A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

たかが口笛、されど口笛。2枚目のアルバムが出せれば本物だ・・・

2016-01-09 | CONCORD
The Other Whistler / Ron McCroby

気分が良いと鼻歌を歌ったり口笛を吹いたりというのは誰もが経験すること。しかし、鼻歌や口笛を本業とするミュージシャンというのはそうそういるものではない。何でも人並み以上にできれば芸の内、口笛が上手い芸人としての道はあっても本格的なレコードを作るまでとなると並の腕前では難しい。それもジャズナンバーだけをアドリブを交えてとなると尚更だ。
口笛というのは結構音域が高くピッコロに近いという。ということもあり、このアルバムではpuccoloと言っているが、これは元々あった言葉か造語かは??

このマックロビーが世に認められたのは、地元シンシナティーでセッションに参加して評判になってから。早速地元テレビのショーに登場し、全国区のTonight Showにも出演し広く知られることとなる。それを聞きつけて、早速アルバムを作ったのはコンコルドのカールジェファーソンであった。前作の"Ron McCroby Plays Puccolo"がそのアルバムであった



このアルバムは第2作目。今回のアルバムは何故かピアノのフレッドハーシュがプロデュースしている。前作との違いを出そうとしたのか、タイトルもThe Other Whistlerとなっている。
前作ではフルートのサムモストが一緒にやっていたが、今回はピアノトリオをバックにワンホーンならず、彼の口笛一本で勝負だ。ピアノは前のアルバムと同じビルメイズだが、ドラムには昨年も東北支援で来日したOtonowaのAkira Tanaが参加している。

ジャズのスタンダードナンバーが並ぶのは前回と同様。基本的にマクロビ―がジャズ好きなのであろう。
元々彼の本業はクラリネット。学生時代マーチングバンドでやっていた時、余興で口笛を吹き始めたのが最初という。クラリネットもそれで本業になれる腕前ではなく、広告の仕事を本業にしていたが、夜になると地元のプロのセッションにも顔を出すジャズ好きであった。もっとも口笛はセッションで披露する以外に本業の広告の方で使う事ことも多く、こちらの方がちゃんと稼げるプロであったようだ。

最後の曲でクラリネットを吹くが、こちらは低音域を多用した素直な演奏。口笛には高音域とテクニックが似合うがその対比も面白い。

アルバムも作り、その勢いで’83年のモンタレージャズフェスティバルで、ウディ―ハーマンが音頭をとったジャムセッションにもゲスト参加し、コンコルドレーベルでお馴染みの面々と一緒に舞台に立っている。そしてこれが2枚目のアルバム。たかが口笛といっても、ここまで極めればたいしたものだ。

1. Four Brothers Jimmy Guffre 2:44
2. Song From MASH Johny Mandel 3:52
3. Cherokee Ray Noble 5:34
4. My Foolish Heart Ned Washington 5:43
5. Blue Rond A La Turk Dave Brubeck 5:45
6. I Remember Clifford Benny Golson
7. May Berry R.F.D. Herbert Spencer 4:32
8. Take Five paul Desmond 4:40

Ron McCroby (puccolo,cl)
Bill Mays (p,ep)
Steve La Spina (b)
Akira Tana (ds)

Produced by Fred Hersch
Recorded at Classic Sound Studio, New York City. June 1984
Recording Engineer : A.T. Michael MacDonald
Originally released on Concord CJ-257
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お祭り騒ぎのフェスティバルの演奏と違って、地元ニューヨークでのライブは真剣勝負・・・

2016-01-03 | CONCORD
New York Scene / Art Blakey and The Jazz Messengers

アート・ブレイキーの晩年のアルバムを見るとライブレコーディングが多い。というのは必然的に彼が率いるジャズメッセンジャーズはライブ活動を積極的に行っていたということに他ならない。
50年代、60年代前半までは有名プレーヤーを次々に生み出す名門バンとしてジャズ界を引っ張ってきた。70年代にかけてブレイキーの低迷期と言われているが、これはブレイキ―だけではなく多くの大物ジャズミュージシャン達の共通の置かれた状況であった。そのような状況でも昔と変わらず、若手の鍛錬の場としてジャズメッセンジャーズを率いてツアーを続けていた。そして、その中から次世代のヒーローが確実に生まれていった。

そのメッセンジャーズがコンコルドレーベルに登場したのは1978年。このアルバムはコンコルドの地元サンフランシスコの名門クラブキーストンコーナーズに、メッセンジャーズが訪れていた時のライブ録音であった。
このアルバムにはボビーワトソンがいた。更にはピアノのジェイムスウイリアムスの加入もあった。若手が多いせいかライブ録音独特の活気が一層力強く伝わってくる。メッセンジャーズは健在であった。
その後も、サンフランシスコに来る度に、そのライブアルバムは続いたが、次のアルバムの目玉はその頃言われ始めていた「新伝承派」のホープウイントンマルサリスの加入であった。

1983年に、オーレックスジャズフェスティバルでこのジャズメッセンジャーズが来日した。この時のメンバーにはカーチスフラーやベニーゴルソンなどOBメンバーも加わったオールスターメンバーであったが、トランペットだけはマルサリスに加えてテレンスブランチャードも加わる豪華版であった。ちょうどこの2人が交代した時期でもあった。

そして、このアルバムは翌年1984年5月の録音。ブランチャードに加えてピアノのマルグリューミラーも加わり、メンバーが一新されている。そして、以前と同様ライブ録音だがこのアルバムのタイトルからも分かるように今回の場所はニューヨークである。やはり本拠地でのライブとなると気合の入り方が違う。

今回、前年のオーレックスの演奏も聴き直してみた。2人のOBが加わったこともあるが、日本で演奏された曲は、モーニン、ウイスパーノット、アロングカムベティーなどいずれも昔のヒット曲ばかり。懐メロのステージを聴いている感じだ。マルサリスとブランチャードのアイリメンバークリフォードの共演は楽しめたものの、残念ながら普段の若手のメッセンジャーズの演奏とは程遠いものであった。
よく、日本のステージでは手抜きをしているのではという話を良く聴いたが、懐メロ好みのファン向けのステージを要求する日本側の責任もあったと思う。

このアルバムでは、若手メンバー達のオリジナル曲が並び、演奏だけでなくバンドカラーも若手の影響力が及ぶ。一方で、バラードメドレーでは各人の技も披露している。御大のブレイキーも安心して任せているといった感じでのびのびしたプレーぶりだ。

そして、このアルバムは1985年のグラミー賞のBest Jazz Instrumental Performance - Groupにノミネートされ、めでたくウィナーとなっている。
他にノミネートされた他のアルバムを見ても、当時多くのミュージシャンが来日していたがそこで聴けるような演奏ではなかった。バブルの真最中の日本では大手のスポンサーがついてジャズフェスティバルも数多く行われていたが、今考えると単なるお祭り騒ぎであった、そこでの演奏は彼らの普段の真剣勝負の演奏とは違ったものが多かったように思う。

前回のジョージルイスの日本のライブアルバムで感じたのと同じような印象を持った。



1. Oh, By the Way         Terence Blanchard 10:06
2. Ballad Medley                    7;23
   My One and Only Love Robert Mellin
   It's Easy to Remember R.Rogers / L.Heart
   Who Cares George & Ira Gershwin  
3. Controversy            Donald Harrison 5:24
4. Tenderly       Walter Gross / Jack Lawrence 11:12
5. Falafel              Mulgrew Miller 9:54

Art Blakey & The Jazz Messengers
Art Blakey (ds)
Terence Blanchard (tp)
Donald Harrison (as)
Jean Toussaint (ts)
Mulgrew Miller (p)
Lonnie Plaxico (b)

Produced by Frank Dorritie
Engineer : Ed Trabanco
Remote Recording : Malcolm Addey
Recorded live st Mikell's, New York, May 1984

Concord CJ-256  (所有盤は日本版のCD)

New York Scene
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恒例の作曲家シリーズで同じような演奏と感じるが、よく聴いてみると・・・

2015-12-31 | CONCORD
Rosemary Clooney Sings The Music of Irving Berlin

先日の忘年ゴルフコンペでたまたまゴルフ好きの仲間が同じ組になった。「今年は何回行った?」、「平均スコアは90を切れそうだ」、「今年は暖かくていいね」といった、いつもの会話が交わされた。

ところが、自分は会話に加われない。というのも、最近は記録をきちんとつけていなかったので。以前はラウンドの記録は細かくつけていた。コースや回数はもちろん、平均スコア、パット数、さらにはフェアウェイキープ率やバンカーセーブ率まで。記憶は年と共に曖昧になっても、数字や記録は正直だ。数字を見返すとその結果が生まれた情景が思い返せる。それも楽しみの一つなのだが。

昔はライブの記録や買ったレコードの記録も残していた事がある。一番凝っていた時はコメント付きで。最近では、記録はおろかその記憶もあいまい。同じアルバムを買わないように気を付けるのがやっとだ。記録を付ける時は何の為とも思うが、記録が残るとそれなりに楽しめるものだ。来年は復活することにしようと思う。色々ツールも発達し、簡単に残せるようになっていることだし。

