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家人の入院(3)

2020-08-21 17:15:45 | 日記
長女は朝6時半に起床し、7時半に出勤する。私も6時半には目覚めるが、脚の運動をする。それから洗面所に行く。全てがノロノロしているから、途中で、娘が「行ってきます」となる。食卓につくとすべてがきちんと並んでいる。ココア豆乳、ピーナッツバターを塗ったパン、野菜スープ、バナナ、日経新聞とメガネ、服用薬、家人がいるときと変わらない。中でも、スープは前夜に娘が晩ごはんの後に野菜を洗って刻んで煮込んだものだ。一人暮らしならば何かを省いてもいいだろうが、身体不自由の父親が生きているから大変だ。むろん昼食も揃っている。

11日に家人のオペが行われ、頭に開けた穴から血を抜くだけの作業らしく、1時間を要さずに終わったという。「元気だった」という長女の知らせで安心する。すでに退院は17日か18日とのことだ。頭に穴を開けたのだから術後は腹這いに寝るのではなないか、それは些かキツいのではないかと心配したが、それはないらしい。あとはリハビリだ。

次女は週に2日間仕事をしているが、合間を縫って家事に来てくれる。次女は料理が上手く、家人似のようだ。豚肉の塩麹味炒めなどを作る。長女の料理はスマホが先生だ。私にはわからないが、たぶん細かく説明されているのだろう。スマホに頼らず、コンビーフとキャベツの炒めものを3分で作り上げたりもする。

家人の入院(2)

2020-08-13 05:41:11 | 日記
8月7日。朝一番の診療時間に近くのA脳神経外科に家人が行く。長女が付き添う。徒歩5分の場所だ。後になって長女から聞いた話では、その時家人はもうほとんど歩行が難しくなっていて、抱きかかえるようにしてやっとたどり着けたそうだ。昼近くになっても2人が帰宅しないので、私は己のカン(脳梗塞の発生)が的中したのだと思った。

私の想像と違って、家人の異常は、慢性硬膜化血種というもので、A脳神経外科からの紹介で横浜栄共済病院に入院することになった。栄共済病院は20余年前に私が脳梗塞でダウンしたときに世話になった病院である。頭の中の出血だが、よく耳にする脳内出血ではない。家人は1カ月ほど前に、スーパーの駐車場に車を停めて、ちょっと歩いたところを別の車に接触転倒し、少々のかすり傷を負ったのだが、その際の衝撃で頭に出血が起きたのではないかというのが、病院の診断であるようだ。当然のことに、血を抜く手術が必要になるのだが、オペとしては至って簡単なのだそうだ。何よりも救いなのが、家人に頭痛がないことだ。簡単なオペならすぐにやってくれないかと思うのだが、8・9・10は3連休。シンドいことだが、待つしかない。頭のケガというのは私には経験がない。長女は、「おなかを切るよりは、頭から血を抜く方が怖くない」と言う。ドクターの説明によると、頭皮を4センチほど切って、頭蓋骨に2センチほどの穴を開けるのだそうだ。術後にはその穴から管が出るらしい。繰り返すが、とにかく、家人に痛み・苦しみがないのが幸いである。

家人の入院(1)

2020-08-13 05:34:56 | 日記
8月6日、3カ月に一度の健康診断に病院へ行く。家人と次女に同行してもらう。車の運転は次女だが、そのことが実にラッキーであったことが後になってわかる。病院は前回と同様に患者が少ない。今回は2科(内科、泌尿器科)だけの診療。内科の巨漢医師がいつもと同じ口ぶりで、「貧血がね」と呟く。それが大声になって、「大腸の検査をまたやってください」となると困る。あの検査はシンドい。泌尿器科で、「糖も蛋白も出ていません」と告げられて安心する。夏は特に甘いもの(アイスバーや水ようかんなど)が旨いのだ。

