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金の色

2017-09-06 23:36:06 | 日記
JRA(日本中央競馬会)にカネノイロという名の競走馬がいる。馬主さんがどう考えて命名したのかはわからない。もしかすると、金色夜叉の物語のファンなのかもしれない。わかるのは、もし私の祖母が聞いたら、「イヤな名前ねぇ」と言うだろうということである。これだけは間違いがない。ついでに、「お馬さんがかわいそうよ」と言うだろう。

金には色がない、と言う。その通りだと思う。汗水たらして一生懸命働いて得た金でも、競馬で当てた金でも同じである。10万円は10万円である。しかし、金に色がつく場合がある。その1つが、家計簿である。あるいは、家計簿的考え方と言う方が正確かもしれない。家計簿には小遣いという欄がある。小遣いとは、つまり、何に使ってもよい金である。夫でも妻でも子供でも同じである。小遣いには、自由の色がつく。もし本当に絵具で彩色するとしたら、何色だろうか。自由の色って、ブルーだろうか、イエローだろうか。

終期高齢者の私にも小遣いがある。その資本(元手)については以前に書いた。私は自由な金を何に使うか。まず土曜日・日曜日の競馬がある。馬券を買う。といっても現金ではなく電話投票だから、当たったり外れたりでケイバ用の預金帳が増えたり減ったりするだけだ。スコッチウィスキーとサントリーオールドは現金で買う。これを家計の金と言うか、家計簿の中の飲食費で買ってもらうのはちょっとチガう気がしてしまう。ずるい気がしてしまう。孫たちへのプレゼントも現金で済ませる。本当は恰好のよい腕時計とか万年筆なんかがいいのかもしれないが、選びに行くことができない。選ぶ自信もない。自分の着衣を買うことがないのも同じ理由である。欠礼も重ねている。先輩方の葬儀にも欠席続きだ。香典を送らずにいて、そのまま忘れてしまったりしている。そのへんは我ながらだらしがない。

風格、貫録

2017-09-06 23:29:30 | 日記
20年ほど前に、家人からステッキをもらった。旅行みやげであって、そのとき家人は少々の山道を歩くような行程があって、その辺の売場で買って、自分では使わずに持ち帰ったようだった。私に渡すとき、「10年ぐらい使えば、いい色になるらしいわよ」と言った。ステッキはほとんど白木であって、持ち手の部分が丸めてある古い形だった。家のまわりを散歩するときなどに用いているうちに、どこへ行くときでも持ち歩くようになった。そして10年経つ前に好い色になった。飴色である。ついでに艶も出た。風格が備わったと言ってもいい。さらに、私の脊柱管狭窄症が始まった。4年前に今の家に引っ越した日は左半身を娘に支えられ、右手に飴色のステッキを持っていたのを、はっきりと憶えている。

赤胴の背の高いカップがある。4年前に娘からもらったもので、ビール用だと思うのだが、水を入れて食卓に置いている。晩酌のウィスキーを割るための水である。水割りの1杯目は白銅の小カップで呑む。これも娘からのプレゼントである。ウィスキーの前に小型の湯呑茶碗で日本酒をひとくちだけ呑む。この湯呑は姪(妹の娘)が焼いたものであって、器の底に姪の名前の1文字である真という字が描かれている。以上のように、私の晩酌は娘と姪からもらったものばかりで成り立っている。赤銅の水入れは少々茶色が入って来た。白銅の小杯は鈍い銀色で落ち着いているが、まだ貫録とまではいかない。姪のぐい飲みはまだまだ若く、これはこれで、あまり古色にならない方がいいのかもしれない。