最近は記録を付ける事が何もないかと思ったら、自動的に記録が残っているものがあった。3年前に実家に戻ったのをきっかけに、太陽光発電を自宅に設置した。最近は電力の購入金額よりも売却金額が多いのを確認する位だが、当然のことながら電力の総発電量、総販売量、総購入量、そして総消費量の記録が残されている。
さて今年はどうなっているかと見てみると今年の発電量は6718kwと昨年の7140kwを6%も下回っている。確かに8月のお盆休み以降天気が悪い日が続き、11月の連日の日照不足が大きく影響を受けている。天候が不順であった今年一年が数字で検証できるということだ。
当然の事ながら販売量も13%と大幅にダウン。販売金額もそれ相応に下がっている。一方で消費量は8071kwから8383kwへ4%増加している。購入量も2%増えている。本来発電量と消費量は関係がない。日頃、節電を心掛けていないということだ。確かに、設置してすぐは数字が気になっていたので、自然と目標消費量に抑えるべく節電に心掛けていたように思う。
最終的には総消費量を総発電量以内にすれば、今後蓄電技術が発達で電力の完全自給が可能という事になる。新たな目標ができそうだ。
会社勤めをしていた時は日々数字と睨めっこしていたが、何事でも数字や記録は正直に現実を語ってくれるものだ。

さて、コンコルドのアルバム紹介の続きだが、今回はローズマリークルーニー。コンコルドではすっかりお馴染みとなり、そしてこの頃は作曲家シリーズが続いていた。新しいアルバムといっても大体内容は想像がつく。ファンにとっては嬉しいシリーズ物になっていたが、ワンパターン化してしまうと何故か同じ印象を持ってしまい、細かい違いが気付かなくなる。

ということで、このアルバムは前作Harold Arlenと何が違うのかという視点で聴き直してみた。
メンバーを見渡すと、前作同様スコットハミルトン、ウォーレンバッシェといった看板の2人がフロントを占める。そしてこのアルバムの特徴はギターが二人加わっている事。ハミルトンのグループのクリスフローリーに加えて、コンコルドレーベルでこの頃売り出し中のエドビケットが加わっている。曲によってソロとリズムギターを交代で務めているが、リズムギターが常に加わると当然のようにバンド全体でスインギーなリズムが明確になる。ビケットはDuoで伴奏を務めた曲も2曲ありギターの使い方が多様だ。

ドラムにはコンコルドには珍しく(初めての登場かも)ガスジョンソンが加わっているが、元々モダンスイング派のベテランなのでコンビネーションはピッタリ。
そして、ピアノにはウディーハーマンオーケストラにいたジョンオッドが加わっている。前作のウディーハーマンオーケストラとクルーニーの共演アルバムMy Buddyではアレンジも提供していたので、このアルバムがきっかけでクルーニーに気に入られたのだろう。その後、クルーニーのバックを、アレンジ提供を含めて長く務めることになる。クレジットは無いが、一曲目のホーンのアレンジもオッドの手によるものかもしれない。

という訳で、この頃はまだ絶好調であったローズマリークルーニーのいつものクルーニー節が聴けるが、シリーズを支えるバックの編成は一作ごとに微妙に変化し、そして一曲毎に色々配慮をしているのが分かる。やはり、印象を裏付けるには記録は大事だ。クルーニーは、この後もConcordレーベルに亡くなるまでに毎年のようにアルバムを残しているが、どう変化していくか後を追ってみよう。



1. It's a Lovely Day Today
2. Be Careful, It's My Heart
3. Cheek to Cheek
4. How About Me?
5. The Best Thing for You
6. I Got Lost in His Arms
7. There's No Business Like Show Business
8. Better Luck Next Time
9. What'll I Do?
10. Let's Face the Music and Dance

Rosemary Clooney (vocals)
Warren Vaché (cor,flh)
Scott Hamilton (ts)
John Oddo (p)
Phil Flanigan (b)
Chris Flory (g)
Ed Bickert (g)
Gus Johnson (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Ed Trabanco
Recorded at Mastermind Sound Studios, New York City, June 1984
Originally released on Concord CJ-255

Irving Berlin
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライブのセカンドステージというのは盛り上がるものだが・・・

2015-12-17 | CONCORD
The Second Set / The Scott Hamilton

学生時代の同級生から会社の同期まで同年代の友人の多くは現役を退いた。自然と同窓会などの集まりが増える。同じ趣味の仲間とは定期的に別の集まりが増え会う機会が増える。その時は大体近況に加えて、いつもの昔話で盛り上がって終わる。この昔話は一緒に体験した者同士でないと分からないものだ。
自分も彼らとゴルフやジャズを聴きに行く機会も増えてきた。昔話を語り合えるお互い気心が知れた仲間には、歳をとってから仕事を通じてできた友人とは違った親近感を感じるものだ。これはきっと洋の東西を問わず誰でも感じる事であろう。

スコットハミルトンはコンコルドレーベルでデビューすると、いきなり親子ほどに歳の違う大先輩に囲まれて活動することとなった。プレーぶりから彼らの中に入っても物おじしない感じを受けたが、内心は色々気を遣う事も多かったと思う。やはり気楽に演奏できるのは、ニューヨークに出てくるまえに地元で一緒に演奏をしていた仲間達。ドラムのチャッグリグスやギターのクリスフローリーなどであった。一緒にベニーグッドマンのグループに加わったこともあったが、ハミルトンのレギュラーグループは彼等との演奏を長く大事にしていた。

ハミルトン自身の名前が売れてくると、アルバムでも徐々に彼らを起用する機会が増えてきた。ゲストを加えないハミルトンのリーダーアルバムで久々に彼らと一緒に録音したのが1982年のClose Upだった
そして、このメンバーで来日したのが翌年の1983年。人気が出てきたとはいえ、他の大物達と較べると集客力はまだまだであったのだろう。会場はヤマハホールと少し小ぶりのホールであった。

すぐに、ここでのライブがIn Concertというアルバムでリリースされた。それまでも大きなジャズフェスティバルやコンコルドオーススターズに加わってのライブ演奏は数多くあったが、ハミルトンのグループとしてのライブアルバムはこれが初めてであったと思う。ハミルトンの普段着でのライブといってもいいと思う。

CDの時代になり、アルバム作りもコンプリート物が多くなると、スタジオ録音でも別テイクを含めた物、ライブもステージをすべて収めた物が作られるようになった。しかし、LP時代は時間の制約もあり一枚40分のなかにそのベスト演奏を収めるのが編集の技であった。時にはソロをカットすることも。
もちろん演奏の出来不出来もあるが、売り物として通用するように曲のバランスなどを考えてどの曲を選ぶかがプロデューサーの腕だった。ライブは録り直しのきかない一発勝負。一回のステージで足りない場合は複数のステージからの寄せ集めになるのが世の常であった。

このアルバムは、In Concertの続編となるが、そのタイトルもThe Second Set。実際のコンサートのセカンドセットとは異なると思うが、決して前のアルバムの残り物といった感じではない、どれも一体感のあるいい演奏だと思う。

ライブに行くと、その日が初顔合わせであったり、15年ぶりに一緒にやるという組み合わせのセッションにもよく出会う。ハプニングも含めてそれなりに上手く収めるのが流石にプロと思うが、昔からコンビを組んでいた仲間同士だと久々の演奏でも違ったコラボレーションが期待できる。例えば、宮の上貴昭と吉岡秀晃などの組み合わせでは長年培われた2人の関係からしか生まれないであろうサムシングを感じる。

という意味ではこのハミルトンのステージはお互い阿吽の呼吸で演奏できる仲間同士、特にハプニングがある訳でもない。すべてが合格点になるのは自明の理である。
いつもの演奏を淡々と繰り広げているのでスリルが無い、ジャズは何か新しい物がないと何か物足りないというのも一つの見方だが、好きなプレーヤーの絶妙なコンビネーションを楽しむというのも一つの楽しみ方だと思う。彼らの間の昔話を理解できるようになるまで。

1. All the Things You Are         Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 6:21
2. Time After Time                Sammy Cahn / Jule Styne 6:29
3. Taps Miller           Count Basie / Buck Clayton / Bob Russell 5:20
4. All Too Soon                Duke Ellington / Carl Sigman  5:55
5. How Insensi            Norman Gimbel / Antonio Carlos Jobim 6:47
6. I Never Knew                  Gus Kahn / Ted Fio Rito 5:16
7. For All We Know              J. Fred Coots / Sam M. Lewis 5:40
8. Jumpin' the Blues             Jay McShann / Charlie Parker 4:42

Scott Hamilton (ts)
John Bunch (p)
Phil Flanigan (b)
Chris Flory (g)
Chuck Riggs (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Tamao Kawada
Recorded live at Yamaha Hall, Tokyo, Japan, June 1983
Concord CJ-254

The Second Set
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本発のアルバムが世界中のファンの元へ・・・

2015-12-13 | CONCORD
Overseas Special / Monty Alexsander・Ray Brown・Herb Ellis

70年代から80年代の日本は活力がみなぎっていた。ちょうど自分が社会人になったが、まだ見習いで忙しく仕事を学んでいた時である。この成長に伴い世の中も経済的に豊かになり、個人的にも懐が豊かになった。欲しいレコードもすぐに買えたし、行きたいコンサートにも行けるようになったが、反対にそれを楽しむ時間が無くなった。学生時代は隅から隅まで読んだスイングジャーナルも、パラパラとめくって積んどく状態になったものだ。

