昔の映画やドラマを観る。懐かしい顔が出て来る。すでに旅立った名優がいる。私が観るのは犯罪モノが多いので、主役が刑事であったり、犯人であったりする。今と違って携帯電話がない。その代わりと言うか、煙草が多い。かつて、「煙草は動くアクセサリー」という専売公社のテレビコマーシャルがあったが、アクセサリーどころではない。小道具になっている。会議室の場面なんかは紫煙の波に包まれている。演技の面でも煙草が必要であることが少なくない。また、煙草の似合う俳優もいた。その代表がハンフリー・ボガードだった。あれはカッコよかった。
煙草は旨い。一仕事終えてそれがうまくいって、さてというときの一服は旨い。ホテルのバーや、屋台のおでん屋の雰囲気にも合う。別に旨くも感じないのに習慣で吸ってしまうのが将棋と麻雀だった。ヘボ将棋でも千点百円の麻雀でも頭を使う。策を練るほどの頭は無いのだが、それでもカン(瞬間的思考)を働かそうとする。ついでに、やたらと煙が欲しくなる。
たいていの友人が煙草をやめた。以前にも書いたが、煙草をやめられるのは、意志の強い人ではない。反対に、やめられない人は意志が弱いわけではない。友人のM君はいまでも煙草を友としている。意志云々ではなく、M君は本当の愛煙家なのである。肩身の狭い思いをしながらでも吸わずにはいられないのである。M君にとって紫煙の味は幸福なのだ。私における酒と同じである。私にとっての酒は幸福である。もし世の中に嫌酒運動なんていうのが広まったとしたらと考えると、愛煙家の諸姉諸兄には「大変そうですが、頑張っていますね」と声をかけたい。
煙草は旨い。一仕事終えてそれがうまくいって、さてというときの一服は旨い。ホテルのバーや、屋台のおでん屋の雰囲気にも合う。別に旨くも感じないのに習慣で吸ってしまうのが将棋と麻雀だった。ヘボ将棋でも千点百円の麻雀でも頭を使う。策を練るほどの頭は無いのだが、それでもカン(瞬間的思考)を働かそうとする。ついでに、やたらと煙が欲しくなる。
たいていの友人が煙草をやめた。以前にも書いたが、煙草をやめられるのは、意志の強い人ではない。反対に、やめられない人は意志が弱いわけではない。友人のM君はいまでも煙草を友としている。意志云々ではなく、M君は本当の愛煙家なのである。肩身の狭い思いをしながらでも吸わずにはいられないのである。M君にとって紫煙の味は幸福なのだ。私における酒と同じである。私にとっての酒は幸福である。もし世の中に嫌酒運動なんていうのが広まったとしたらと考えると、愛煙家の諸姉諸兄には「大変そうですが、頑張っていますね」と声をかけたい。
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