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客の多い家

2020-08-09 21:14:16 | 日記
学生時代、Y君の家がよく麻雀の場となった。学校帰りに日吉の雀荘で打つ。夕暮れになってY君が「今夜、俺ん家(ち)でやらねえか」と言い出し、もちろん誰もが賛成するという形だった。彼の家は杉並区の西田町というところにあって、大きな屋敷だった。お母さんがいつも歓迎してくれた。夕食にすきやきをご馳走になり、麻雀明けの朝にはサンドイッチにコーヒーが用意してあるといった厚遇ぶりだった。よく笑うお母さんだった。

これと同じことがサラリーマン時代にもあった。上司であるO氏の家だった。夏休みの初日、年の暮れには必ずO家が徹マンの舞台となった。O夫人も明るい人だた。夫の部下達を楽しませようという気遣いが、温かく伝わって来た。

来客の多い家は好い家である。そして、そこには必ず明朗で親切な主婦がいるものだ。家庭は主婦で保っているのである。主人という名の父ちゃんなんかどうでもいいのである。

O氏が亡くなったのは15年ほど前だ。その前から続いていた会社の昔の仲間の会にO夫人を招待し、夫人はO氏の遺影を抱いて参加してくださった。種々の雑談の中で夫人が「主人は家では無口でした。ほとんど何もしゃべりませんでした」と話したときは驚いた。会社でのO氏は多弁だった。酒場でも、呑めない酒をよく呑み、よく喋った。それが家では無口だと言う。私が思ったのが大正の男だった。大正生まれは明治を背負って生きているところがある。男子たるものペラペラと喋るな、である。O夫人は、退屈な夫に堪えたのか。だから、大勢の部下達が来るのを喜んだのか。その辺のことまではわからないが、とにかく、O夫人は満点の主婦だった。客の多い家は好い家、を100%証明していた。

美味しい氷

2020-08-09 21:07:50 | 日記
週に一度か二度、昼食にチャーハンを作ってもらう。作るといっても、極めて簡単。冷凍されたものをレンジで温めるだけのことだ。米飯から具に至るまですべて圧縮乾燥されていて、サラサラになっていて、それが熱によってふくらんで柔らかくなるのだが、これが旨い。我が家にあるのは、海老モノと焼豚味の2種類だが、どちらも旨い。ここまで研究されたと思えるほどだ。炒飯の素という調味料的なものは昔からあるが、あれは米飯と具を用意しなければならないが、このレンジで出来る炒飯はそういった手数は全く不要なのだ。

食品の研究開発がここまで進歩したのなら、ぜひと思うのが、氷だ。氷を作る水と言う方が正しいか。私は毎晩ウィスキーの水割りを呑む。当然のことに冷蔵庫の氷を使う。世の中の多くの人も家で呑むときは、酒の種類は胃がっても同じことをすると思う。この家庭用冷蔵庫の氷の味は、酒場の氷の味とは違う。酒場のものの方がはるかに美味だ。酒場の氷と同様なものはスーパーにもある。しかし、それを買って来ると、モッタイナイ事態になる。少し細かい話になるが、たとえば麦茶やジュース類、ココアやカルピスなどの甘い飲料などを冷やして飲むのは家庭用冷蔵庫の氷で充分だ。味も変わらない。つまり、おいしい氷が欲しいのは酒だけなのだ。ジョニ黒1杯の水割りを自宅の氷で呑めば1,000円。酒場の氷ならば1,500円の味になるのである。

食品会社がもしおいしい氷を作るものを開発したら、爆発的に売れて大儲けできることは確実だろう。と、呑ん平は時々考える。

苗字あれこれ

2020-08-09 20:57:14 | 日記
芦屋の小学校年生の時に南里という姓のかわいい顔の同級生がいた(このことは以前に少し書いた)。かわいいというより、美少女という方が正しいと思う。その子には南里(なんり)という名であることがピッタリしている気がしあ。それが、よくある鈴木とか田中では似合わないような気がした。南里姓は多くない。戦後になってホットペッパーズというバンドを率いた南里文雄さんぐらいしか思いつかない。

