少年の頃に住んでいた茨城の家は木造平屋建であって、冬になると雨戸を閉め、ガラス戸を閉めても、どこからか隙間風が入って来るような感じがあった。暖房は置き炬燵(電気ではなく木炭を用いる)と火鉢(タドンを使用)、それに夜の布団に湯タンポを入れていた。何を着て寝ていたかはハッキリした記憶がないが、厚木だった。小・中学校の教室には暖房設備はなかった。朝の1時間目の授業は手の指がかじかんで動かないこともあった。そう言えば、かじかむ という言葉を最近は聞かなくなった。いや、最近ではなく、もう何十年も前から聞いていない。
朝、目が覚めると暖房のリモコンスイッチを押す。「25度で運転を開始します」と器械が答える。5分経つか10分過ぎたかと言った辺りで、家人が「1度下げて」と言う。家人は暖房が好きではない。私もその気持ちが理解できる。私の場合は浴室であって、入浴前に部屋を暖められると息が苦しくなるような気がしてしまう。だから家人の指示に従って、「温度を24度に設定しました」にする。わずか1度の差である。しかし、私にとってはその1度が大きい。上半身は暖かいけれど、下半身、足の先辺りが涼しくなった気がするのだ。1度の差は入浴の時によくわかる。私はいつも41度の風呂に入るが、たまに間違えて40度のボタンを押したりすると、途端にぬるくなる。逆に42度にしたりすると、猛烈に熱い。
老人にとって、いちばんありがたいのが床暖房である。穏やかなぬくもりである。上品な感じがする。これは居間と食堂にしかないが、湯上りに床暖房が効いた食堂で晩酌を楽しめるのは贅沢と言える。顔が熱くなる。身体も夏になる。氷を多めに入れた水割りが旨くなる。
朝、目が覚めると暖房のリモコンスイッチを押す。「25度で運転を開始します」と器械が答える。5分経つか10分過ぎたかと言った辺りで、家人が「1度下げて」と言う。家人は暖房が好きではない。私もその気持ちが理解できる。私の場合は浴室であって、入浴前に部屋を暖められると息が苦しくなるような気がしてしまう。だから家人の指示に従って、「温度を24度に設定しました」にする。わずか1度の差である。しかし、私にとってはその1度が大きい。上半身は暖かいけれど、下半身、足の先辺りが涼しくなった気がするのだ。1度の差は入浴の時によくわかる。私はいつも41度の風呂に入るが、たまに間違えて40度のボタンを押したりすると、途端にぬるくなる。逆に42度にしたりすると、猛烈に熱い。
老人にとって、いちばんありがたいのが床暖房である。穏やかなぬくもりである。上品な感じがする。これは居間と食堂にしかないが、湯上りに床暖房が効いた食堂で晩酌を楽しめるのは贅沢と言える。顔が熱くなる。身体も夏になる。氷を多めに入れた水割りが旨くなる。