優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

1986年4月3日の日記より(母親になった日)

2020-02-28 08:49:24 | 日記
4月3日
 赤ちゃんは計測されているとき「クシュン」とくしゃみのようなものをして、ドクターやナースが「おっ?」とか言って笑っていた。私は傷口の縫合をしてもらい痛かったけれど、それより安産だったことに対する大満足でとても幸せな気分だった。
朝7時ストレッチャーで病室へ移され、母に経過を話しながら朝食を食べる。ベビーは予想通りくるくる巻き毛で、産道を通ってきたばかりなので額が長くて変な顔、でもやっぱりかわいい。4時間後にアイスノン(子宮の収縮を早めるためにお腹に乗せている)を外すと言われていたが出産が立て込んでいた(この日は4人産まれた)ので結局看護婦さんが来たのは5時間過ぎてからだった。昼前に妹が来て話をしていると突然M君が来たのでびっくり。
13時、8時間後の初回歩行。看護婦さんに歩くよう言われて恐る恐る病棟内を一周してみる。汗びっしょり。
15時、第1回目の授乳。どうやったらいいのか分からず、赤ちゃんもどうやって飲むのかまだわからない様子。二、三口しゃぶってはやめ、また二、三口。頑張れがんばれと励ましつつ飲ませるがあまり飲めない。
出産から昼過ぎまですごい興奮状態が静まらず、やっとこの頃になると落ち着いてきた。
19時、二回目の授乳に行ってる時、M君と妹が来て赤ちゃんと初めての対面。赤ちゃんは目を開けて見ていた。鼻の所は誰に似ているとか目から下は誰に似ているとか話す。

(赤ちゃんの顔なんてみんな猿に似てるよね。でも赤ちゃんを見ると必ず誰それに似ている話はするんだな笑)

1986年4月3日の日記より(赤ちゃん誕生)

2020-02-27 16:49:33 | 日記
(初めての出産でアドレナリンが出まくっていたせいか、この日は記憶が鮮明で、日記への記載はもちろん退院してからだと思いますが、分単位で書かれていました。さすがに今となっては忘れていることもありましたが、読むと当日のことが思い出されます)

4月3日
 3時間ほど熟睡し午前2時10分トイレに行く。さてもう少し眠ろうかなと思っているときお腹のベビーが急にゴトゴトッという感じで動いたので、あれ?変な動きだなと思った次の瞬間、キューっと痛みが走った。もしかしたら!と思い時計を見ると2;40。痛みはスーッと引いていき、次にまた同じような痛みが来たのが2:49。これは陣痛に違いないと思ったが、わりに冷静に次の陣痛の間隔を計りながら着替えをし布団を片付けた。次の陣痛が来たのは2:58。ちょうど9分間隔で陣痛が来ている。規則正しく陣痛が来るのでこれは絶対にそうだと思って両親の部屋へ行くと、父はその時間にスタンドの電気をつけて本を読んでいた。母は「陣痛が始まったってすぐにはお産にならないからあわてるな」と言っていたが、今にして思えばそんな悠長なことを言ってる場合じゃなかった。だってその時はもう、間隔は3:03~3:08~3;13と5分間隔になっていたのだ。病院に電話をしたのが3:19の陣痛の後で、父の車で3:30に入院した。

(あれ?家から病院まで10分もかからないで行けたっけ?きっと父が猛スピードで運転したんだな笑)

看護婦さんの問診や血圧、採血など処置を行っているとき陣痛が強くなってきて返答するのも苦痛だった。助産婦さんですら既にお産が始まっていることに気が付かないくらいの早さだったようで、注射を打たれているとき身体中ががくがく震えだし、いろいろ説明されたことはほとんど耳に入らなかった。処置室から陣痛室へ移動するときは貧血起こして倒れそうになったがそれでも気が張っているので何とかふらふらしながらもベッドに横になる。その時陣痛室には先に二人入っていたので、後から来た私が声なんか出したら恥ずかしいなと思い我慢していたのだが、もう痛くてそれどころではなく、冷や汗と唸り声が出た。この苦しみがもっとずっと続かなければお産にならないのだと思った私は、うんうん言いながら我慢していたら突然プツンと。破水したのだ。ナースコールを押すと、飛んできた看護婦さん「えーっ!早いわね!」と内診してあわててインターホンで「お産でーす!」

