あれから作業がすすみました。
映像は、盛り上げ駒「歩兵」の根付の金具を取り付けた姿。
「菱湖」あり、「古水無瀬」あり、「錦旗」あり、「源兵衛清安」あり。金具は抜けないように接着剤を併用して、しっかり固まってから、紐を通して完成します。
この後、予定している「歩兵以外」ですが、「折角の盛上駒なので、金具を付けないで、そのままの方が良い」という声もいただいたりしていますので、最終的にどうするか、考え中ではあります。
2月15日(火)、晴れたり曇ったり。
朝の気温は2℃。それでも太陽の日差しが強かったので、昨日の続き、駒箱の下塗りを始めました。
10時半ごろ、一旦近くのスーパーに買い物。
午後は来客があり、その後、16時から駒箱の下塗りを再開したのですが、夕闇が迫るころには、地面からの冷気。やっぱり冬なんだなあ。
ということで、今日も一日が過ぎようとしています。
ところで、本日の映像は、仕事場の一角。
3年ほど前に、木村一基王位の就位祝賀会でバトルロイヤル風間さんに書いていただいた似顔絵。
駒の写真の横に並べています。お笑いください。
2月14日(月)、薄曇り。
午前中は、昨日に引き続いての「根付」作りでした。
その映像です。
具体的には、作り余った駒の中から、まだ盛り上げていない駒やよろしくない駒を取り除いて、盛り上げが済んでいる駒をセレクト。
比較的新しいものもありますが、中には20年も前に出来上がった駒もあるので、もう一度、面取りを含めて表面を磨き直しするところから再開しました。
そうしてセレクトした駒の尻には、先ずは漆で「良尊(花押)」の銘入れ。
小さな「歩兵」駒なら、厚み7~8ミリの中に3文字を書くことになります。
ここまで進めた駒は「菱湖、古水無瀬、錦旗」など100枚。
これに今日は50枚追加して合計150枚。文字数にして450文字。
ところで、この後は、駒の天頂にU型の金具を取り付ける作業ですが、それには、先ずU型の金具(針金)を作らなければなりません。そして駒の天頂に金具を差し込んで取り付けるための二つの小さな穴をあけなければなりません。
根付づくりには、まだまだ工程と時間を要するのですが、この際ですので、他の書体も含めて残りも全部、済ませようと思う今日この頃です。
2月14日(月)、深夜。
目が覚めて、4月の展示会のことを考えています。
即売品のほかに、非売品としては何を展示できるか。
思いついたのは、
1、「大局将棋駒」作成プロセス現物資料。
(22年前にリクエストで作った804枚の大局将棋駒は、
大阪商業大学で常設展示されている。
本品は、その作成プロセスで作った「ひな形」の駒)
2、象牙製の「中将棋・水無瀬駒」の推定復元品。
(400年前の水無瀬家「将棋馬日記」には、家康、秀頼それ
ぞれに象牙製中将棋駒が贈られたことが記されているものの、
現品は失われており、本品はそれを推定復元した92枚)
3、水無瀬神宮に遺る「水無瀬兼成卿の駒」の「レプリカ」。
(小生が、20年を経て初めて肉筆の書き駒で、400年前の
水無瀬駒を模倣して作った駒)
4、象牙製「極小の雛駒と盤」。
(盤は手のひらに収まる6✕5センチ。駒は幅5ミリ。
文字は漆の楷書にこだわって作った豆粒より小さな雛駒)
5、江戸時代の「俊光作・中将棋駒」。
(およそ250年ほど前の書き駒。ツゲ製、92枚の完品)
6、小生作「摩訶大々将棋駒」。
(駒192枚。「将棋馬日記」に基づき作成し、文字は小生の
肉筆で20年ほど前に作成した。盤は碁盤サイズ)
7、「谷川浩司書の駒」。
(谷川浩司書の駒は、谷川先生の要請と許可が必須であり、
余人の模倣は慎んでいただかなければならない。
文字は、これまで34才と46才の筆跡でも作成しており、
本品は、新将棋会館建設に伴う要請による59才筆跡の最新作
で、予備として手元に保管している品)
以上。
2月17日(日)、雨。
一日中の雨でした。
本日の映像は、展示会用の「根付」作り。
余った盛り上げ駒の利用、再加工。
昨日に引き続き、駒尻に銘を入れています。
昨昨日、今日と100枚ほど。文字数は300文字。明日以降も続けます。
展示会のお尋ねをいただきました。
詳しくは、3月になりましたらお知らせしますが、概略は次の通りです。
1、日時は、4月16日(土)、17日(日)の二日間。
11時から16時までを予定しています。
2、場所は、京都府木津川市加茂町。
JR加茂駅から徒歩5分程度の木津川市支所にある「アジサイホール」。
もちろん入場無料です。お気軽にお越しください。
(大阪駅、あるいは京都駅から約1時間)
3、展示品は、「良尊駒」40組ほどに加え、小生作各種駒木地も。
そのほか将棋盤、駒箱、将棋チェストなど。
それに、福井在住の神戸(若水)さん作の駒も、賛助出品を予定。
4、壁面には、木村名人家所蔵の歴史的将棋駒などの写真パネル(12枚)。
