今日もブログに何を書こうかと考えながら、駒の漆文字を書いていました。そこで、今回は皆さんへの質問です。
問いかけは「将棋は何故、9X9なのか」です。
これは過日、黒柳徹子さんが、藤井さんに投げかけた質問で、
この時、藤井さんは「難しい質問ですね」と言ったように思いますが、貴方ならどう答えるか、という質問です。
因みに、升田名人であれば、多分「○○○○○・・・・、○○○○○〇」と、このように答えたのではないでしょうか。
「○○○○○・・・・、○○○○○〇」は、私なりの答えでもあり、いずれ見ていただこうと思うのですが、その前に、皆さんの答えをコメントにて教えていただければと思います。
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川中島で武田信玄が布いた鶴翼の陣は、居玉で敵を中央正面に誘い込み、両側から挟撃する戦法ですが、これを将棋で研究するには、横は奇数で多すぎない9マスが最適でしょうか。
縦のマスですが、チェスも中国のシャンチーも偶数のため、「位を取る」という言葉を聞きません。歩を2マス前進させて五段目をおさえれば、相手は開戦の態勢が整うまで、歩を上げられません。しかし、不用意に進むと、ただ取りされる危険があります。豊臣秀吉の墨俣城のように、援軍到着まで敵を足止めして、勝利につなげる作戦に通じますでしょうか。
時代劇で武将同士が将棋を指すシーンがあると、兵法を競っているイメージがわきます。9X9の理由を一言でいいますと、「本因坊、大橋家が安土桃山時代に普及させやすかったため」でしょうか。
素人の長文で失礼致しました。
また、黒柳徹子さんは、なぜそのような質問をしたのでしょう。彼女の思いつきではなく、台本があるはずです。スタッフが考えて用意したものか、藤井聡太が答えられるようにしてさらに話題を導きだす流れではなかったのかわかりません。
升田九段の答えですか。見つけることはできませんでした。
私なら「駒の数から81マスが妥当、駒の働きから」とお答えします。
「君らには12×12=144マスの中将棋では難しいじゃろ。だから9×9=81マスくらいの小将棋でちょうど合っとるんじゃ。」
基本的に増川宏一の中国古代官職制度、左右対称
の真似説を私は支持。チェス類はインド起源です
から、4軍製に合う、8×8升目制が、日本への、
中国/東南アジア境界地帯付近からの、伝来時の
オリジナル。北宋将棋の9筋化は、冒頭の理屈で
発生して、結局9×10路になった訳ですので、
対抗心から日本の平安小将棋へ、9×9升目への
変化となって12世紀の白河天皇時頃に影響した
かもしれない。継続したのは、今も良く見かける、
九曜星術占いのパータンに、日本では合戦占いへ
の応用という面でも馴染みが有り、3×3の3×3
で、関連感的に座りが良く、14世紀頃に定番化。
桂馬が5筋で互いアタリ必然化して、木村義徳氏
の言うように、平安将棋は仕掛局面で固まるとい
うトラブルから、実際には定番化には、すったも
んだが有ったので、前記の約200年の、不安定
期間も、実は実際には有ったというのが私の説。
日本に伝わるのは、中国からか朝鮮からが自然のようです。但し、中国と朝鮮は、9×9ですが、碁のように、線の交点に駒を配置します。
では何故、日本では、マスになのか? ルーツのインドは、マスのようです。タイもマスのようです。
9×9は、中国・朝鮮からアイデアをもらい、マスにしたのは、インド・タイのアイデアをもらって、
日本独自の工夫であったように推測します。