次女と待合室に座っていて、トイレへ行った家人が戻って来るのを見ていて、ふと、足元の動きが気になった。「ママ、ヒザが上がっていない」と娘が声をかける。「うん、明日注射があるから」、家人はもう何年も前からヒザに少々の痛みがあって、ヒアルロンサンの注射を定期的に受けている。しかし、私には別の心配があった。ヒザのことだけではないのでは?、である。両足の引きずり具合が怪しいのだ。まさか?と思った。まさか、に続くのは脳梗塞である。だが、目つきも言葉遣いも正常である。それでも明日は脳神経外科の診察を受けねばならぬ。脳梗塞も最初は時間を争う。明朝一番で脳外科へ、夜のうちに家人と長女の間で決まったようだ。

8月

2020-08-10 22:47:15 | 日記
昭和20年8月7日の新聞に、「広島に新型爆弾」おいう記事があったのを憶えている。前日に広島に原子爆弾が投下され、大惨事となったわけだが、それは一面トップで報じられたのではなかった。原子ではなく新型だった。後になって誰かから教わったのが、「投下の候補地が、広島、長崎だけでなく神戸、呉、小倉なども挙げられていたこと」だった。また、条件として、片側に山があること、晴天であることも爆弾の効果のために必要だったようだ。サトーハチロー作詞の『長崎の鐘』の唄い出しに、<こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ>とあるのは、そのことを言っているのかもしれない。長崎は9日の正午過ぎだった。そして15日が終戦である。私は小学4年生だった。住んでいた兵庫県芦屋市は7日にB29の爆撃を受けた。私は家族と離れて家の裏山へ近所の大人に連れられて逃げた(このことは2,3度書いているので詳細は省略する)。

平和な8月が75年続く。私は夏が好きだ。食欲の秋というが、私は食欲の夏だった。下手糞なゴルフを終えて、クラブハウスで呑むビールの味は、他の季節では絶対に味わうことはできない。2人の娘は共に2月生まれであるが、<夏>の字を使って名付けた。ボクちゃんは本当に8月に生まれて<葉月>と名付けられているが、それはそれで良い。そして8月には、夏の高校野球がある、と書き続けたいのだが、コロナの影響で、御存じの通りのようになっている。残念と書くしかない。

8月9日

2020-08-09 21:22:34 | 日記
昨夜どこかのチャンネルでプロ野球でもやっていないかとテレビのリモコンを押していたら、女声合唱団が出て来て、なんと『栄冠は君に輝く』を唄い出した。甲子園の高校野球の入場式などに流れる歌だ。<雲は沸き、光あふれて>で始まるアレだ。作詞は加賀大介さんで、一般公募の中から選ばれたものだ。第3章の<緑濃き棕梠(シュロ)の葉かざす>が好い。月桂樹とか大旗でないのが好い。今年は甲子園大会は無く、選抜大会に選ばれた32チームが1試合ずつ対抗戦を行うのだそうだ。コロナ禍にもいろいろあるが、夏の甲子園が観られないのは、なんとも大きい。私にとっては夏の楽しみどころか、1年の楽しみなのだ。プロ野球にあまり興味を持てなくなって久しい。サッカーの知識は無い。イの1番が高校野球なのだ。コロナは、あれこれを奪う。

街の事情に詳しい重田名人の話によると、鎌倉でも小さい居酒屋がバタバタ倒れているそうだ。そういう店の多くは家賃が払えなくなるのだそうだ。反対を言えば、自分が所有する土地家屋で営業しているところだけが、かろうじて残っていることになる。重田君もそういった古くからの呑み屋でビールジョッキを傾けているようだ。ウィズコロナと言葉にするのは簡単だが、現実は大変だ。もし私がサラリーマンだった頃に同じことがあったらどうだったかと考えてみると、会社全体がストップになったであろうことは確実だ。すなわち失業だ。それに比べれば現在は・・・と考える力は、私には無い。今朝の血圧は127-74。