なお、事前に出席のコメントをくださった方と、当日、芳名録に署名してくださった方には、小生作の根付駒を進呈するともりです。
2月13日(土)、深夜。
oakcreek様より、うれしいコメントをいただきました。
何年か前に、雛駒を作成させていただいたのですが、oakcreek様のブログに、その様子の画像をインスタグラムでアップしたとのご連絡をいただきました。
インスタグラムは使ったことが無かったのですが、先ほど、使い方を教えていただいて試みましたところ、このような画像を見ることができました。
その画像です。
将棋盤の大きさは、6センチほどでしょうか。
oakcreek様は、雛道具を愛玩なさっていて、画像はそのうちの3面。
これらは古いものですので、駒や碁石は残っていないのですね。
で、この中の直径3ミリほどの「碁石」は焼き物で、ご自作されたそうです。
白く映っている雛駒は、幅5ミリあるかないかの象牙製。
心持ち厚く作りました。
と言っても、厚さ1.5ミリほど。先端は1ミリ。
文字は小生の漆書きで、傾斜を付けた5角形、10辺の角も面取り。米粒を2つ3つ合せたほどの大きさ。加工時、指先で持つのも難しく、少々難渋した覚えがあります。
ツゲの駒だと、息を少し吹きかけるだけでどこかへ飛んでゆくのですが、象牙だと重量があり、何とか防ぐことになります。
点画を省略せずの楷書の文字にこだわりましたが、このくらい小さな文字の時は、躊躇せずにスイッスイとリズムで書くことになります。
5~6年か、もう少し前だったかですが、そんな記憶がよみがえりました。
oakcreek様、ありがとうございました。
そしてoakcreek様ブログのコメントもコピーして、一存で張り付けさせていただきました。
ーーー アンティークの三面盤に象牙の雛駒 三面盤は蒔絵から見て多分、丸屋大木平蔵製かと、 雛駒は将棋駒師の熊澤良尊さんにお願いしました。
一番大きい王将で幅5ミリに漆で文字が書かれ、「良尊」のサインまで 大きさがわかるように定規を当ててみました。
碁石は蛤と黒曜石で作ってもらえる方を探しましたが、3ミリの碁石なんて作ってくれる方は見つからず、自分でちまちまと焼結粘土で作りました。ーーー
2月12日(土)、晴れ。
今日は、マズマズの暖かさ。風もなく、外仕事も快適でした。
午後からは、昨日のブログで触れた「根付」作り。
手元に残っている盛上げ駒尻面に「良尊、花押」を書き入れるところから始めました。
駒は、先ずは「巻菱湖」。
これだけで40枚ほど。その映像です。
4月16,17日(土日)に開催予定の、当地加茂町での展示会ですが、貴重な時間と旅費を割いてお越しくださる方々ですので、感謝の気持ちを込めて何か差し上げなければと考えています。
何が良いかですが、小生が作った盛り上げ駒の「根付」はどうかと思い立ちました。
100個を用意して、お渡しするのは、コメント(非公開)で、お名前をお知らせくださった方の分はキープしておいて、それ以外の方には先着順にお渡しすることになるでしょう。
「根付」は、これまでに作った中での余り駒を使って、あす以降、根付に再加工します。
余り駒は歩兵が多いのですが、玉将や飛車角金銀桂馬香車も用意して、当日、希望のものがあれば、それをお渡ししようと思います。
そんなことを、考えています。
2月6日(日)、曇り。
相変わらずの冬空。正午の気温は5℃。
北の地は雪とか。
ところで、今朝、夜明け前にふと目を覚ますと、点けっぱなしのテレビから、柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らの名前。
オヤオヤと思って、耳を澄ますと、多々納さんという鳥取県の年配陶工の話でした。
昭和25年ごろ、彼ら民芸運動を標榜する彼らは、啓蒙のため、ここ島根県にある共同グループの「出西窯」をしばしば訪れたという。
ご承知の通り、民芸運動というのは、華美な工芸でなく、実用の日常雑器に潜む「用の美」を讃えた運動なのだが、当時、金になる茶道具づくりにこだわっていた鳥取県(出雲の西?)「出西窯」の多くの陶工たちに対して、彼らは、彼らの一員であった多々納さんが主張する「湯飲み、日常雑器」への転換しようとする考え方に力を貸してくれたという。
柳たちが主張した「工芸の用の美」は、主に焼き物についてだったかもしれませんが、そのほかの工芸についても言えることだと思うのです。
華美な装飾は避ける。
使いやすく良い使い方ができる姿形に収斂する。
同じようなモノを数多く作り続けることで手が定まる。
無心で作ることで無駄のない自然な形になる。
これらは「将棋の駒にも当てはまることではないでしょうか」。
そう思うのですが、皆さま、どう思われますか。
若し、柳さん、河井さん、浜田さんが生きておられたら、その人たちと話をし、ご意見を聞きたいと思う次第です。