この日本の経済力がジャズ界にも活気をもたらしていた。幻の名盤といわれた古いアルバムが次々に発掘され、次から次へと大物ミュージシャンが来日し、日本中で大きなコンサートが催され、日本のプロデューサーが企画するアルバムも数多く作られた。
60年代の初頭は、ジャズを理解してくれるのはヨーロッパというのがジャズ界の常識で、アメリカで思う存分演奏する機会に恵まれないミュージシャン達の多くはヨーロッパに渡ったものだが。時代が変れば所も変る。

80年代の日本のジャズフィーバーをアメリカの関係者は驚きの目で見ていた。秋吉敏子がアメリカに渡り、日本人でもジャズを演奏するミュージシャンがいるのだという事を知り、大物ミュージシャンが大挙して日本に行くようになって、日本にもジャズを聴くファンがたくさんいるというのが分かった。それから、このフィーバー状態になるまであまり時間はかからなかった。

多くの来日ミュージシャンの公演を手配していたのはプロモーターといわれる人々。アメリカ側で大物ミュージシャンや大きなフェスティバルを仕切っていたのはジョージウェインのような有名なプロデューサー。日本側も個人のプロダクションから、大手の音楽事務所、さらには大手メディアの文化事業部のようなところまでが次々と公演を企画した。もちろん成功する公演もあれば、お客が集まらずガラガラという公演もあった。その中で、プロモーターとミュージシャンの信頼関係も生まれてきたと思う。

少し前に、モンティーアレキサンダーのトリオが来日した。その時にも記事にしたが、その公演を段取りしたのはプロモーターとしては老舗のオールアートプロモーション。モンティーアレキサンダーがまだコンコルドに所属していた時からの付き合いになる。

富士通コンコルドジャズフェスティバルが日本で始まったのは‘86年だが、それに先立って’82年にモンティーアレキサンダートリオの単独公演が行われた。ビッグスリーとタイトルされたそのトリオのメンバーは、レイブラウン、ハーブエリスの豪華版。3月初めから一ケ月近くかけて日本ツアーが行われた。ほぼ同じ時期に、オスカーピーターソン、カウントベイシー、グレンミラー、ジョンルイス、チコフリーマン、ボブジェイムスなどのコンサートツアーも行われていたので、当時の活況ぶりを窺い知ることができる。

この日本ツアーの最後にアレキサンダーのトリオの面々は六本木のサテンドールに出演した。この頃有名ミュージシャンが来日した時に、東京でジャズクラブへの出演というのは珍しかった。レコーディングのためのスペシャルセッションかどうかは定かではないが、このようなトリオの演奏はホールとは違ったクラブ独特の雰囲気にピッタリだ。



この録音を聴いた感想を、コンコルドレーベルの地元紙サンフランシスコエグザミナーの記者がライナーノーツに書いている。トリオの演奏が素晴らしいのはいうに及ばす、日本のジャズクラブの雰囲気が実に素晴らしいこと、そしてライブレコーディングが上出来な事を褒めちぎっている。特に日本のジャズファンがこんなに演奏に溶け込んでいる事、そしてレイブラウンのベースの音の良さに。個人的には、日本のファンを見くびっているとも思えるコメントだし、レイブラウンのベースの音も弦の音が目立ち、いつもの図太い音がかえって消されてしまっているような気もするが。いずれにしても日本が見直されていたのは事実だ。

タイトルとジャケットデザインは、3人から世界中のファンへの贈り物といった感じだが、その陰には日本のプロデューサー、ファン、クラブ、そしてエンジニアがいたことも間違いない。
このトリオでの演奏は、ツアーの最中に大阪でスタジオ録音されたアルバムもあるので聴き較べてみるのも面白い。いずれにしても、日本が元気な時代であったからこそ実現できたアルバムだ。その陰にはプロモーターであるアートプロモーションの石塚氏の努力と活躍があったからだと思う。

それにしても、今の世の中金儲け以外何かをやろうと気が起こらない社会になってしまったのは困ったものだ。きっと今の時代ではこのようなアルバムは自主制作以外生まれないであろう。

1. But Not for Me             George Gershwin / Ira Gershwin 9:17
2. A Time for Love          Johnny Mandel / Paul Francis Webster5:47
3. Orange in Pain                       Herb Ellis 6:02
4. F.S.R. (For Sonny Rollins)                  Ray Brown 5:57
5. For All We Know               J. Fred Coots / Sam M. Lewis 7:26
6. C.C. Rider                     Ma Rainey / Traditional 8:22

Monty Alexander (p)
Ray Brown (b)
Herb Ellis (g)

Produced by Yoichiro Kikuchi
Engineer : Yoshihisa Watanabe
Recorded live at the Satin Doll Club, Tokyo, March 15 1982

Concord CJ-253

Overseas Special
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタンダード曲をチャーリーバード風に料理すると・・・

2015-12-05 | CONCORD
Isn’t It Romantic / The Charlie Byrd Trio

チャーリーバードというとスタンゲッツと共演したアルバム、「ジャズサンバ」が有名だ」。
スタンゲッツはアストラッドジルベルトやジョアンジルベルトとの共演など、一連のアルバムでボサノバブームをブレークさせ、自らの復活のきっかけを作った。
復活したゲッツは再びストレートアヘッドなジャズに回帰していった。ゲッツにとって、ボサノバはあくまでも復帰に向けた素材のひとつであったにすぎない。もちろんボサノバアルバムはセールス的には大成功し、多くの印税を得たという余禄は大きかった。

このボサノバブームに貢献したのはゲッツ一人の力ではなく、チャーリーバードを始めとした共演したミュージシャンの協力があったのはいうまでもない。しかし、共演者は印税の配分では不利益を被ったという。特にバードは、自らウディハーマンオーケストラに加わって南米をツアーして現地の音楽を体感し、ボサノバのサンプルを自ら演奏しゲッツにそのテープを送ったのが、アルバム制作のきっかけであった。

ゲッツがイメージを膨らませてクリードテイラーに話を持ち掛けアルバムが生まれたのだから、アイディアをパクられて終わったのではバードとしては面白くない。後に、ゲッツとレーベルのオーナーMGMを相手取り訴訟を起こし、適切な印税の配分を得たという。ボサノバブームを起こす立役者の一人であるバードは、とりあえずこのアルバムに関しては金銭的にも適正な評価を受けたことになる。

その当時バードが所属していたのはリバーサイドレーベル。こちらでもボサノバアルバムを出したが、必ずしもヒットはしなかった。玄人好みが多いアルバムを作っていたリバーサイドは必ずしも商業的には上手くいっていなかった。いいアルバムを作りながら1965年には倒産してしまう。
両レーベルのプロデューサーであるクリードテイラーとオリンキープニュースの力量の違いが明らかになった。世の中お金がすべてではないが、お金が回らなければ何事も続かないというのも現実だ。

そのアルバムのせいでチャーリーバードはボサノバが得意なギタリストと思われがちだ。しかし、晩年のコンコルドレーベルでの活動では、自らのトリオだけでなく共演者を替えながらボサノバだけでなくクラシックギターからジャズまでなんでもこなすオールラウンドプレーヤーということが分かる。ボサノバが得意で同じようにアコースティックギター一本で活動を続けたローリンドアルメイダと対比されることもあるが、ジャズギターという点ではバードが勝っていると思う。

ローリンドアルメイダがブラジル生まれであったのに対して、チャーリーバードはアメリカ生まれ。バードが得意とするボサノバのプレーはどこで身に付けたか?

第2次世界大戦中、バードはヨーロッパにいた。フランスで地元のミュージシャンと共演していたが、その中にジャンゴラインハルトがいた。そして彼の影響を大きく受けたという。
ボサノバはジャズとサンバの融合といわれるが、ギターに関していえば、ジャンゴラインハルの原点であるジプシー音楽、そしてヨーロッパの伝統ともいえるクラシックの影響を受けている。バードは若い頃からボサノバが生まれる環境の真っ只中に居たことになる。

70年代に入ってコンコルドレーベルに加わってすぐに、グレートギタースというグループに参加した。ここではバニーケッセルとハーブエリスというバリバリのバップオリエンテッドなギターの2人との共演を通じ、自然とジャズギターのエッセンスの影響も受けたと思われる。キャリアだけを見ると、これで何でもこなせる完全なハイブリットギタリストの完成ということになる。

このバードの自らのトリオは、共演者の影響を受けずに完全に自分のスタイルでの演奏が可能になる。兄のジョーバード、そしてドラムのチャックリグスとのコンビも長く続いたの。3人の呼吸もピッタリだ。その3人でどんなアルバムを作るかというとプロデューサーの腕次第となる訳だが・・。

このアルバムではオーナーのカールジェファーソンは総合監修で、アルバムの直接のプロデュースはチャーリーバード自身。コンコルドのミュージシャンがプロデュースを行うアルバムはかなり自由度が高く、多くの場合自らが一番作ってみたいアルバムということになる。

