優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

三歩歩くと

2017-09-25 18:04:56 | 日記
秋彼岸の中日に、お墓参りに持って行く花を買ってレジに並んでいたら、レジ横に「記憶力を維持する」と書かれたガムを発見。

ガムをかむだけで記憶力が維持出来るんならいいよね。
しかも中高年向け、と書いてある。
ついこの前も予定をすっかり忘れてすっぽかしたばかりだ。
私のために作られたようなものだ。

精算が済んだけど気になって、どんな成分が入っているのかと効能書きを読んでいたら夫が来て
「早くしろ」
と。
私が
「ちょっと待ってよ、このガムを噛むと記憶力が維持出来るんだって。試してみようかな…」
と言いかけると夫は、
「はいはい、いいから、いいから。どうせ3歩歩いたら買おうと思ったこと忘れるから」
と未練がましく立っている私の腕をぐいぐい引いて店の外へと。

…ふん!





2017年9月23日

2017-09-23 14:41:40 | 日記
「NASAが惑星衝突を否定」というニュースを見て、そんなニュースがあったのかと今まで知らなかったのだが、ネット上で噂が広まってしまったのでNASAがわざわざそれを否定するコメントを出したということらしい。

そういえば高校生の時だったか、ノストラダムスの大予言が流行ったことがあった。
1999年7の月地球が滅亡するとか。
今みたいにネットなんてない時代だったので、流行に敏感なクラスメートが仕入れた情報を学校で聞いて、それが広がって行くような田舎の高校だった。
今はどんな田舎に居ようがネットの環境さえあれば瞬時に情報を得ることができる。

あの時も信じたわけではなかったがその類の話は結構好きなので、誰かが持っていた本を借りて読んだりした。
そして、矛盾を突いたりこじつけを笑ったりしながら、その関連ネタを笑い飛ばしていた。
でも今もしそういったことを全面的に信じる人だったら、認知的不協和が生じて都合のいいことだけをネット上で拾い上げ、どんどん増幅していくのだろうなと思った。

誰でも自分が思ったことは正しいと思う。自分の意識は間違いないと思う。
でも何が正しくて何が間違っているか、時には自分自身を疑ってみることも必要だと思う。

台風

2017-09-18 10:18:06 | 日記
各地に被害を及ぼした台風18号。
我が家にも被害を被った者がいた。

車で1時間半ほどの県内に住む次男である。
連休最後の日が休みになったということで昨夜遅く仕事を片付けて、急きょ深夜に帰省することにした。

連絡も寄越さずふらりと立ち寄るのは毎度のことで、合鍵を持っているので夜中でも家に入ることは可能だ。
ところが昨日は台風が来るからと夫が早々と戸締りをし、そこまではいいのだがいつもは閉めない風除室の戸にしっかりカギをかけたのだった。

次男は玄関のカギは持っているが風除室のカギは無い。
家の前まで来て家に入られないという状況。
しかも深夜なので家人を起こすのは忍びないと朝まで車中泊したそうだ。
朝になって、何か被害が無かったかと外を見て次男の車を発見、慌てて車の中で寝ていた次男を起こした。
(狭い車内で寝てエコノミークラス症候群ってこともあり得なくないからね)
これも台風の被害ではあるよね?(笑)

幸いここいらは大した被害も無いようだが、ここのところ自然災害が頻発しているような気がする。
それに加えミサイル問題も。
原発が招いた放射能の問題も解決できないままだ。
どう足搔いたって自然の前で人間は無力なのに、生態系そのものに影響を与える人災は絶対に起こしてはいけない。

九月は第三土曜日だった…!

2017-09-16 13:02:32 | 日記
今日は夕方まで仕事がないのでまったりして過ごし、昼近くになってパソコンの横にあるカレンダーを見て呆然とした。
月に一度受講している文学講座の日だったのだ。すっかり忘れていてすっぽかしてしまった。
なんということだ!今週初めには覚えていたし、祝日の関係で今回は第三土曜日だから仕事の時間とかち合わないことも確認していたというのに。
ショックだった。年齢のせいにはしたくないが不安が過ぎった。

ついこの前夫が、晩飯いらないと言ってたのに普通に帰ってきたので、何なのという会話をしたばかりだった。
夫「いやー、今日の会議、七時だと思っていたら五時だった」
私「あ?そういえば(トイレの)カレンダーに〇〇会議17時って書いてたけど、もしかして…」
夫「そうでした!17時と7時、間違った」
私「そんな間違い方ってある?…子供か?!」

