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清宮君、プロ野球へ

2017-09-23 19:49:07 | 日記
きのう(22日)の朝のテレビニュースで、早実の清宮幸太郎君が進路を表明すると聞いて、私は、大学進学ではなくプロ入りするのだと思った。思い出したのが、8年前の夏の高校野球の決勝戦だった。早稲田実業対駒大苫小牧の一戦である。早実の投手は斎藤祐樹ハンカチ王子であり、苫小牧は田中将大君である。この決勝戦は2試合行われた。再戦の前の私は、苫小牧の勝ちを予想した。スタミナ勝負になれば、斎藤君より田中君の方が上だと思った。田中君が自らホームランを打つのではないかと思った。だが、結果は違った。ハンカチ王子が粘投した苫小牧の最後の打者が田中君だった。斎藤君の直球をフルスイングして三振した。実に気持ちの好い空振りだった。そのときすぐに、彼は駒大へ進むことなくプロ入りすると感じた。印象として、線が太いのである、。一方の斎藤君は線の細い感じがした。早大で4年間精進してどれだけの投手になるだろうかと思った。以後のことは、みなさんご存知の通りである。

清宮君は田中君同様に、線の太さがある。プロ向きである。どこの球団に入るかは運である。阪神ファンであるそうだが、王貞治先輩がいるソフトバンクにも行きたいだろう。多くの球団が1位指名することになるだろうが、清宮君は運も強いような気がする。彼は早実では一塁手だった。プロでも同じポジションを与えられるだろうか。それとも、外野手に転向するだろうか。王さんが早実から巨人に入った1年目の成績は、出場試合44、打率は1割3分3厘だった。幸太郎君はどうなるか。とにかく、線が太いのは確かである。プロ向きであることは間違いがない。どこか田中将大君に似た雰囲気がある。

妻を娶らば

2017-09-23 10:43:59 | 日記
<妻を娶らば才長けて 眉目麗しく情ある・・・>、ご存知、『人を恋うる歌』のだ第一行である。才と言ってもいろいろある。IQが高いことも子孫のためには大事だろう。しかし、妻を娶るとは、結婚である。結婚生活の才能が要る。家計の知恵が要る。

子供の頃、近所の家へ遊びに行く。学生時代に友人の家へ行く。社会人になって、目上の人の家に招かれる。そういう場合、いちばん嬉しいのは何か。その家の主婦の明るさである。元気さである。主婦(ホステス)が家の空気を作る。<妻を娶らばまず明るさ>ではないか。私はそう思う。客の来ない家というのは、その空気が無いことが多い。

いま我が家で私と家人の健康状態、老化の程度が反対だったらどうなるか。まず家政婦さんを頼まなければならない。食事は宅配プラス、ちょっとした買い物でなんとかなるだろうが、掃除、風呂、洗濯と考えて行くと、私と娘では不可能である。そして、家の雰囲気である。私が腰が痛い、アレコレが痛いと口にしても家の中が暗くなることはない。陰気にはならない。だが、家人が体の不調を訴えれば、家中が静かになってしまう。沈んでしまう。<妻を娶らば健やかで>あらねばならぬ。夫より若く、長生きでないと困ってしまう。

家の大事のひとつに、食べるということがある。どうせ食べるなら、旨いものがほしい。主婦には台所の才が要る。料理のセンスと技があることを、金銭で表すと極めて大きな数字になるはずである。あちこちの有名店を食べ歩いているであろう娘が、「餃子は、ママのがいちばんおいしい」というのを聞いているだけで、家の食事の得を思う。<妻を娶らば料理の才>である。

眉目麗しく、はどうだろうか。あまり美人だと疲れてしまう。ちょっとかわいらしいぐらいが好いのではないか。情ある というのも、深情けでは困るし、普通の精神状態でいいのではないか。家庭というのは、心身の健康とソコソコの金銭と笑いの3つが柱であると思っている。その3つを守り、維持するのが主婦のチカラである。<妻を娶らば>は、そのことに尽きる。

朝の歌

2017-09-20 09:02:12 | 日記
齢をとると発声が悪くなる。口の中でモソモソと喋るようになる。声がかすれ、何を言っているのかわからないようになる。それを防ぐには口をよく動かすことだと言う。話し相手を探すのは面倒である。手っ取り早いのが歌である。歌を唄うことである。

朝の7時から脚の手入れをする。脚部の5カ所にベルト式の電動機を当てる。1か所が10分ずつだから終わると8時になり、朝食の時間にちょうどいい。その50分間に歌を唄う。大声ではない。私はもう大声は出ないのではないか。そんな気がする。家人がコーラスグループに参加していて、グループで大きな声で唄うと気持ちがいいと喜んでいるが、それはそうだろうと思う。私の朝の歌は、半分が小声であり、半分が中声である。50分間で15曲ほど唄える。

