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小(こ)

2020-08-25 09:53:52 | 日記
20代とおぼしきかわいい顔の女性が地方都市らしき道を歩いている。よくある散歩番組のようだ。自分の声で周囲の風景を説明している。「この辺で、小腹がすいてきたので」などと言う。小腹(こばら)って何だろうと思う。この娘さんには小腹という内臓があるのかと思ってしまう。多分、ちょっとおなかが空いているという意味だと思う。それにしてもコバラとはなんとも耳障りが悪い。汚い。小腹の空いた娘さんは小洒落(こじゃれ)た飲食店をみつける。これまたちょっと洒落た感じの、という意味だろう。コバラもコジャレも平成語だろうか。

小(こ)という語は不思議な力を持っている。たとえば「Aさんは小ずるいところがある」と言うと、単にずるいというより、暗いイメージになる。小汚い、というのも同じだ。もちろん良い方にも使える。「あの家のおじいちゃんはいつも小ざっぱりした恰好をしている」というのは、単にさっぱりというよりは清潔感がある。小ぎれい、なんかもそうだ。

毎日のように聞くのが、小まめ だ。「熱中症に注意。小まめな水分補給を」である。言われてみると、「小まめは水分補給」は老人には難しい。目の前に小型魔法瓶に入れた冷水があるのに、家人や娘に注意されるまで忘れている。84歳は喉の渇きに鈍感だ。酒を呑むと脱水状態になると言われるので、水割りの1杯目と2杯目の間に氷水をたくさん飲むことにしている。小まめに励行している。

テレビのチャンネル

2020-08-25 09:45:35 | 日記
我が家では土・日を除いてだいたいテレビ朝日を観ているが、どの家庭にも同様に好みの局というのがあるのではないだろうか。たとえば私の叔母の一人はNHKばかりだった。コマーシャルがないのがよいと言っていた。また、たとえば野球の巨人ファンなら日本テレビをずっと観ているといったことがあるような気がする。つまりは、習慣化である。

テレビ朝日の朝の番組の依田司さんの天気予報が良い。ちょっとした雑談にセンスの良さがある。舌も滑らかだ。モーニングショーは羽鳥慎一君の司会。コメンテーターで毎日出ている玉川徹さんが週刊誌で叩かれている。コロナ不安を煽っていると叩かれている。でも私にはそれほどとも思えない。彼はもともと野党型であり、そこを買われて(テレ朝の社員でありながら)出演しているのだろう。コロナの女王こと岡田晴恵さんも、コロナ不安の煽動者だと週刊誌に書かれているが、この番組におもしろいヘアスタイルで登場する。ほかのコメンテーターは月曜日の石原良純さん、金曜日の長嶋一茂さんぐらいしかわからないが、家人は一茂さんのファンだ。

日曜日の朝はTBSの『サンデー・モーニング』を観る。司会は関口宏さんで、この人はいかにも安全運転の感じで番組を進める。ニュース解説としては岡本行夫さんをコロナで失ったのが大きかった。スポーツコメントは張本勲さんで、<アッパレ!><喝!>はいまでは1つの流行語になっているのではないか。

ドラマはすべて録画で観るからBS放送が多い。前にも買い阿賀、私はNHK大河ドラマ以外はミステリー、サスペンスしか観ない。ついでに書くと、テレビでいちばんおもしろいのはニュース、という誰かの言葉は当たっていると思う。

8月16日

2020-08-25 09:38:21 | 日記
朝から朗報があって、家人が(CTの結果次第で)明日の午後に退院できることになった。家人は1日も早くどころか、1時間でも早く家に帰りたい気分であるだろう。コロナの影響で家族の見舞いができなかったから、なおさらだ。

昨晩は、私が眠る少し前に、お嬢が隣のベッドに来た。「ママがいなくて寂しいんでしょ?」というわけか、かわいいものだ。娘の話では、猫は人間の感情がわかるそうだが、いつものメンバーの1人が10日ほどいないということぐらいは理解しているのかもしれない。

