A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

Pops路線に変わる直前のクインシーの作編曲はベイシーオーケストラに・・・

2015-05-14 | MY FAVORITE ALBUM
Lil Ol' Groovemaker…Basie! / Count Basie Orchestra

連休中のライブ通いはビッグバンド三昧であったが、その中の一つが小林正弘のオーケストラ。この日のプログラムはQuincy Jones Nightとタイトルされたクインジージョーンズ特集であった。

一昨年クインシージョーンズが来日した時、実はこのオーケストラがクインシージョーンズオーケストラを務めた。このクインシージョーンズの公演は、クインシーファミリー総出の延々4時間にも及ぶ長いコンサートであったが、このオーケストラが主役で演奏したのはほんの数曲であった。せっかく準備したのにこれでは消化不良であったのだろう、後で日を改め同じメンバーが集まりライブハウスで憂さ晴らしライブを行った。
クインシージョーンズのビッグバンド物は、昔は学生バンドの基本レパートリーであったのだが。最近ではクインシーのアレンジ物はライブでもあまり聴く機会が無かったので、クインシー好きとしては久々に堪能したライブであった。

この日もクインシーのビッグバンドでは定番のエアメイルスペシャルからスタート。第一部は初期のクインシーのオーケストラの曲から、そしてベイシーへ提供したアレンジからの曲が続く。続く第2部はボーカルが加わって、ウォーキングインスペース以降のアルバムからの曲。久々に新旧取り混ぜてのクインシー三昧のライブは楽しく聴けた。

クインシー・ジョーンズは1960年に念願の自分のビッグバンドを編成してヨーロッパに遠征を行った。しかし、予定されていたミュージカルが途中で中止に、演奏の場を求めてヨーロッパ中流浪の旅を続けたが、結局多額の借金を抱えてアメリカに戻ることに。その額は14万ドルにのぼったという。その後マーキュリーの役員になった時の年俸が4万ドルだったというから、当時のその額は半端ではなかった。

しかしクインシーは挫けなかった。どん底の状態からクインシーは音楽界のトップスターの座に登り詰め、アメリカンドリームを実現した一人になった。
しかし、ヨーロッパで苦労を共にした仲間の中には、それがきっかけで人生の歯車が狂った者もいたようだ。ギターのレススパンは酒浸りになり、ジュリアスワトキンスはジャズ界から遠ざかってしまった。

黒人としては珍しいメジャーレーベルであるマーキュリーの役員に登用され、まずはガレスピー、マリガン、ピーターソンなど有名ミュージシャンと次々と契約しアルバムを作ったが全く売れなかった。トップから売れるアルバム作りの至上命令を受け、ジャズ以外の世界に踏む出すことになる。
一方で、作編曲に関してはマーキュリーとの契約事項に入っていなかったために、他社のアルバムでも作編曲は自由にできたようだ。反対に自社のアルバムで作編曲をやってもそれはただ働きになったようだが。この時音楽ビジネスの基本を身につけ、後の成功の基礎が築かれたのだろう。
転んでもただでは起きないのは天性なのか。またこの時代、映画音楽にも興味を持ち新たな領域にも進出している。これらを同時にこなしていたというのが、クインシーの超人的なところだ。

クインシーがこの八面六臂の活躍をしている時に、カウントベイシーオーケストラにアレンジを提供している。クインシーがベイシーオーケストラに最初にアレンジを提供したのはルーレット時代。One More Timeというアルバムを残している。自分のビッグバンドを作る直前の作品だが、ベイシーサウンドとクインシーサウンドが見事に融合した素晴らしいアルバムだと思う。

マーキュリーで売れるアルバム作りを心掛けるようになってから、ベイシーに提供したアレンジはオリジナル曲ではなくいわゆるヒット曲をベイシーサウンドにアレンジしたもの。アルバムThis Time By Basieであった。今回の小林正弘のビッグバンドのライブでも、このアルバムの曲がメドレーで演奏されていた。

しかし、このアルバムと殆ど同じ時期に、クインシーのオリジナル曲&アレンジを提供したのがこのアルバムだ。ちょうどベイシーもルーレットを離れ、シナトラのリプリーズに移籍する間の何枚かをVerveで録音したが、その中の一枚だ。

お馴染みのフレディーグリーンのリズムにのってベイシーのハープシコードのソロからスタートする。アンサンブルとの掛け合いも快調だ。
次のPleasingly Plumpはクインシーのオーケストラでも演奏していた曲。このまったり感がベイシーオーケストラだと一層いい感じだ。



ベイシーのアルバムとしてはあまり有名ではないが、クインシーのPOPS路線に変わる直前の作品として聴くと、クインシーの曲が聴ける最後のアルバムとして貴重だ。フィルウッズがクインシージョーンズの作品集アルバムを作っているが、このアルバムの曲からも何曲か選ばれている

肝心のベイシーオーケストラは、サドジョーンズが抜けた後はアルアーロン、そしてハーマンオーケストラにいたドンレイダーが加わっている。サックスセクションは両フランクが陣取り健在。いわゆるアドミックベイシーバンドをまだ引き継いでいる。ベースはクインシーと共にヨーロッパを渡り歩いたバディカトレット。これも何かの縁かもしれない。

世の中も、ジャズ界も、ベイシーそしてクインシー自身も大きな転換期であったが、クインシージョーンズのビッグバンドアレンジャーとしてのそれまでの活動の集大成となるアルバムだ。

1. Little Ol' Groovemaker
2. Pleasingly Plump
3. Boody Rumble
4. Belly Roll
5. Count' Em
6. Nasty Magnus
7. Dum Dum
8. Lullaby for Jolie (Jolie Ann)
9. Kansas City Wrinkles

Al Aarons, Sonny Cohn, Don Rader, Fortunatus Fip Ricard, Snooky Young (tp)
Henry Coker, Urbie Green, Grover Mitchell, Benny Powell (tb)
Marshall Royal (as, cl) Eric Dixon, Frank Foster, Frank Wess (ts,as, fl)
Charlie Fowlkes (bs)
Count Basie (p)
Freddie Green (g)
Buddy Catlett (b)
Sonny Payne (ds)

Quincy Jones (arranger)

Recording Ebgineer : Phil Ramone

Recorded NYC, April 21,22,23 1963

リル・オル・グルーヴメイカー
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック クラシック
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