選曲はバラバラであって、それが楽しい。<朝だ夜明けだ 潮の息吹…>が口を突いて出る。軍歌の『月月火水木金金』である。歌詞をすべて思い出せるかどうかが頭の体操になる。次は『みかんの花咲く丘』がいい。これなら最終章まで正確に唄える。この歌は川田孝子さんが唄ったものだ。幼いころ、我が家にそのレコードがあった。第2章に<黒い煙を吐きながら お船はどこへ行くのでしょう>というくだりがあって、川田さんは、その<行く>の部分を<いーく>と発声する。そこに一所懸命さが出ている。レコードの川田さんは10歳ぐらいだろうか。とにかく全力で唄っている。そんなことを思い出しながら、私も唄う。もちろん軍歌と学校唱歌ばかりではない。裕次郎もあるし、ひばりもある。校歌もある。今朝の最終曲は、『ゴンドラの唄』だった。<いのち短し 恋せよ乙女・・・>、これも想い出につながる。黒澤明映画の1シーンにつながる。唄うのは志村喬さんである。公園のブランコに揺られながら唄う。

老人

2017-09-18 17:54:31 | 日記
15歳のとき住んでいた6軒集落には27人の老若男女が棲んでいた。最長老が私の祖父で73歳だった。その次が隣家の主人で60ぐらいだった。最大家族は8人だった。それは普通のことだった。とにかく老人は少なかったのである。そのことは10年後でもあまり変わらなかった気がする。私の25歳は昭和35年であるが、その3年後に入居した公団住宅でも老人を見かけることは少なかった。そこの住人は約1,500人である。

今日は敬老の日だが、この祝日の意味が薄れつつあるという。老人が、老人と言われることを嫌うようになってきたからだそうで、敬とか祝の字がつくのは90を超えるか100に至るかのことであるらしい。それでいいと思う。私は81歳だが、今日の夕食に孫たちがやって来て、おめでとう!と言いながら肩をもんでもらいたいとは思わない。敬老ケーキを欲しいとも思わない。老いを認めるのがイヤなのではない。私は確実に老人である。腰痛も加わって、つまり老いぼれである。それでも敬老はシンドい言葉だ。軽老ならいいけれど。

祝日であるが、重田名人の指圧治療は休まずに行われた。名人の所属する組織の名はKEIROWである。当然に敬老からとったものであるだろう。指圧を受けると役3時間、腰痛が消える。何か不思議な感じになる。しかし、すぐにスイスイと歩き出せるわけではない。痛みがなくても、腰を曲げたヨチヨチ歩きしかできない。背筋を伸ばすには支えが要る。その支柱がステッキ1本では不安である。やはり私は、まだまだ老病人である。

9月17日

2017-09-17 20:23:54 | 日記
朝6時に寝室に芳香が漂って来る。娘が昨夜のうちにセットしたレーズンパンが焼きあがりつつあるのだろう。このパンはなかなかに旨い。レーズンが刻んで入れてあるので丸ごと使う方が好いのではないかと言ったら、それではうまく出来ないのだそうだ。デリケートなものだ。

九州地方に台風上陸。3時半の中山競馬はどうなるかわからないが、とにかく馬券は買った。家族麻雀で辛勝。昼食はランチパック(ピーナッツバター入り)とチョコレート2粒、ビスケット2枚、ヨーグルト。こういう幼稚園型ランチだと、夕方の晩酌が美味しくなる。齢をとると、酒は空腹で呑むというのが大きな条件になる。

競馬は予定通り行われた。馬場はもちろん重で、不良と発表してもおかしくな状態だ。ラジオ日本賞で、狙ったのが追い込み型のカゼノコ。名前もいい。スポニチの小田哲也記者も推している。雨中のレースでカゼノコは、うまk2着に伸びてくれて配当は40.1倍。

リハビリが少し進んで、来月からは40分だけ教わることになった。現在は60分だが、その差の20分は自分でストレッチ&筋トレをやることになる。それを少しでも緩めるとバレるのがわかっているので、マジメにやるしかない。とにかく目標は、鎌倉プリンスホテルである。そこのバーでオールドパーの水割りを呑むことである。まさか、歩行器では行けない。ステッキ1本で行く。家人と娘に付き添ってもらう予定でいる。

昨日、プロ野球、パ・リーグでソフトバンクが優勝した。監督は工藤公康さんである。45,6歳だった夏に、家人と2人で伊豆へ旅行した。2人の娘は家人の妹夫婦と別のところへ行っていた。1泊して、次の日の朝、新聞を見ると、スポーツ欄に愛工大名電高校の工藤公康投手がノーヒット・ノーランを達成したという記事があった。それから36年が経った。今朝の血圧は116-74。