同じく芦屋の小学校に極楽寺という男の子がいた。私が前に住んでいた鎌倉市笛田の家から徒歩15分のところに同名の寺があって、学問に縁のあるところなのか、正月に行ってみるとたくさんの絵馬が奉納されていて、そのほとんどに、合格祈願の文字があた。この〇〇寺という姓は小野寺さんのようにテラと読むよりジと読む方が重みが出る。たとえば西園寺公望がそうだ。家人の友人に中願寺さんという男子がいたが、名刺の文字だけで恰好がつく。風格がある。

歴代総理の中で目立つのは、前記の西園寺の次に、鳩山さんだろう。これもめったにない苗字だ。たしか北海道には鳩山神社なる社があるようで、由緒ある家柄なのだろう。家人の旧姓は羽根田であって、これも少ない。終戦間もない頃に、獅子文六さんが書いた『自由学校』というユーモア小説があったが、その中に羽根田の叔父なる人物が出て来るが、他には見当たらない。と思っていたら、前回のオリンピックで羽根田卓也君がカヌー競技でメダルを獲得した。家人の親戚ではないようだけれど。

8月2日

2020-08-02 18:55:28 | 日記
NHK杯将棋に藤井聡太棋聖が登場。相手はベテラン塚田泰明九段で、コマの並びを見ると藤井さんが王で塚田さんが玉。段位よりはタイトルホルダーの方が格上の扱いだとわかる。局面は前半まで塚田リードに見えたし解説の谷川浩司さんも同様の見解だったが、いつの間にか形勢が逆転し、最後は藤井ペースの寄り切り勝ち。

今日の見ものは大相撲だ。御嶽海が照ノ富士に勝てば巴戦になる。昨日の照ノ富士は出番の前から、はやる気持ちを抑えきれない様子がありありで、これでは正代に勝てないと思った。今日は落ち着いてとれるかどうか。私の予想は巴戦の実現だが、どうか。

昼食はいなり寿司2個。自慢になるが、家人が作るいなり寿司は旨い。それから、ヨーグルトと水ようかん。女の子が喜びそうなメニューだが、老人にも合う。ヨーグルトを食べるようになって1年になるか。朝のココア豆乳、午前中の野菜ジュースとあわせて、ナンボかは健康に役立っているだろう。

夕方の5時半からNHKのBS放送で、『けものみち』のドラマの最終回がある。もちろん録画で観るわけだが、原作が松本清張、演出が和田勉。主演の名取裕子さんが19歳のときに作られたものだ。清張作品には女性主役のものが少なからず存在するが、名取さんが成長路線を歩いていたら…と思えるような19歳の出来栄えだ。今朝の血圧は133-82。

戦争と運

2020-08-02 11:20:55 | 日記
私の兄代わりだった3人の叔父(父の弟)は太平洋戦争にすべて召集された。1番上のS雄は海軍で、初めは巡洋艦の<摩耶>に乗っていたが、そのあと空母<蒼竜>に移り、昭和17年6月のミッドウェー海戦で米軍機の猛攻を受けて敗れる。蒼竜は現在でも南海の底に眠っている。2番目のN雄も海軍で、終戦時は台湾に居て、昭和22年に復員した。3番目のT雄は陸軍。伊豆大島で8月15日を迎え、早々に復員した。3人の叔父達には兵隊としての特別な技術は無い。なにか差異があるとすれば、Sdakega抜群の体力があったことぐらいだろう。つまり、この3人の生死を分けたものは、そのとき、どこに居たかの運である。戦死したS雄だって、ずっと巡洋艦に乗っていれば、あるいはN雄のように陸地に居れば・・・である。

兵庫県芦屋市にあった我が家は、昭和20年8月7日の大空襲で、集落の中では奇跡的に火災を免れた。右隣は全焼、その奥もその先も全焼や半焼という状態になったが、我が家は熱風で離れ座敷のガラスが割れた程度だった。なぜだったのかはわからない。もちろん風の向きということが考えられるが、これもまた運と言えると思う。

本日の東京のコロナ感染背は●●●名というニュースに、日本が二憂三憂する毎日だ。コロナに感染するのかどうかは、ここまで来るともう運でしかない。私のような、家から出ることの少ない人間でも、家人は毎日買い物に出るし、娘はコロナの本場である東京・新宿に通勤している。コロナ戦争という言葉がある。見えざる敵との戦いだ。人生はすべてが運だと言ってしまうこともできるのだろうが、特に戦争には運がつきまとう。前述の太平洋戦争のことを思い出しても、そのことを強く思う。