今回の結論は「スタンダード集」。ジャズはスタンダードに始まり、スタンダードに終わるともいわれているが、このアルバムで選ばれているのは、いわゆるスタンダードの中のスタンダードともいえるリチャードロジャースを中心とした30年代40年の歌物が中心。
アコースティックギターによるスインギーな演奏が並ぶ。ボサノバギターのイメージは無い。コンコルドレーベルには珍しく、再発CDではLPには未収録の3曲が追加されている。録音では調子も上がって、予定曲以外も続いたということだろう。

1. Isn't It Romantic?            Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:29
2. I Could Write a Book           Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:00
3. Cheek to Cheek                      Irving Berlin 4:27
4. The Very Thought of You                    Ray Noble 3:21
5. Thou Swell                 Lorenz Hart / Richard Rodgers 2:48
6. One Morning in May          Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 3:01
7. I Didn't Know What Time It Was      Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:49
8. There's a Small Hotel           Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:01
9. Someone to Watch Over Me         George Gershwin / Ira Gershwin 3:46
10. I Thought About You             Van Heusen / Johnny Mercer 3:36

Charlie Byrd (g)
Joe Byrd (b)
Chuck Riggs (ds)

Produced by Charlie Byrd
Engineer : A.T. Michael MacDonald
Recorded at Classic Sound Production, New York City, March 1984
Originally released on Concord CJ-252

Isn't It Romantic
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バップオリエンテッドなギターも他のメンバーの影響を受け・・・

2015-11-10 | CONCORD
Full Circle / The Bruce Forman Quartet with Bobby Hutcherson

ジャズが色々変化してきた中で、バップオリエンテッドなプレーを続けているプレーヤーは多い。原点回帰という言葉があるが、やはり、ジャズの根差すところはこの辺りにあるのだろう。それは、プレーヤーだけでなく、聴く方にとっても同じかもしれない。色々聴き疲れた時に、バップオリエンテッドな演奏に戻ってくるとホッとする。例え、それがどんなスタイルに影響されていても。

ブルースフォアマンもバップオリエンテッドなプレーをするギタリストとして知られている。大先輩であるバニーケッセルも彼の事を自分の後継者のように思っていたようだ。
このフォアマンはリッチーコールのグループで一躍有名になった。当時は「リッチーコールブーム」もあり、広く知られるようになったのはこのブームに便乗した形ではあったが。



コールのグループを辞めた後も、フォアマンは西海岸のサンフランシスコを拠点として活動した。サンフランシスコというとコンコルドレーベルの拠点、当然オーナーのカールジェファーソンーソンの目にとまり、このアルバムが誕生した。

メンバーは、同じサンフランシスコで活動していたボビーハッチャーソンやジョージケイブルス達が参加した。このアルバムはこの2人の参加が大きく影響しているように感じる。
曲によって、トリオ、カルテット、そして5人揃ってというようにメンバーの組み合わせを変えているが、一番バップオリエンテッドなプレーを聴かせてくれるのはトリオでのオンザサニーサイドオブザストリートだ。バニーケッセルの有名なアルバム「ポールウィナーズシリーズ」での演奏を思い浮かべる。ベースやドラムもレイブラウンやシェリーマン風のプレーに聴こえてくるから不思議だ。そして、ハッチャーソンが加わったピアノレスのスカイラークもストレートアヘッドな演奏で実に魅力的だ。とすると、ジョージケイブルスが加わると、魅力が無いような感じがするが・・・。

メンバー達のオリジナル曲中心に、モーダルな色合いが強い演奏になる。ライナーノーツを見ると、「ソフィスティケイテッド・バップオリエンテッド」の文字が。ハッチャーソンもこの頃はモーダルな演奏もしていた。
コルトレーンの曲ジャイアントステップもサンバ風のリズムで、スタンダードのサマータイムも5/4拍子でと、アレンジにもこだわり、単なるジャムセッション風の演奏ではない。管が無いハッチャーソンのヴァイブの加わったサウンド生かしながら、アルバム全体としてはグループサウンドの新鮮さを追い求めている感じがする。

このアルバムはジェファーソンが自らプロデュースしたアルバム。新しい試みのアルバムは他のプロデューサーに任せることが多かったが、ギターに関してはグラントガイスマンエミリーレムラーなどの新人達も自らプロデュースし、プレーヤーの自由に任せて演奏させていた。
このアルバムでも、フォアマンのギターのプレーは変らなくとも、周りのメンバーのスタイルでグループ全体のサウンドは微妙に変化する。結果としてそのバリエーションを楽しめるアルバムだ。

最近のフォアマンは聴いた事が無かったが、今でも現役で活躍しているようだ。最近の彼のグループはCow Bop。バップオリエンテッドな演奏は変らなくとも、内容はカントリー&ウェスタンとBopのコラボ。周りのメンバーが変ればグループサウンドは大きく変る。



1. Marshall Arts                    Eddie Marshall 6:08
2. Helen's Song                     George Cobles 4:34
3. On the Sunny Side of the Street    Dorothy Fields / Jimmy McHugh 5:18
4. Skylark              Hoagy Carmichael / Johnny Mercer 6:13
5. Circular                        Bruce Forman 6:13
6. Giant Steps                      John Coltrane 3:58
7. Desert Rain                      Bruce Forman 6:56
8. Summertime     George Gershwin / Ira Gershwin / DuBose Heyward 5:36

Bruce Forman (g)
George Cables (p)
Bobby Hutcherson (vib)
Jeff Carney (b)
Eddie Marshall (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, May 1984
Originally released on Concord CJ-251
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティトプエントのストレートアヘッドなジャズとラテンの融合は・・・

2015-11-02 | CONCORD
El Rey / Tito Puente and His Latin Ensemble

三木敏悟のインナーギャラクシーオーケストラ(IGO)が復活して2年近く経つが、定期的にライブが続いている。ジャズをベースにしているが、和と洋の融合したサウンドは実にオリジナリティー豊かだ。洋も、単にジャズだけでなくロックやラテン、さらには北欧の文化の香りも加味して、まさにコスモポリタンという言葉がピッタリだ。

オーケストラの編成もサックスを減らしてチューバを加えているところが、デビットマシューズと似ているが、マシューズのホルンの代わりに尺八を加えているのが日本的だ、さらには女性3人のコーラスを加えているのがユニーク。
IGOが最後のアルバムを作ったのは20年以上前、完全復帰を果たした記念にそろそろ新アルバムを期待したいところだ。

ジャズとロックの融合をフュージョンといわれているが、この和とグルーバルが融合したIGOは何と呼んだら良いのだろうか?

さて、ジャズとの融合というとまずはラテンが挙げられるが、ラテンと一口に言っても時代や国で色々バリエーションがある。自分はラテンを聴かず嫌いであったのであまり詳しくはないが、共通しているのは強烈なリズムとその多彩さ。ジャズのビートにラテンのリズムが加わるとジャズのスイング感とは違ったリズム感が身を包む。

そのラテンとジャズとの融合は色々な時代、地域で行われてきた。40年代ジャズがスイングからbopに大きく変った時にも、バップとラテンとの出会いがあった。ディジーガレスピーなどは、当時からラテンのリズムを多く取り入れていた。



ティトプエンテは、この当時から活動を始めている。最初はダンサーになりたかったそうだが、足の怪我で断念、ドラムを叩き始めたのが13歳だった。その後、ティンパレスの第一人者になったが、一方で、ジュリアアードで作曲などを学び、バイブ奏者としても若い頃から有名になった。

60年代、70年代にもヒットアルバムを多数出したが、80年代は心機一転、コンコルドレーベルに所属する。ジャズとラテンの融合を狙ったアルバムを出していたコンコルドPicanteにはピッタリな大物であった。流石オーナージェファーソンのリクルート力だ。
コンコルドでの初のアルバムOn Broadwayがいきなりグラミー賞をとったのも、王者の貫禄であった。

第2作目は、コンコルドの地元サンフランシスコのグレートアメリカンミュージックホールでのライブ録音となった。大きなホールのラテンならではの観客の熱気が伝わってくる。
前のアルバムでも、自らの作曲したラテンナンバーに加えて、ジャズナンバーを演奏しているが、枯葉やステラバイスターライトなどのスタンダードに加えて、ジョンコルトレーンのジャアイアントステップスなども。このバリバリのモダンジャズナンバーをラテンのリズムでこなしてしまうのが、ティトプエンテの凄いところだろう。
今の季節には「枯葉」がピッタリだが、ラテンのリズムでティトのヴァイブでの枯葉も少し味わいが違っていいものだ。

1. Oye Como Va
2. Autumn Leaves
3. Ran Kan Kan
4. Rainfall
5. Giant Steps
6. Linda Chicana
7. Stella By Starlight / Delirio
8. Equinox
9. El Rey Del Timbal

Tito Puente (Timbales, vibes, Vocal)
Francisco Aguabella (congas)
Johny Rodriguez (bongos, congas, vocal)
Johnny Frisaura (vtb)
Ray Gonzalez (tp,flh)
Jorge Dalto (p,elp)
Jose Madera (congas, timbales)
Mario Rivera (fl, ss, ts)
Bobby Rodriguez (b)

Produced by Tito Puente
Engineer : Phil Edwards
Recorded live at The Great American Music Hall, San Francisco. CA, May 1984