NHK杯将棋は佐藤康光九段と杉本昌隆八段の対局で、解説の先崎学九段の話がおもしろい。先崎さんには『うつ病九段』という著書があるようにユーモアのある人物だ。局面はラストの10手ほどが、詰め将棋みたいな形になったが、藤井聡太棋聖の師匠である杉本さんが寄り切った。
渡哲也さんが亡くなった。私より6つ若いが同世代だ。昭和の良い男だった。裕次郎さんがいて、渡さんがいた、あの時代を言い表す言葉は何だろうか。<戦争を少しだけ知っていた。高度成長期の日本を知っていた。みんなよく酒を呑んだ。酒の旨い夜が多かった>なんていうのでは足りない。

「明日の退院時にお寿司を買って帰りたい」と家人が電話で話したそうだ。家人がすぐにワインを飲めるとは思わぬが、私の明晩の水割りの味は旨いだろう。

家人の入院(5)

2020-08-25 09:32:38 | 日記
8月6日に私の定期健診があった。次女が病院の往復を運転してくれた。もしその日、次女に仕事があったなら、家人が(いつものように)自分の車を運転しただろう。するとどうなったか。マンションの地下にある駐車場で何台かの車にぶつかったに違いない。翌7日の朝、長女が家人と徒歩で(といっても娘が抱きかかえるようにして)近くのA脳神経外科へ行き、頭部に出血があるのがみつかり、横浜のS病院を紹介されて入院した。このとき長女は会社を休んでずっと付き添ったが、午前中に大事な仕事があって1日待っていたらどうなっていたか。たとえ、外へ買い物に出なかったとしても、家の中か、マンションの廊下か階段で転倒し、脚か腰の骨折、負傷があっただろう。なぜかと言うと、家人の頭の出血が脳神経に影響し、右半身が不随に近かったからである。そして家人には何の痛みもないから、その自覚が無い。普段どおりの自分だと思っているから危険この上ない状態だったのだ。家人を救ったのは、2人の娘だ。2人のレバ・タラである。次女が運転に来ていなかったら、長女が仕事で休めなかったら・・・。

以前にも書いたように、人生はレバ・タラだ。レバ・タラの運である。
家人は17日に退院した。睡眠と便通の不調がシンドかったと言う。前記のような幸運については、病院のベッドの中では考えてみなかったかのかもしれない。昨晩は充分に眠って気持ちがよいそうだ。私も今夕の晩酌のときに、幸運のレバ・タラについて話そうかどうか迷っている。

家人の入院(4)

2020-08-25 09:15:29 | 日記
以前に詳述したことがあったと思うが、私は妊婦の顔と全体の雰囲気を見て、胎児の性別をあてることができる。たしか10勝無敗の成績だったと思う。もちろん我が子の場合も、家人のおなかが大きくなる頃には女子誕生を確信した。私が家人からプレゼントされた最高のものは2人の女の子である。

大人になった自分の息子と酒を酌み交わすのが夢、ということが昔から言われているが、私はそんな望みは全く無い。男の子よりは女の子の方がきれいである。清潔で、愛らしさがある。よく笑うし、よくしゃべる。

家人が入院して10日が経つ。同居する長女に衣食浴の面倒をみてもらっている。長女の仕事の日は次女が援軍に来てくれる。これがもし、娘でなく息子だったらどうか。たぶん、自分の嫁に私の世話をさせるだろう。息子の嫁がうんと明朗で屈託のない性格であればナンボかは助かるだろうが、そんな女性はなかなかいない。私がこの齢になるまでに出会った女性の中で、この人になら遠慮なく身の回りを見てもらえると思えるのは1人いるかいないかである。それに息子の嫁となれば赤の他人以上に、ある距離を感じてしまうはずだ。たとえば私は湯上りに臀部の擦り傷に薬を塗ってもらう必要がある。さらに言えば便秘になって座薬をいれて解決しなければならないこともある。これはもし息子の嫁が元看護士でもない限り、自分でやるしかないと思うだろう。何度繰り返しても足りないが、私が家人にもらった最高のプレゼントは2人の女の子である。