ」
と言うと、なんと友人は
「その時山形に旅行して泊めてもらった時、あなたと一緒だったじゃない!」
と言うではないか。
さすがに私も驚いた。その友人とは社会人1年目に職場で出会って、結婚するまで毎年泊りがけで旅行に出かけていたのだ。
山形‥、あっ、そういえば羽黒山に行った。その時友人が、学生時代の友達が車で案内してくれると言って、その彼女の車で月山、羽黒山に連れて行ってもらった。私は初対面なのでちょっと緊張したけど、あっさりした感じの人で親切にしてもらった‥ところまでは思い出した。でも、その彼女の家に泊まらせてもらった?覚えてない。そんな図々しいことしたら、いくら私でもお礼くらいすると思うし、その記憶も全くない。
「怖っ」
思わずつぶやいてしまった。
「何を食べたかを忘れるのではなく食べたこと自体を忘れるという認知症の忘れ方とは違うよね」
友人に確認する私であった。

誰?

2018-09-01 15:15:10 | 日記
友人たち数名とランチに行った時、向こうから歩いてくる男性を見てどこかで見たことのある人だと思った。
誰だったかな、と思ったその時、友人の一人が
「あら~!先生お久しぶりです~」
と手でも握らんばかりに近づいて挨拶していた。
ちょっと困ったような顔をしてそれでもにこやかに会釈してその男性が去ってから私が
「あの人見たことがあるけど誰だったかしら」
と友人に尋ねると
「名前忘れたけど、一度講演会聞きに行ったことがある。え~と、名前何だっけ、テレビにも出る大学の先生で…」
とのこと。
友人のそのヒントで思い出したけど、その男性はテレビでレポーターをやったり、情報番組のコメンテーターをしたりしていたので顔を覚えていた大学教授だ。テレビでしか見たことないけれど私はFさんと言う名前まで思い出したぞ。
つまり、友人はたった一回その先生が講演したのを聞いただけのことだった。
「えっ、あなたがさっきすごく親しそうに挨拶してたからてっきり知り合いかなんかだと思ったら、そういうこと?」

有名人も大変だね。いきなりおばさんに「お久しぶり~」なんて声かけられるんだもんね。