Originaly released on CJP-250  (所有盤はCD盤)

El Rey
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父と娘の微笑ましい対話が・・・・

2015-10-16 | CONCORD
TELL IT LIKE IT IS / STACY ROWLES with JIMMY ROWLES

Concordのアルバムをリリース順に棚卸している。
このステイシーロウルズのアルバムは以前記事にしたのを思い出した。
多少加筆して、再掲しておくことにする。

ジャケットを大きく飾るトランペットを吹く女性の姿
ジャズの世界では珍しい光景だ。

何の分野でも最近は女性パワーがすばらしい。ジャズの世界でも・・・。
ボーカルの世界は圧倒的に女性軍の勝ち、ピアノの世界も昔から女性が数多く活躍している。ピアノだけでなく作編曲、さらにはビッグバンドを率いていいた秋吉敏子のエネルギーには感嘆するばかり。
そして、最近は管楽器の分野でも女性陣の進出が目立つ。キャンディー・ダルファーや、矢野沙織のような。
しかし、トランペットとなると最近では市原ひかり・・・他に、なかなか思い浮かばない。

ここまでは、以前(8年前の2008年)に書いた。
それから7年、ジャズの世界で管楽器への女性陣の進出は目覚ましい。
最近ビッグバンドのライブを聴きに行っても、その中に女性の姿が目立つようになった。
先日も、宮之上貴昭のグループに、トロンボーンの駒野逸美が一人ゲストで加わって、バリバリのバップサウンドを聴かせてくれた。
ビッグバンドの中とは違って、大ベテラン相手に堂々としたプレーぶりであった。

ジャケット写真の女性の名前はStacy Rowles.。その名のとおり、ピアノのJimmy Rowlesの愛娘だ。
彼女は、7年生(日本でいえは中学1年だろう)の時にトランペットを始めハイスクールそしてカレッジバンドで演奏を続ける。1975年、というと彼女が20歳の時、ALL WOMEN BIGBANDの一員として、クラークテリーに率いられて「ウィチタジャズフェスティバル」にも出演している。このフェスティバル、前年にはこのクラークテリーが自らのバンドで出演していたそこそこ有名なもの。
その後も、西海岸で女性グループに加わり様々な演奏活動を行うようになる。

そこに、New Yorkで活動していた父Jimmyがロスに帰ってくることに。娘の活躍ぶりをみればそこは親心。たまには一緒にプレーをしようかということになる。
いずこの父親も同じだと思うが、自分の娘と一緒に演奏できるのはさぞかし嬉しいものであったと想像できる。
その彼らの演奏を地元のクラブ”Donte”で聴いたのが、このアルバムのプロデューサーのレナードフェザー。元々、企画ものが好きなプロデューサーだ。
早速、「この演奏を残しておこう」ということになったのが1982年の暮れ。ところがまだまだアルバムに残すには時期尚早と判断したのは父のジミー。
84年になって、ジミーから「準備ができたよ」とフェザーに声がかかって制作されたのがこのアルバム。

という訳で、比較的簡単な企画で生まれる(その「さりげなさ」が反対に良いのだが)のがConcordのアルバムの多くではあるが、今回はロウルズ父娘の想いも込めた記念に残すアルバムとして仕上がっている。

もちろん、彼女のトランペットとフリューゲルホーンを全面的にフューチャー。父のロウルズは、お得意の伴奏で彼女の引き立役に。とはいっても曲に合わせて味わいを出しているが。
父娘という関係を離れても2人は絶妙な組み合わせだ。
肝心な彼女の演奏は、リーモーガンの曲でファンキーな雰囲気で始まるが、後はフリューゲルホーンも多用し、女性らしい語りかけるような演奏が多い。
男勝りにバトルを繰り広げるというよりは、仲間を加えて父との会話を楽しんだセッションだ。

その後の活動ぶりは?と思って調べてみたら、以前記事を書いた翌年の2009年に交通事故で亡くなったという記事があった。

このアルバムを作った後も、父親と一緒に西海岸でプレーすることが多かったという。



更に、Swinging Ladiesというグループでヨーロッパでも活躍していたようだ。



ジャズの世界で活躍する女性のトランペットプレーヤーの先駆者の一人だった。
父ジミーとのアルバムは他にもあるが、彼女の名前を冠したリーダーアルバムはこれ一枚のようだ。


1. Most Like lee
2. Old Folks
3. Albamy Home
4. Mighty Like The Blues
5. Tell It Like It Is
6. There Is No Greater Love
7. Devil’s Island
8. Lotus Blossom

Produced by Leonard Feather

Stacy Rowles (tp,flh)
Jimmy Rowles (p)
Herman Riley (ts,fl)
Chuck Berghofer (b)
Donald Baily (ds)

Recorded at Sage and Sound Recording, Hollywood, March 1984

Originally released on Concord CJ-249
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラブの雰囲気次第で、ライブ演奏の盛り上がり方も色々・・・

2015-09-30 | CONCORD
An Evening at Charlie's / Mel Tormé & George Shearing

ジャズのライブハウスというとあまり繁華街のど真ん中にはない。自分が良く行く、ブルーノート、SOMEDAY、ビーフラットなどはそれでも青山、新宿、赤坂。しかし、東京TUCは神田駅から離れた商業地区、さくらんぼとなると遠く郊外の芝崎となる。一見さんのお客は基本的にいないので、場所はあまり関係ないといえば関係ないが、やはり場違いな場所というのも行きにくいものだ。
昨日は、高田馬場のサニーサイド。学生時代毎日通った街、懐かしさもあり、自分にとっては行きやすい場所だ。

ではアメリカはというと、やはりジャズクラブはニューヨークがメッカ。昔は52丁目にクラブが軒を連ねていたというが、果たして今はどうか?
有名なビレッジバンガードはマンハッタンの中心からは遠く南に離れたグリニッジビレッジの入り口。こちらも必ずしも繁華街の真ん中にある訳では無さそうだ。

80年代にはいってすぐ、ワシントンDCのジョージタウンにCharlie’sとうクラブがあった。ホワイトハウスから数キロ離れた大学のある街だが、日本で言えば、霞が関の議事堂から少し離れた場所といった感じか。
落ち着いた感じでチャーリバードなどが良く出演していたという。客席のキャパも170人。狭くは無いが、けっして広い会場ではなかった。それ故、会場の雰囲気も良く、ゆっくり聴くにはいい感じのクラブであったと紹介されている。客層も推して知るべし。

ところが官庁街や学生街は朝早い。夜遅くまで外出している人も少く、早めに家路につく。ところがアメリカのライブハウスのスタートは始まりが遅い。1stステージの始まりは8:30とか9;00。セカンドステージが終わる頃には日付が変わってしまう。それ故、セカンドステージは極端に客足が減ったそうだ。観光客もニューヨークなどに較べれば少なく、やはり不夜城のマンハッタンのクラブとの立地の違いがネックであった。

それでも、サラボーン、オスカーピーターソン、そしてジョージシアリングなどの有名ミュージシャンが出演する時は賑わったようだが、他の日となると閑古鳥がなく有様だった。せっかくいいクラブではあったが、営業的には苦しく5年余りで店を閉じなければならなかった運命であった。

コンコルドレーベルには、グレートギターズのこのクラブでのライブ録音があったが、このアルバムもその「チャーリーズ」でのライブ録音。

ジョージシアリングとメルトーメの付き合いは長い。グラミー賞もとったアルバムも作ったコンビだが、ここでは普段メルトーメのバックを務めていたドラムのドニー・オズボーンも加わって、ライブならではのよりリタックスしたスインギーな演奏が楽しめる。

シアリングとトーメ。それぞれステージ経験は長いベテラン同士。ステージをどう盛り上げ、お客と一体化していくかの術はお互い持ち合わせている。今回は、デュオを格別意識する必要が無いせいが、コンコルドではあまり聴く機会の無かった、ドラムを加えたトリオ演奏なども聴ける。それぞれの流儀の合作といった感じだ。

それに加えてこのクラブの雰囲気。郷に入っては郷に従えで、2人の演奏は自然と地元ワシントンのハイブローな熱心なジャズファンにピッタリな内容になっていったようだ。

1. Just One of Those Things / On Green Dolphin Street
                 Bronislaw Kaper / Cole Porter / Ned Washington 6:24
2. Dream Dancing                          Cole Porter 6:12
3. I'm Hip                  Bob Dorough / Dave Frishberg  3:33
4. Then I'll Be Tired of You                Arthur Schwartz 4:41
5. Caught in the Middle of My Years / Welcome to the Club Shearing / Torme  6:02
6. Nica's Dream                       Horace Silver 6:32
7. Chase Me Charlie                     Noël Coward 3:50
8. Love Is Just Around the Corner       Lewis Gensler / Leo Robin 3:07


Mel Torme (vol)
George Shearing (p)
Don Thompson (b)
Donny Osborne (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards

Recorded at Charlie's, George Town, Washington D.C. October 1983
Originally released on Concord CJ-248

Evening at Charlie's
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルジェイダーの死を悼み、カールジェファーソンからファンへの贈り物は・・・

