黄昏のスキヤキ橋の豚娘、恥しらたきとネギる青春。誰の作だったかは忘れたが、この歌の意味をすぐに理解できる人はもう少ないだろう。夕方になると、東京・数寄屋橋広場に、ちょっと濃いめの化粧をした日本人の娘が現れる。目的は進駐軍のアメリカ兵に春を売ることである。日本の男たちはみんな貧乏だった。米を買う金もない家庭もあった。米兵は金を持っていた。そこへやって来る日本女性との間に商談は簡単に成立した。女性達は、いわゆるプロの売春婦ではない、ごく普通の家庭の女性が多かった。でも、その商売に馴れて来れば、素人→プロと言えなくはない。彼女達はパンパンガールと呼ばれていた。それがこの歌の意味である。
パンパン刈りという言葉があった。パンパンガールの一斉検挙のことであって、警察が抜き打ち的に行っていたようだ。松本清張さんの作品に『ゼロの焦点』というのがある。元パンパンだった女性の悲劇が物語の焦点になっている。繰り返すが、パンパンガールの悲劇の元は、貧困にある。家庭の貧困にある。日本国の貧困にある。日本国の敗戦にある。ムダな戦争にある。
『星の流れに』という歌があった。今ではもうカラオケ店にも用意されていないかもしれない。これはパンパンガールの悲哀をつづったものである。第3章は「飢えて今頃妹はどこに ひとめ会いたい お母さん ルージュ悲しや唇噛めば 闇の灯影の侘しさよ こんな女に誰がした」である。
パンパン刈りという言葉があった。パンパンガールの一斉検挙のことであって、警察が抜き打ち的に行っていたようだ。松本清張さんの作品に『ゼロの焦点』というのがある。元パンパンだった女性の悲劇が物語の焦点になっている。繰り返すが、パンパンガールの悲劇の元は、貧困にある。家庭の貧困にある。日本国の貧困にある。日本国の敗戦にある。ムダな戦争にある。
『星の流れに』という歌があった。今ではもうカラオケ店にも用意されていないかもしれない。これはパンパンガールの悲哀をつづったものである。第3章は「飢えて今頃妹はどこに ひとめ会いたい お母さん ルージュ悲しや唇噛めば 闇の灯影の侘しさよ こんな女に誰がした」である。
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