そんなことがあったので夫には教えたくなかったが、この先物忘れをお互いに補い合って行かなければならなくなるかもしれないと思い、正直に話した。
案の定夫は鬼の首でも取ったように「ばーか」と一言。
すぐに私は「何よ、自分だって会議の時間間違えてたくせに」と蒸し返してやったわけだが。

そして反省。これからはやさしく、「明日の会議17時って書いてあるけれど間違い無いの?」とか言うようにしよう。
そして(嫌だけど)トイレのカレンダーに私の予定も書いておこう…。

ふくろう

2017-09-09 16:45:13 | 日記
今年の春オープンした梟カフェ。
梟を間近で見れる。触れる。是非行きたい。
早速場所を確認しに行くと、雨降りだったにもかかわらず入り口には傘をさした人たちが行列していた。
オープン当初は混むのは当然と、混雑が落ち着くまで待つことにした。
そして夏休みも終わり、先日長男が帰省した時やっとのことで行ってきた。

梟は猛禽類で夜間の生態系ピラミッドの頂点に位置するとのことなので、気安く触ったりなんかできないのではないかと思っていたが、想像していたのと違い、なんという穏やかで落ち着いた性格。
宮沢賢治の童話にも梟はよく登場するが、「二十六夜」という作品はなかなか奥深いテーマがあり考えさせられる話だ。

北上川のほとりの松林で夜な夜な梟の集会があり、梟のお坊さんががお経を唱えその教えを説いていた。
これは梟たちにとっての仏教であり、弱肉強食という世界で生きる自分たちの宿命を嘆き、その昔雀として生まれ飢えに苦しむ人々のために命をささげた「疾翔大力」という仏様の講話が語られる。
翌日、幼い梟の子供が人間の子供に捕まってしまい、庭先に足を紐で繋がれてしまった。
梟たちは泣いて騒ぎ何とかして助け出そうとするが叶わず、その夜、梟のお坊さんの「この世界は苦界といふ、又忍土とも名づける」「苦を離れる道を知るのが肝要」という説教を聞く。
次の日、梟の子供が足を折られ瀕死の状態で捨てられているのを発見され、松林の木の藁を敷いた上に寝かされた。
梟たちは怒って人間に復讐をしようと言い合う。
そこでも梟のお坊さんは「なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自からがもとなのぢゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない」と言う。
梟の子供は話すこともできない状態だったが、どうしても今夜のお説教を聴聞したいような様子だった。
そこで梟のお坊さんは、一つの悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。悪より悪へとめぐりいつまでたっても終りにならないと説き、我々梟も、小鳥などが一日を終え疲れてゆっくり眠っているのをいきなり襲って貪食するではないか、実にあさましくなさけない我らの身なのだと話す。
いつか空には月が上り紫色の雲の上に菩薩「疾翔大力」が現れその左手が伸びたと思うと消えて梟の子供はかすかに笑ったまま息をつかなくなった。

賢治は法華経を深く信仰し、それを童話にした作品がいくつもある。
この「二十六夜」というお話もまさにそうなのだが、梟を主人公としているところが面白く、雀として生まれたがその功徳から仏様になった「疾翔大力」というネーミングがいい。本来賢治が言わんとするところまでは読み取れないが、完璧な菜食主義者でもない限り多かれ少なかれ何らかの命を奪って生きているので、ではどうすればいいのかということもわからない。おとぎ話だったら猿蟹合戦のように人間に復讐しに行こう(火のついた藁を家に投げ入れようという案や赤子の頭をつついてやろうという案が出ていた)という展開でもいいわけだが、賢治はそんな話を描きたいわけではないのだ。
25歳の時、法華経が好きすぎて家出して国柱会の門をたたき、下足番でも何でもするからと頼んだそうだ。その時の指導者に、文学の才能があるから法華経を文学で表現することを勧められたというのがきっかけになったようだ。その人が後から賢治の文学には童話であれ詩であれ短歌であれ、それが法華経だとか宗教だとか前面には出ていなくても「その中には、天地宇宙の大真理たる法華経の大精神が、何らかの色となり香りとなって、芸術的に織り込まれているのである」と言っている。まぁ、宗教のことはよくわからないしそんな風に難しく考えなくとも、登場する梟の役割言葉も面白いのでおじいさん梟や兄弟梟お父さんお母さん梟など想像しながら読むと楽しめる。足を折って捨てるという残酷なことをするのが人間の子供というのも、一番悪いのはヒトだということなのか。

そうそう、梟はとっても可愛くておとなしくて…でもネズミを捌ける人でなければペットにしない方がいいw