2015-09-21 | CONCORD
Good Vibes / Cal Tjader

コンコルドジャズフェスティバルが初めて開催されたのは1969年。サンフランシスコ郊外のコンコルド市の高校に隣接した公園広場であった。熱狂的なジャズファンであった地元のカーディーラーのオーナー、カールジェファーソンが音頭をとり、市の協力も得て街のイベントとして開かれた。

丁度ジャズ界はフリーや8ビートなど新しいジャズを模索していた時期だが、ベテラン達のモダンスイングの昔懐かしいサウンドは、集まった1万人以上のジャズファンを魅了した。思った通りの盛況に手応えを得たジェファーソンは、翌年も開く事を決心し、その後毎年の恒例イベントになった。

ベテラン達の溌剌とした素晴らしいライブの演奏を会場に訪れられなかったファンにも広く聴いてもらいたいと思い、出演者の演奏を収めたレコードを作り、そのためのレーベルも作った。人口12万人の小さな町に生まれたインディーズレーベル。これがコンコルドレーベルの発祥だ。

4回目になる1972年7月のチケットがジャケットにデザインされているアルバムが記念すべきカタログNo.1番となる。最初の頃は発売されるアルバムは、このコンサートのライブ録音が多かった。


何事も上手くいくと欲が出るものだ。フェスティバルに参加するメンバー達以外のミュージシャンの録音も行うようになり、さらに新たに発掘した新人の演奏、そして埋もれていたプライベート録音なども次々とカタログに載せてきた。

1975年には、街の郊外に新たにジャスフェスティバルの会場となる巨大な常設のパビリオンもでき、フェスティバル自体も益々大きくなっていった。


先日紹介したジョージシアリングのアルバムが1984年のリリース。12年間で250枚近くがカタログに載る中堅レーベルに育っていた。その中には、毎年開催されるコンコルドジャズフェスティバルのライブ録音も多くリリースされたが、必ずしもすべてがレコードになった訳ではなかった。

契約するミュージシャンもベテラン、新人を問わず増えていった。ジャンルも最初の頃のモダンスイング系だけでなく、ハードバップから実験的なアルバムまでに広がっていた。
その中でラテン系のジャズにも力を入れ、ラテンといっても純粋なラテンではなく、ジャズ、ボサノバ色が強い演奏が中心で、カルジェイダーやローリンドアルメイダなどが、オーナーのカールソンのお気に入りであり、彼らの為に新たにConcord Picanteというサブレーベルも新たに作られた。

その看板であったカルジェイダーは短期間に5枚のリーダーアルバムを作った。他にもサイドメンとして多くのアルバムにも参加していた。元々は、バップオリエンテッドな演奏もしていたし、ジョージシアリングのグループにも加わっていたジェイダーなので、何もラテン系のアルバムだけでなく、それらの演奏はオールラウンドプレーヤーとして面目躍如たるものであった。最後のアルバムとなったカーメンマクレーとの共演は、ジェファーソンと共に、更に新境地に踏み出したばかりであった。

そのマクレーとの共演アルバムを作って4か月後の1982年5月5日、異国の地マニラで急死してしまった。享年56歳。それは、まだこれからという時の突然の死であり、オーナーのジェファーソンもショックであったと思う。

ジェイダーが亡くなって2年後、ジェファーソンはジェイダーへの追悼アルバムを出した。中身はよくあるよう「仲間が集まって、ジェイダーに捧げると」いう企画ではなく、ジェイダーが自分のグループでコンコルドジャズフェスティバルに出演した時のライブ演奏であった。

曲によってフルート&サックスがゲイリーフォスターとロジャーグレンと異なっているので、80年、81年の両方のステージでの演奏であろう。ドキシーやブロードウェイというジャズの名曲を4ビートでやっている演奏も含まれる。そして、最後に収められているのが、タイトル曲のGood Vibes。ラテン調のジェイダーらしい自作曲だ。

大きなジャズフェスティバルが各地で行われていた時だが、このコンコルドはコンコルドに所属していたミュージシャンにとってはホームグラウンドのようなもの。地元のファンに囲まれリラックスしているが、熱の入った演奏になる。

アルバムのジャケットには、ジェファーソンの追悼の言葉以外何のクレジットも解説も無い。ジェファーソンは冒頭で語っている。「Good Vibes.とはまさにジェイダーそのものであり、すべてである。彼の音楽、家族、そして仲間のミュージシャン、ファン、聴衆、すべてがそのGood Vibes.と触れ合うことができる。」と。

ジェファーソンの原点である、コンコルド・ジャスフェスティバルでの演奏、それがジェイダーを忍び、皆がGood Vibesと触れ合うには一番いいと考えたのだろう。

1. Soul Sauce (Guachi Guaro)        Dizzy Gillespie / Chano Pozo 6:07
2. Doxy                         Sonny Rollins 7:05
3. Shoshana                       Mark Levine 7:07
4. Speak Low                 Ogden Nash / Kurt Weill 7:16
5. Broadway           Billy Bird / Teddy McRae / Henri Woode 6:06
6. Cuban Fantasy                     Ray Bryant 5:20
7. Good Vibes                        Cal Tjader 3:43

Cal Tjader (vibes)
Marl Levin (p)
Rob Fisher (b)
Vince Lateano (ds,timbales)
Poncho Sanchez (congas)
Gary Foster (as,ss,fl)
Roger Glenn (fl,per)

Produced by Carl Jefferson
Recorded live at the Concord Jazz Festival, Concord Pavilion, Concord, California
Recording Engineer : Phil Edwards, Ron Davis

Originally released on Concord CJ-247 (所有盤はCD)

Good Vibes
クリエーター情報なし
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デュオの魅力は色々あるが、2人の相性が合うと色々な展開が・・・

2015-09-06 | CONCORD
Live At The Café Carlyle / George Shearing with Don Thompson

ジャズの世界では、日常的に色々なプレーヤーと一緒にプレーする機会がある。初めて会った2人でも、すぐに一緒に演奏できるのがジャズの良さであり、楽しみであるだろう。その中からコンビを組んで一緒に活動する仲になるのは限られる。お互いの演奏に感じる事も多く、人間的な相性も重要なのだろう。
今日のライブは、クラリネットの鈴木直樹とバンジョーの青木研のコンビ。今日の編成はDUOであったが、最近ではコンボでも、ビッグバンドでも2人のコンビが核となっているようだ。だが、2人の相性とコンビネーションの良さはデュオが一番楽しめる。

ピアノのジョージシアリング、キャピタル時代は爽やかなグループサウンドがシアリングのピアノのイメージであった。キャピタルを離れてからは、ピアノを前面に出した活動をするようになった。コンコルド専属になってからはブライアントーフのベースとのDuoでの活動が中心となり、このコンビでメルトーメとのアルバムも作った。この編成が気に入ったのか、その後もしばらく続いたが、2代目のベースが先日リーダーアルバムを紹介したドントンプソンであった。

この2人の出会いは、カナダ出身のトンプソンの拠点であったトロントであった。
ある時、シアリングはトロントで友人のためにソロのコンサートを開いていたが、トンプソンもその会場を訪れていた。その友人にトンプソンはシアリングを紹介されたが、シアリングも地元のロブマクコーネルのビッグバンドに参加していたトンプソンの演奏はレコードで聴いた事があったという。初対面であったがトンプソンが会場にベースを持ってきていたこともあり、その場で2人の共演が実現した。

シアリングは「知らない曲は弾かなくてもいいよ」といって、何の打ち合わせもなく演奏が始まった。続けて数曲演奏したが、そこで、2人にはお互い何か相通じるものを感じたのであろう。その後、ブライアントーフの後任として、シアリングはこのトンプソンとコンビを組みことになる。

もちろん、トンプソンにとってシアリングは大先輩、トンプソンがシアリングを初めて聴いたのは1966年に遡る。サンフランシスコのベイジンストリートウェストに出演していたクインテットを聴いた時であった。トンプソンはまだ26歳、ジョンハンディーのグループに加わるためにサンフランシスコに居を移した時であった。
その時、シアリングの演奏を聴いて彼が深く印象に残ったのは、お馴染みのシアリングのグループの演奏ではなく、その中のある曲でのシアリングのソロによるイントロであった。そのタッチでありサウンドであり、ハーモニーの組み立て方といいすべてが美しく、彼をノックアウトしたという。

それから12年経った1978年になって、トンプソンはシアリングとトーフのデュオの演奏を聴く機会があった。そこで、再びシアリングのソロを聴いて12年前の感動を思い出したそうだ。

このアルバムを作るまでに、2人は2年近く一緒に演奏してきたという。その間、もちろん同じ曲を何回も演奏してきたし、時には新しい曲を演奏することも。だが、シアリングとの演奏では、それ都度新たな驚きを感じるとトンプソンは語っている。
その日の気分もあるし、会場の雰囲気もあるし、同じ曲を弾いても厳密には同じものにはならない、それがジャズの良い所であり、プレーヤーだけでなく聴き手にとっての楽しみにもなる。

このアルバムは、2人がそのような関係が続いていた時のアルバムだ。
レコーディングされたのは、ニューヨークのCafé Carlyleという高級ホテルの中にあるクラブでのライブ。いわゆる老舗のジャズクラブとは違った雰囲気のクラブであることは、このアルバムからも感じられる。この2人の演奏にはピッタリのシチュエーションかもしれない。

