風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

から芋の蔓も茎も食べたが

2023年05月22日 | 「新エッセイ集2023」



その年の春の 桜が開花する前に 父は死んだ その前夜 きれいに髭を剃って寝て 何処かへ出かけるか 彼女に会うためか ほかに予定があったのか あるいは習慣だったのか だが残念それきり 父の朝は来なかった ひとつ布団で寝ていた母も 朝寝はいつものこととて 朝遅くまで気づかず それで母は 警察の尋問を受ける始末 小心な母は悲嘆倍増 長くて短い1日をやっと 夜はいつもの夜ではなく 布団に寝かされた遺体を 家族がとり囲んで過ごす 久しぶりの家族になって 悲しみよりも和やかさ 水害で建て替えた プレハブの家は寒いので すこしでも暖をとろうと 佛の布団に手足を入れたが その夜具はいっそう冷たく 生前の父の所業などが 笑い話になって熱くなる 父はよく夜釣りに出かけた 川には河童がいて 尻の穴から血を吸いにくる 母はそう言ってぼやいた 6年前に父は店を閉じたが そもそも父が 商売を始めたきっかけは から芋の蔓だった 長男だった僕は そんなことを弔辞で述べた そばで母や妹たちの すすり泣きが聞こえた から芋が 大切な食料だった時代 買いだしに行った先で 金銭のやりとりがあり 父はそのことを息子に話した 金を儲けることは楽しい 商売は一番だと 最初は毛糸を扱っていたかな 大きな風呂敷包みを背負って 近隣の農家を回っていたが 毛糸から衣類へと 背負うものもだんだん増え 販路も広がったので ごっついハンドルの付いた 中古の自転車を手に入れ 稼ぎのスピードは早くなった やがて小さな店も開く 冬は練炭火鉢 夏はお中元売り出し 宣伝用の団扇も配る 新物や古物がぶら下がった店で 父は傍らのラジオで 野球放送を聴きながら 潮くさい釣竿の手入れをする 売れる売れないといっても その程度の繁盛ぶりで 暇なときはパチンコと釣り から芋に食いつく魚もいるという 雑炊とから芋の蔓のまずさ 僕はすこしだけ知っている けれどもついに から芋の蔓の育て方や それをお金に変える才覚は 持てないままの息子が 帰省して家を離れるときは 西日を避けるための 大きな暖簾の前で 父はいつまでも立っていた その視線の先には 橋があり駅があるのだが 橋の上で僕は いちどだけ振りかえると 父はまだ西日に照らされて じっと立ったままでいる 父と息子 いつも少しだけ距離がある 釣りの話以外に何か 真剣な話をしただろうか どんなことかて真面目に 熱中してやらなあかん 勝つってそういうことや それは父が息子に伝えた 釣りとパチンコの必勝法だったが いまだ僕は勝ったことがない


自作詩『河童』





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