風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

オニヤンマの夏がやってきた

2015年07月20日 | 「詩集2015」

夏の朝だ。
いつもの、いつかの夏の朝だ。
ことし初めての朝顔の花が咲いた。また騒がしいクマゼミが鳴きはじめた。澄みきった青い空、ふんわりした白い雲。
いつもの、いつかの夏が始まった。
だが、そう思うのは勝手な思い込みかもしれない。

けさ花開いた朝顔の花は、初めての夏の朝の光を知ったのだ。今朝のセミはやっと地上に這い出して、初めての夏の朝の風を知ったのだ。
花は細い蔓のさきに、初めて自分の色を浮かべ、虫は初めて自分の声を発したのだ。
古い古いぼくのような人間にとっては、繰り返されたお馴染みの夏で、暑い暑いとぼやいてばかりいるが、自然界にあるほとんどのものたちは、新しい初めての夏を迎えているのだろう。

朝の公園で、いつものようにいい加減な瞑想をしていると、視界をさかんに横切っていくものがある。
まるでぼくの雑念を切り裂くように、夏草の上をすれすれに行ったり来たりする。よく見ると大きなトンボのオニヤンマだ。
去年の夏もそうだった。同じところで同じようにオニヤンマが徘徊していた。まさか去年のオニヤンマがまた戻ってきたとも思えないが、この光景はそっくり同じだ。この行動の記憶を、彼はどうやって受け継いでいるのだろうか。それとも単なる虫の習性なのだろうか。

オニヤンマは、凶悪なスズメバチでも捕らえて食べてしまうらしい。だが、まっすぐに飛んでくるその先に、ひょいと竹竿を差し出しただけでも、ぶつかって落下してしまう脆さもある。そんな古い夏の記憶が、罪悪感をともなって蘇る。
繰り返される古いことと新しいことが交錯する、夏の朝。
オニヤンマが切り裂いた朝の光の中に、ぼくもまたなにか新しいことが見いだせるだろうか。できれば新しい風を吸いこんで、風景の記憶を新しく塗り替えたいものだ。














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