この夜は、いつもやっているパーカーのCherylやスタンダード曲が並ぶだけでなくハービーハンコックの曲があり、トンプソンのオリジナルも。シアリングのボーカルに加え、後半はトンプソンも楽器をベースからピアノに替え、ピアノのデュオも楽しめる。同じ二人のデュオであっても、曲やスタイルだけでなく楽器も替えたバリエーションが楽しめる。そのステージの雰囲気がそのまま収められているアルバムだ。

今日の鈴木&青木のライブもそうであったが、単調になりやすいデュオのステージも2人の相性が醸し出す味わいある演奏は飽きることなく2ステージを楽しめる。

シアリングのピアノもバラードからリズミカルな演奏まで色々なスタイルを披露しているが、トンプソンが深く印象に残るシアリングのピアノのソロというのも、この中にはきっと隠されているのだろう。



1. Pent-Up House                     Sonny Rollins 4:13
2. The Shadow of Your Smile     Johnny Mandel / Paul Francis Webster 5:07
3. Teach Me Tonight               Sammy Cahn / Gene DePaul 3:42
4. Cheryl                         Charlie Parker 4:55
5. Blues for Breakfast                  Eddy Clearwater 3:38
6. P.S. I Love You            Gordon Jenkins / Johnny Mercer 2:47
7. I Cover the Waterfront          Johnny Green / Edward Heyman 5:24
8. Tell Me a Bedtime Story                Herbie Hancock 4:20
9. Inside Jack                  Reardon / Marvin Fisher 4:57
10. Stratford Stomp                     Don Thompson 3:32

George Shearing (p)
Don Thompson (b)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Ed Trabanco
Recorded live at The Café Carlyle, New York, January 1984

Originally released on Concord CJ-246

Live at the Cafe Carlyle by Shearing, Thompson (2002-01-01) 【並行輸入品】
クリエーター情報なし
Concord Jazz/Universal
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代の変化と共に、今まで慣れ親しんだ魅力とは別の魅力が見つかるものだ・・

2015-08-23 | CONCORD
Live at Village West / Ron Carter & Jim Hall

原油価格の下落が止まらない。一年前は100ドルを超えていたのが先週末はついに先物価格は40ドルを割った、一体どこまで下がるのやら。一時のピークと較べると1/3近い価格だ。産油国にとっては実入りがそのまま1/3になっている訳なのでこの急落は深刻なはずだ。

この下落の原因はロシアの経済制裁の一環という話もあるが、長引けばアメリカにとってはシェールガスビジネスの存亡にも影響する。最近の下落の原因は中国経済の行き詰まりが原因との話もあるが、昨今の相場の上下には、需給関係だけでなく政治を含め色々な思惑や要素が絡んでいる。今後どう推移するのかは素人には分からない。
我々消費者にとっては、単純にガソリン価格が安くなる恩恵が嬉しいが。

自分は、昨年車をディーゼル車に替えた。ゴルフに行く回数が多いので、走行距離は年間で2万キロ近く、ガソリン代もバカにならない。以前はガソリンを「がぶ飲み」する大型SUVのアメ車に乗っていたので、最近の車の省燃費技術は感動的だ。ハイブリットでなくとも、平均燃費は15km/ℓ以上、前の車の倍は走る。

特にディーゼルだと軽油の価格の安さも一段と魅力だ。この前100円/リットルを切ったと思ったら、先日は93円まで下がっていた。この軽油の価格だが、店によってレギュラーガソリンとの価格差に大きく幅があり、自分が入れる店では30円近くある。この価格差も不思議だが、ガソリン価格自体、店による価格差が昔より大きくなったように思う。利用者の店の選別に価格以外の要素が加わっているのかも?

経済成長、そしてモータリゼーションの発展と共にこれまで成長を遂げた石油業界だが、いつの間に斜陽産業の生き残り戦略を競う業界になってしまったようだ。車そのものも昔は排気量の大きさが車のグレードを表す代名詞のような位置付けであった。最近はハイブリット車全盛になったせいか、エンジンの大きさはどうでも良くなってしまった。
世の中の価値観の変化は知らず知らずの内に確実に進んでいるということだろう。

さて、ジャズの魅力はいくつもあるが、コラボレーションもその一つ。マイルスとギルエバンスのようなプレーヤーとアレンジャーのコラボもあるが、本命は2人のプレーヤーの真剣勝負だろう。
アル&ズートのようなレギュラーグループもあれば、前回紹介したコルトレーンとハートマンのような意外な組み合わせもある。どのような組み合わせでも、コラボレーションによる魅力はそれぞれ単独の演奏では味わえない。

そしてジャズのエッセンスもいくつかあるが、スイング時代からバップ時代引き継がれた物にジャズ独特のノリがある。いわゆる4ビートの心地良さだ。聴き手にとってもそのスイング感がたまらない。
そのジャズのスイング感も8ビートやラテンのリズムとのハイブリットにより多様化していった。

ジムホールというギタリストがいる。スタジオワークも多かったので色々なプレーをこなすが、彼のプレーはいわゆるバップオリエンテッドなスインギーなギターとは違ったスタイルだ。
若い頃レギュラーメンバーとして参加したジミージュフリーやチコハミルトンのグループも同様にメインストリームとは少し毛色の変わった路線を歩んでいた。ジムホールの演奏がピッタリだったのかもしれない。そしてジムホールとビルエバンスとのデュオアルバムは、お互いが目指すジャズを共有できた作品だったと思う。
その後も、ソニーロリンズのグループに加わり、アートファーマーのグル―プなどにも加わった。どこでやっても、誰とやっても派手さは無いが常に存在感があり、単なる伴奏ではなくコラボレーションを楽しんでいるようなプレーが魅力である。

デュオでの演奏も多い。そして、聴く前からこの2人であればいい結果を生むだろうと想像できるのがロンカーターとのデュオだ。
ギターとベースというと、いつもは脇役であることが多い楽器の組み合わせだ。お互いに派手さが無いだけに、余程自己主張が無いと退屈な演奏になることもある。事実、ライブでそのような演奏に遭遇したこともある。

ところが、この2人の演奏は奥が深い。ソロをとっている時もバックに廻っている時もそのプレーぶりは変幻自在、次々と繰り出されるフレーズやリズム感は実にスリリングだ。
このアルバムは、ジャズウェストというクラブでのライブ録音。演奏も会場もライブの割にはおとなしく感じるが、やはりスタジオとは違う会場の熱気が伝わってくるから不思議なものだ。

自分は元来スインギーな演奏が好み。だが何故かジムホールのアルバムは特にファンという訳ではないのに何枚も持っている。どこかに自分にも気づかない、そして語れない魅力があるのだろう。
ジャケットの2人の写真の後ろ姿が印象的だ。普段見慣れない所に魅力があるのだということをアピールしているようで。2人の演奏も普段気付かないところに魅力があるのだろう。
たまには、このようなジャズもいいものだ。



1. Bag's Groove                      Milt Jackson 4:11
2. All the Things You Are       Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 5:38
3. Blue Monk                     Thelonious Monk 5:07
4. New Waltz                        Ron Carter 6:02
7. St. Thomas                       Sonny Rollins 4:27
8. Embraceable You            George Gershwin / Ira Gershwin 6]37
9. Laverne Walk                     Oscar Pettiford 5:13
10. Baubles, Bangles and Beads       George Forrest / Robert Wright 5:02

Ron Carter (b)
Jim Hall (g)

Produced by Retrac Productions and Jim Hall
Recorded live at Village West, New York City, November 1982
Recording engineer : Jim Anderson

Originally released on Concord CJ-245

Live at Village West
クリエーター情報なし
Concord Jazz
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オールマイティープレーヤーが本当にやりたいことは何・・・?

2015-07-13 | CONCORD
A Beautiful Friendship / The Don Thompson Quartet

カナダ出身のジャズミュージシャンをあまり意識して聴いてこなかった。オスカーピーターソンやメイナードファーガソンなどの著名なミュージシャンは、本場アメリカの第一線で活躍し続けたので、カナダ出身と聞いても地続きのカナダはアメリカの一つの州のような感じを受けていた。それにプレーぶりも迫力満点、特にカナダらしさを感じる事も無かった。

コンコルドのアルバムを棚卸しているが、その中でカナダ出身のミュージシャンというと、テナーのフレイザーマクファーソンとか、エドビケットというギタリストが登場している。
そして、ペッパーアダムスの活動歴を追いかけていると、アダムスは若い頃からモントリオールに良く出掛け、地元のミュージシャン達と交友を深めていたのが分かる。そういえばアダムスのラストレコーディングも、モントリオールでダニークリスチャンビッグバンドとの共演であった。

そのカナダ出身のミュージシャンの一人にベースのドントンプソンがいる。ベースだけでなく、ピアノやヴァイブも弾くマルチプレーヤーだ。
出身地のバンクーバーで演奏活動を始めたが、アメリカでのデビューはジョンハンディーのグループに加わってサンフランシスコを拠点に活動した時であった。ここで西海岸在住のミュージシャンと交友を広めることに。その時の縁がきっかけで、フランクロソリーノをカナダに招いて一緒にプレーすることもあった

