優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

散歩して分かったこと

2019-10-27 07:32:26 | 日記
早起きしたので散歩した。
十月にしては暖かく、上着がいらないくらいだった。
家の前は遊歩道になっており、散歩するのにはいい環境である。
刈り取られた花畑の所では、こぼれ種でも啄ばんでいるのかハトが忙しそうに動き回っていた。
頭上では鳴き交わしながら編隊を組んで白鳥が飛んでいた。見上げると5cmに満たないくらいの大きさだったので随分高く飛んでいるのだなと思ったが、それよりも飛蚊症のもやもやが沢山見えたので目の老化を思い知る。
少し歩くと工事の看板があってそれに「浸水の被害を防ぐために用水路を工事しております」と書かれていた。
昨今の水害で被災された地域の報道を見ると他人事ではない。早めの対策を取ることがなによりだと思うので、できることから取り組んでいるのはいいことだ。
冷たくはなかったが風に当たると涙が出てきた。これも目の老化なんだよな。

話が通じる

2019-10-23 09:57:59 | 日記
同年代のおばさんたちとの会話
「あの…、ほら、ちょっと上の世代で、銀行員を辞めて歌手になった人…」
「あぁ、わかる、あの人ね」
最近こんな感じで、固有名詞が出てこないけど話が通じちゃってる。
「高校生の頃、クラスのお金持ちの子が買ってたのを見せてもらった映画の雑誌…」
「うん、うん、あれね。ファッション誌や週刊誌は自分のお小遣いでもでも買えたけど、あれは高かったからね」
さらにその友人は
「付録で好きな俳優のポスターが付いてくる時は奮発して買ってたな~。大好きだったあのスター、西部劇の…ん~名前は…」
「あぁ~、西部劇のあの人ね。かっこよかったよね~」
お互いに話は通じてるのだが、名前が出てこないもどかしさ(笑)
その会話を聞いていた少しだけ若いおばさん。
「はい、小椋佳。ロードショー。ジュリア―ノ・ジェンマ。でよろしいでしょうか」

13都県にわたる被害

2019-10-14 07:59:21 | 日記
今朝、新聞を取りに外へ出ると上空から白鳥の声がした。
見上げるとWに編隊を組みまっすぐ南の方向を目指して飛んでいくのが見えた。
今年も渡りの時期が来たのだ。
台風一過で空は晴れている。
テレビでは河川が氾濫し被害に遭われた地域が映し出されている。
目を覆いたくなるような無残な光景。
自然に抗うことは出来ないのだと思い知らされる。
夢なのか現実なのかと呆然と立ちすくむ人。
一日も早く平穏な日々が訪れますように…

備えあれば患いなし

2019-10-11 18:16:22 | 日記
今日午後、スーパーに行った。
駐車場が満車だったので、この時間にこんなに混んでいるなんて珍しいなと思いながら中に入ると店内は買い物客でごった返していた。
今日ってなんかの特売日だったっけ?それとも近くで行事でもあってその帰りの人たち?と不思議に思いながら買い物をしていると、パンや野菜などは半分くらい棚が空になっている。肉や魚などもいつもより品薄であまりいい物が無かったのであきらめて帰ろうとしたら、あわただしく品物を並べていた店員さんの会話が聞こえてきた。
「3時過ぎには届くみたいだが」「しょうがないな」
売り切れて足りなくなった商品を発注したようだ。
「なんでこうなった?」「なんか、お客さん、台風が来る前に買い物済ませてしまおうって大勢来たみたいで」
あっ、そうか。テレビで大型の台風19号に注意するよう1週間も前から報道しているものね。
ここも予報円の中に入っているから十分気を付けないといけない。
家に帰って物干しざおや鉢植えなどを小屋の中に仕舞った。
どうか被害が出ませんように。

十月の末

2019-10-05 10:21:47 | 日記
「十月の末」は宮沢賢治の小品。田舎の村の子供を通した日常が描かれている。

賢治は自分の詩のことも、友人(森佐一)に宛てた手紙に
「これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません」
と書いているように心象スケッチという言葉を使っていた。

そんなことから「十月の末」も村童スケッチなんて言われたりする。
ドラマチックな出来事が起こるわけでも無く、田舎の幼い子供の一日の出来事が描写されているのだが、それでも大学の偉い先生が読むと「近代国家の中の地方の運命」などという難しい評論になったりするから面白い。まぁ、私はそんな難しい話はさておき、今月の「賢治童話の会」の当番なのでじっくり読んでみた。すると今まで気が付かなかったところに面白さを発見し、賢治の童話を子供の時に読んだ人は大人になってからもう一度読んでみたらまた新たに楽しめるのではないかと思った。
たとえばこの話。母親と祖母が「酔ったぐれの爺さん」のことを話しているのを聞いた幼い子供が近所の友達に、自分のとこの「酔ったぐれの爺さん」と友達の家の「酔ったぐれでない爺さん」を取り換えっこしないかと持ち掛けるのだが。
ウンというくらい耳を引っ張られて見ると、おじいさんが章魚のような赤い顔をして「なにしたど。爺んご取っ換えるど」と上から見下ろしており、取っ換えないから許してと謝る場面。思わず笑みがこぼれるようなそんな描写や賢治独特のオノマトペの表現なども楽しめる作品である。

「十月の末」では夜になって突然「ガタァッという音がして家はぐらぐらっとゆれ」雷が鳴り「氷砂糖を振りまいたよう」な雹が降る。
今年は十月といっても昨日は気温が三十度近くまで上昇したが今日は十度も低くなった。またインフルエンザの流行の話も身近なところから聞いた。季節の感覚がよくわからなくなっている。でもさっき、親せきから新米が送られてきた。季節は秋。実りの秋十月である。十月の末にはここでも雹が降り季節は冬へと向かっていくであろう。