(母もそうだが看護婦さんも、陣痛が始まってから半日、もしくは一日近くかかる人もいるのよと、すぐにはお産にならないというので、そうか、こんなに痛いけどこれは序の口でこの痛みが何時間も続くのかと我慢していたのだ)

急いで分娩室へ。準備が間に合わず急いでいるようだ。呼吸法や息みのタイミングはどうするんだっけ、と思いながら適当に息んでみるが、なんだかまだ準備が整ってないようで不安だったので途中で止めると助産婦さんから「止めないで」と声がかかり、次に「呼吸変えて、ハッハッ、の呼吸にして」と言われたので私は失敗したのかと思った。だってたった一回の息みで産まれてくれるとは思わなかったから。でも助産婦さんの「呼吸を変えて」の声を聴いた次の瞬間、あの痛みと苦しみがすっと消えて、あ…と思った時「おぎゃーおぎゃー」の産声が聞こえた。私はその産声を聞いて、ドラマで見る出産シーンと同じだと不思議な気持ちだった。助産婦さんがすぐに赤ちゃんをお腹の上に乗せて「はい、産まれましたよ。男の子です」と見せてくれた。私は何とも言えないすごく満ち足りた気持ちになった。「ほら、触ってみる?」と言われどこに触ればいいのか恐る恐る肩の所をちょこんと触ると赤ちゃんは薄目を開けて私をチロッと見た。

(あの時の「お前が母親か」とでも確認するような、あのチロッとした目つき(笑)覚えています)


買い置きマスクが残りわずか…

2020-02-26 14:52:19 | 日記
毎日のように新型コロナウィルスの話題。covid-19という名前の感染症だが、イベントの中止や自粛、学校や職場の休業措置など対応に苦慮される。
最近、三十年以上前の自分の妊娠出産時の日記を読み返して綴っているわけだが、現在出産を控えている妊婦さんにとってこの事態はどんなに不安な事だろう。一刻も早く収束してくれることを願う。

1986年4月の日記より(出産直前)

2020-02-25 19:46:39 | 日記
4月1日
 なんとなくそわそわして落ち着かず、マタニティの雑誌や母親学級のテキストを繰り返し読む。おなかの張りが頻繁になって来て腰のあたりが重苦しい。
15時40分トイレに行くと少量の出血。これが「おしるし」というやつなのかなと思って母に言うと「まだ大丈夫だけれど、入院の物を準備しておくように」と言われた。いよいよかと思うと緊張する。いつ陣痛が始まるのか不安だったが、骨盤の圧迫感はあるものの夕食はいつも通り食べ何事も無かった。M君からの電話には出血して動揺したことは言わず、そろそろかもねとだけ告げた。

4月2日
 雨の音で目が覚めたのが2時。それから気持ちがすごく高ぶって、うとうとすると怖い夢を見て目を覚ますという繰り返し。夜が明けて明るくなるとホッとしてやっと眠りについた。赤ちゃんが随分下がってきているように感じます。18時、お腹が固くなって出血もありましたが陣痛はまだ始まりません。ときどき寝返りを打つような感じで赤ちゃんがごろりと動きます。食欲もあり夕食後、バナナやリンゴやミカンも食べました。
あと1時間足らずで4月3日になります。
 

1986年3月31日の日記より

2020-02-23 10:52:41 | 日記
3月31日(月)
 今日で3月も終わりです。病院に行くと「おなかの張りは前駆陣痛で、もしかしたら今週産まれるかもしれない」と言われ、緊張しました。4月1日までは早生まれの扱いというので、皆が「明日はやめてくれ」と言います。

(そうだったなぁ。皆で、4月1日の早生まれはかわいそうだから、明日産むのだけはやめろって(笑)そんなこと言ったってねぇ)