その後、カナダに戻ったトンプソンは東海岸のトロントを拠点とし、地元のBourbon Street Jazz Clubのハウスベーシストを務めだ。そこでアメリカから訪れる多くのミュージシャンと共演する機会を得ることになる。
これがジムホールやポールデスモンドなどのグループに加わるきっかけになったようだが、共演したミュージシャンはメインストリーマーに加え、サラボーンのような歌手のバックや、スイング系のジェイマクシャンンやバディーテイトなどオールラウンドであった。

経歴を見る限り、このように色々な楽器を演奏するだけでなく、スタイルもオールマイティーでこなすミュージシャンであった。
このようなマルチな才能を持つ人間の本質は?何が一番やりたいのか?あるいは何が得意なのか? というと、器用な人ほどなかなか分からないのが世の常だが・・・・。

コンコルドのアルバムを辿ると、80年代の前半、そのトンプソンはジョージシアリングとコンビを組んでいた時期がある。シアリングがベースのブライアントーフとのコンビでグラミー賞を得たアルバムがあるが、その後釜としてのシアリンググループへの参加であった。
あくまでもメルトーメのヴォーカルとシアリングのピアノが主役とはいえ、デュオ編成では相方のベースの役割はかなり重要となるが、立派にグラミーコンビの後任としての役割を果たした

丁度その頃、コンコルドはミュージシャン自身のプロデュースによるアルバムを続けて何枚も作っている。此の所それらのアルバムを紹介しているが、それまでのコンコルドの味付けを全く感じさせない内容ばかりで、どれも興味を惹く内容だ。それらと同じように、このドントンプソンが自らリーダーとなり、自由にプロデュースしたアルバムがこのアルバムとなる。

その時トンプソンは何を考え、何に興味を持っていたか?の答えとなる内容であった。

まずは、メンバーが興味深い。
自らはベースがメインで世に知れ渡っていたが、このセッションにはもう一人ベースの名人、デイブホランドを加えている。そしてギターにはコンテンポラリー派のジョンアーバンクロンビーが加わる。ECMサウンドの代表選手の一人だ。ドラムにはワシントンローカルで活動していたというミシェルスミス。
メンバーから大体想像できるが、コンコルドでお馴染みの、ちょっと古さを感じる温かい4ビートが似合うサウンドではなく、いわゆるクールで研ぎ澄まされたサウンドだ。

ここでトンプソン自身がベースを弾いているのは5曲、後の3曲はピアノでの参加となる。
さらには、スタンダード曲に交えて自作曲が3曲。作曲家としての一面もアピールしている。
特に、その中のFor Scott La Faroではホランドとベースの共演を繰り広げている。メロディー楽器のベースとリズム楽器のベースを2人で弾き分けているのだが、これも面白いアプローチだ。まさにタイトル通り、スコットラファロがベースをリズム楽器から解放された先駆性を2人で称えるような演奏となっている。

トンプソンは今でもカナダのジャズ界の重鎮として活躍しているようだが、最近の演奏、アルバムは聴いていない。きっと何でも演奏できるトンプソンであっても、自分の音楽に対する拘りはいまでも持ち合わせているように思う。

このアルバムに参加したメンバー達との出会いは、数年前にバンフで行われたワークショップで一緒になったのかきっかけだそうだ。お祭りになりがちなジャズフェスフェスティバルや一夜限りのギグでの出会いとは違って、このような教育を目的としたワークショップでは自分の音楽観について意見を戦わせることも多いであろう。このような本音で語り合う場での出会いや付き合いの仲間達が、いざ自分の音楽を具現化しようという時には大事な友となるのかもしれない。

アルバムタイトルのビューティフルフレンドシップ。曲もいい曲だが、このような演奏ができる仲間との関係も、ミュージシャンにとってはビューティフルフレンドシップなのだろう。

1. Even Steven               John Aberncrombe 5:16
2. My One and Only Love       Robert Mellin / Guy Wood 6:30
3. Blues for Jim-San               Don Thompson 7;15
4. I've Never Been in Love Before         Frank Loesser 4:33
5. A Beautiful Friendship      Donald Kahn / Stanley Styne 5:58
6. For Scott la Faro               Don Thomson 5:06
7. Ease It                   Paul Chambers 4:14
8. Dreams                   Don Thompson 7:35

Don Thompson (b,p)
Jphn Abercrombie (g)
Dave Holland (b)
Michael Smith (ds)

Produced by Don Thompson
Recorded at Classic Sound Production New York City, January 1984
Recording Engineer : A.T.Michael MacDonald

Originally released on Concord CJ-243
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色々新しいことにもチャレンジしたが、やはりビバップオリエンテッドな演奏で・・・・

2015-06-19 | CONCORD
Bebop and Beyond / Mel Martin

コンコルドレーベルの発祥の地は、その名の通りコンコルドであった。サンフランシスコのダウンタウンから東へ湾を渡り小一時間、オークランドを通ってその先にある郊外のベッドタウンである。デイブブルーベックの出身地であるが、地元のカーディーラーであったカールジェファーソンが町の名前をそのままレーベルにしたものだ。
同じ西海岸、そしてカリフォルニアといっても、サンフランシスコはロスやハリウッドとは気候や産業も全く異なり、違う雰囲気の場所だ。

西海岸のジャズというとロス&ハリウッド周辺が中心だが、ベイエリアといわれるこの地域で活動するジャズミュージシャン達もいる。スタジオワークが中心のロスとは違って、この地域は純粋にジャズをやりながら、作編曲やスタジオワーク、そして教育者でもあるミュージシャンが多い。
気候の違いと同様、ロス中心のカラッと晴れた感じのウェストコーストサウンドとは違うサウンドを聴かせてくれる。

そのベイエリアのミュージシャンの一人にメルマーティンというサックス奏者がいる。サンフランシスコを拠点として活動を続けてきた。1980年代になってジャズ界でフュージョン色が強くなった時、流行のフュージョンのバンドを作りレコーディングも行った。
しかし、その後思う所があったのか地元の仲間達とストレートアヘッドなグループを新たに編成した。当時本人自体は無名に近かったが、他に参加したメンバーの中ではアルトのジョンハンディ、そしてピアノのジョージケイブルスが全国区のプレーヤーであった。

バンドの名前は、Bebop and Beyond。その名の通り、ビバップに根差したメインストリームジャズを演奏するグループであった。確かに時期的にはフュージョンブームの真最中であったが、同時にメインストリーマーが復帰をしていた時でもあった。

このメルマーティンはこの時すでに40歳を過ぎており、新人というよりはすでにベテランの域に達していた。他のメンバーも若い頃にはハードバップを経験した皆同じ年恰好である。時代の流れに合わせて色々やったが、自分がジャズをやり始めた時の演奏に再チャレンジすることになった。

そして、この新しくできたグループにアルバム制作の機会を与えたのが地元のコンコルドレーベルであった。丁度この所ミュージシャン自らプロデュースしたアルバムが続くが、これもその一枚となった。御大のジェファーソン以下、レコーディングエンジニアやスタジオもお馴染みのいつものスタッフが参加せず、すべてマーティンにお任せのレコーディングとなった。

曲はマーティンの他にメンバー達の自作曲もあるが、タッドダメロンのOn A Misty Night、そしてモンクのEvidence, Monk’s Moodも加えている。その辺りがグループの名前にBebopを入れている所以であろう。この前紹介したバリーハリスのアルバム同様、グループのスタイルが根差している所は「ここだ」ということをはっきりさせたかったのかもしれない。

マーティンがライナーノーツで語っているように、「皆が今までの長い演奏経験を最大限に生かした吹っ切れた演奏ができた」というのも、軸足をビバップに置いて心置きなく演奏できたことの成果のような気がする。

演奏自体はフュージョンの雰囲気を微塵も感じさせないストレートアヘッドな演奏だ。グループとしてその後のアルバムは聴いていないが、モンクの曲集とか、ディージーガレスピーの曲集などが続いた。ガレスピー曲集ではゲストにガレスピー本人を招いたアルバムも招いてビバップの再演色を濃くしていた。あまり過去を意識しすぎると今度は「飛んだ演奏」ができなくなってしまうのが世の常なのでバランスが難しい。



このグループは、メンバーは変っても比較的最近まで活動していたグループのようだ。そしてマーティンは最近ではベニーカータートリビュートバンドを率いているようだが、マーティンにとっては、ここでの演奏が80年代以上の活動のベースとなったグループであり演奏スタイルだ。そして、このアルバムがローカルで活動するミュージシャンのお披露目の場であったことは間違いない。。

1. Longhorn               Mel Martin 7:55
2. On A Misty Night         Tadd Dameron 5;24
3. Moon Magic             Frank Tusa 6:41
4. Super Trooper          Eddie Marshall 4;25
5. Evidence            Thelonious Monk 8:30
6. Monk’s Mood          Thelonious Monk 5:21
7. One For All            Mel Martin 8:38

Warren Gale (tp,flh)
John Handy (as)
Mel Martin (ts)
George Cables (p)
Frank Tusa (b)
Eddie Marshall (ds)

Produced by Mel Martin
Recordhing Engineer : Robin Yeager
Recorded at Tres Virgos Studio, San Rafael, California, February 1984
Originally released on Concord CJ-244
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする