風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

だったん(春の足音がする)

2017年03月06日 | 「新エッセイ集2017」

ちょうど阪神大震災があった年だった。
東大寺二月堂の舞台から、暮れてゆく奈良盆地の夕景を眺めているうちに、そのままその場所にとり残されてしまった。いつのまにか大松明の炎の行が始まったのだ。舞台上でまじかに、この激しく荘厳な儀式を体感することになったのだった。
はるか大仏開眼の時から、一度も欠かさずに行われてきたという、冬から春へと季節がうごく3月始めの、14日間おこなわれる修二会(お水取り)の行である。
気がつくと眼下の境内のあちこちに点灯された照明が、二月堂をまぶしく照らしはじめていた。その頃には、明かりの海と化した奈良盆地から、この山麓の斜面に向かって、透明な水のように冷気があがってくる。欄干から下をのぞいてみると、境内はいつのまにか人で埋め尽くされていた。

7時ちょうどに大鐘が撞かれると、境内の照明がすべて消された。芝居の拍子木のように鐘が連打され、これから始まる儀式への期待が高まっていく。
とつぜん視界の右手下方の一角が明るくなった。大松明が勢いよく燃えながら、暗くて長い登廊の階段を上がってくる。大きな炎の固まりは、階段の途中で止まっているようにも見え、動いているようにも見え、逡巡する何か大きな生き物のようだった。
大松明は上堂する練行衆の道明かりで、それぞれの大松明に錬行衆がひとりずつ導かれて登る。練行衆とは、修二会の行に参籠する僧のことらしい。
やがて階段を上りきった大松明は、本堂の舞台に勢いよく登場し、童子(松明を運ぶ僧)が長くて太い真竹の柄を欄干で支えるようにして、燃えさかる炎を中空の闇へ突き出す。どっと沸きあがる歓声。つづいて太い真竹の柄を抱えるようにしてぐるぐると回すと、四方八方に飛び散る火の粉を浴びた観衆の、さらに大きな歓声が炎の闇を突き上げてきた。
10メートルほどもある大松明が目の前を走り抜けていく。辺りが燃えあがるように明るくなって熱気が広がる。炎となった杉の葉のはじける音と香ばしい匂いが充満し、板敷きの上では飛び散った火の粉が燃えている。それを東大寺の法被を着た雑司が、忙しく箒で掃いて消していく。
回廊の端まで到達した大松明は、最後の火の粉を振り払って脇へと下がり、反対側から次の大松明を抱えた童子が、再び勢いよく火の粉を散らしながら駆け抜けていくのだった。

背後の本殿からは、鉦の音と声明が聞こえてくる。
本殿の内陣は薄暗く、白い帳を透して灯明の明かりだけがぼんやり見える。その奥の見えない暗がりが怪しげで、神秘な雰囲気に包まれている。静寂と喧騒が交互している。練行衆たちが駆け回っているらしい、いっとき床を踏みならす木沓のかん高い音。そして再び静寂。達陀(だったん)の行法というものが行われているらしい。
このとき光と音の二月堂は、季節の分かれめの闇の窪みで、生まれ出ようとする生き物がうごめいているようだった。
地軸が傾き、大地が揺れ動く。

この冬の、その感覚と恐怖は、まだ体の中で揺れつづけていた。
マンション9階のまだ薄暗い部屋で、大揺れに揺さぶられた。何が起きているのか分からなかった。
とほうもない大きな怪物が、建物を壊そうとしていると思った。大きな手がベランダの戸を、ガタガタとこじ開けようとしている。何本もの手が、食器棚の食器を床に投げつけている。次はぼくの体が、コンクリートの壁とともに、大地に叩きつけられるにちがいなかった。ああ終わってしまう、と恐怖が走った。
何の音かわからない、さまざまな音が襲ってきた。
闇の中を炎が走り抜けた。
体が揺れた。一瞬いま居る場所を忘れていた。

つぎつぎに、大松明が火と煙をふりまいて駆け抜けた。火の儀式は終わった。
二月堂に静かなもとの夜が戻ってきた。水のように人々の影が引いてゆく。そのあとも薄暗い内陣では儀式が続けられている。帳を透かして白く浮いた灯明の前を、ときどき黒い影が遮り、床を踏みならす木沓の音も、なお続いている。
千数百年前と同じ行法が、そこでは行われているのだろう。平重衡の南都焼き討ちのあとも、戦国時代に大仏殿が焼け落ちたあとも、そしてさまざまな災害や大震災のあとも、儀式は途切れることなく引き継がれてきたのだ。
古都の夜を明るく照らし、駆け抜けていった大きな炎をみた。千年の歴史を運びつづけてきた、火の軌跡をみた。人々の命を燃やした、火の輝きをみた。心の内に熱く燃える炎が残った。
お水取りが終わると、近畿には春が来るといわれている。
だったんの沓音が、命の扉を叩きつづけた、そんな春の始まりだつた。


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2 コメント

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Unknown (serohiki)
2017-03-07 10:56:05
こんにちは。

東大寺二月堂の大松明の炎の行。
目の前で見ているような臨場感がありました。
阪神大震災の時の怖さも。。。

千数百年前の儀式が、
何があっても続いていることに
安堵し、時の壮大さを感じますね。

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燃えつづける (yo-yo)
2017-03-07 18:37:34
serohikiさん
いつも読んでいただき、ありがとうございます。

千数百年という長い年月、受け継がれてきたものの、
時空を超えた炎の美しさを見るようでした。
いまも、こころの火となって燃えつづけています。

serohikiさんのブログの、
おいしそうな料理や銘菓の写真をいつも拝見しながら、
どんな味かな、などと想像しては楽しんでいます。
もう体調は回復されましたか。

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