熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
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象牙の水無瀬駒、展示中

2009-02-15 20:27:27 | 文章
只今、福井県立歴史博物館で、象牙の水無瀬駒が展示中です。
駒のことについては、以前ブログでも触れています。
今回はその実物を見られるチャンスですから、興味ある方は是非お尋ねください。

昨年6月にこの水無瀬駒が見つかったとき、所蔵者の川井三郎さんが「どこか然るべきところに管理を委ねたい」と新聞で語っていたのを耳にした福井県知事が「県立博物館に」ということで、ここに収まりました。

ところで、福井県には朝倉遺跡資料館があります。
そこに同史跡から出土した「朝倉駒」が保管されています。しかし、将棋駒と言っても、出土品のひとつとしての研究はなされていても、歴史博物館にとっては、おそらく将棋駒全般にわたる研究は、ほとんど未知の領域であったと思います。
ですから、急遽、学芸員の方は、周りに手を尽くしてそれなりの識者に問い合わせたり聞いたりを始められたようです。

その聞き合わせで、ある者は「江戸時代は偽者が横行していたから、駒も偽物では」との声や、
またある者は「象牙の色が、あまり色あせていないので、19世紀あたりのものではないか」。
また別の古文書の研究者で文学博士は「水無瀬神宮の玉将と比べると、将の字の縦棒に比べやや太い。それに駒尻に書いてある八十五才の文字の太さにもすこし違いがある」などと言う意見だったらしく、その点について、小生の意見を求められました。

先ず、第1の見方に関しては、「確かに江戸時代は絵画などがよく偽物が出回っていましたが、かといって短絡的に偽物の疑いがあるとの意見は、素人の意見ですね。聞き流すのがよいのではないでしょうか。物を良く見る眼と能力があれば、物を良く見ての意見があるはずです」。

2つ目の見方に関しては、「象牙の色の進み具合で判断しようとするところはいいのですが、同じ象牙でも、その品の置かれた環境によって、著しく色合いの進み具合が変わります。それを考えに入れておられないようですね」
たとえば根付。「根付は、いつも手の油とか光のさらされているわけですから、20年30年もすれば、象牙の色は濃い茶色になります。棚に置かれた人形なども同様です」。

「駒についてですが、駒は普通つげ駒です。箱に入れています。使用頻度の多いものは、よく箱から出して使われる分だけ早くあめ色になります。一方、箱に仕舞われたままのこまは、いつまで経っても色は進みません。それは象牙のマージャンパイでも同じです。毎日使っていれば早くあめ色になり、箱に入ったままの駒は、いつまでも新品同様で、その違いは歴然です」。

3つ目の意見については、まるで偽札の鑑定でもしているのと勘違いしているようで、聞いていて馬鹿らしくなりました。
このような意見の人にはどのように説明すればよいかと考えながら、「水無瀬駒は漆で書いた駒です。文字は一筆で書き上げます。文字の細い太いのバラつきは当然でしょう」。
「書家が墨で書いた文字でも、線の細い太いはあるのではないですか。しかも、ものすごい速さで駒を書いているのです。あなたにもお渡しした将棋馬日記という当時の記録によれば、ある年、水無瀬兼成さんは、354枚もある大将棋を含めた7組、合計1282枚の駒を、2月1日から書き始めて6日に終わったとあります」

「計算すると、1日で200枚以上の駒を書くわけです。2月は夏と違って5時ごろには太陽が沈みます。今と違って電灯などはありませんから、駒を書く時間を6時間として、1時間に40枚くらい、文字数にすれば120文字ほど書くわけです」。

「そんな条件で駒を書くわけです。それに、玉将の駒尻に、筋のようなキズがあるのは本物としておかしいと言うことですが、私に言わせれば、そのキズは当時の加工方法を知る手がかりなのです・・」。

まあ、これだけ言えば分かる人にはわかるかもしれないが、分からない人には分からないだろうな。と思いつつの説明でした。
以上は、昨秋、学芸員の方との会話です。

これが伝わったかどうかですが、どうも通じないままの見切り発車だったようです。
と言いますのも、展示会場の説明パネルには、「駒について、19世紀の説もある」とコメントされているようで、博物館の見識が疑われます。

つまり、博物館として、いろんな人が言ったことを消化できないまま、お茶を濁した説明になったようです。

なお、来場者に配布する説明書は、博物館の依頼で小生が提供したものがそのまま使われており、それが救いではあります。

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修善寺彫り

2009-02-15 08:12:50 | 文章
2月15日(日)、晴、朝霧。

7時20分ごろ起床。いつものように東の窓をあけると朝霧に霞む山の端から丁度太陽が現れたところ。南の窓からの見通しは、1キロ程度です。

今日は何をするかは白紙。そのとき、ふと、頭に浮かんだことをするだけです。
ソレニシテモ、良く忘れます。忘れるのはだいぶ前からの得意技です。
昨日は昨日で、このことを書こう、忘れないようにしなければと思っていたのですが、10数時間経った今、それが何であったか、思い出そうとしても全く思い出せません。

しかし、忘れることはそう悪いことではないと思います。忘れるから、次のことができるという利点があります。
だから、昨日思っていたことは忘れて、今思っていることを書いています。

数日前、作家の寮美千子さんから電話があったとき、「最初思って書いていたこととは、どんどん内容が変わリます」と言ったら、「エッセイとはそんなものですよ」とのお話をいただきました。プロの作家にそう言われて、「アアそうか、それでいいんだ」とあらためて思った次第です。

今からしばらくブログはお預けして、仕事に移ります。では夜にでもまた。

追記
今日のタイトルは「修善寺彫」でした。
今日のテレビ「遠くへ行きたい」で、「修善寺彫」を訪ねるシーンがありました。
修善寺彫は、竹に文字を彫刻刀で彫ったものです。小生は25年ぐらい前に、たまたまそのお店を訪ねたことを思い出しました。
刃先がV形になった彫刻等で、文字を彫るのですが、文字は字母紙などは使わないで、宙で彫るのですが、中々のもので訓練すれば将棋の駒もその彫り方で文字が彫れるわけです。
現に、小生が持っている古駒にも、V形の彫刻刀で彫ったようなものがありますので、一度探してみます。




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駒の写真集

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