JRA(日本中央競馬会)にカネノイロという名の競走馬がいる。馬主さんがどう考えて命名したのかはわからない。もしかすると、金色夜叉の物語のファンなのかもしれない。わかるのは、もし私の祖母が聞いたら、「イヤな名前ねぇ」と言うだろうということである。これだけは間違いがない。ついでに、「お馬さんがかわいそうよ」と言うだろう。
金には色がない、と言う。その通りだと思う。汗水たらして一生懸命働いて得た金でも、競馬で当てた金でも同じである。10万円は10万円である。しかし、金に色がつく場合がある。その1つが、家計簿である。あるいは、家計簿的考え方と言う方が正確かもしれない。家計簿には小遣いという欄がある。小遣いとは、つまり、何に使ってもよい金である。夫でも妻でも子供でも同じである。小遣いには、自由の色がつく。もし本当に絵具で彩色するとしたら、何色だろうか。自由の色って、ブルーだろうか、イエローだろうか。
終期高齢者の私にも小遣いがある。その資本(元手)については以前に書いた。私は自由な金を何に使うか。まず土曜日・日曜日の競馬がある。馬券を買う。といっても現金ではなく電話投票だから、当たったり外れたりでケイバ用の預金帳が増えたり減ったりするだけだ。スコッチウィスキーとサントリーオールドは現金で買う。これを家計の金と言うか、家計簿の中の飲食費で買ってもらうのはちょっとチガう気がしてしまう。ずるい気がしてしまう。孫たちへのプレゼントも現金で済ませる。本当は恰好のよい腕時計とか万年筆なんかがいいのかもしれないが、選びに行くことができない。選ぶ自信もない。自分の着衣を買うことがないのも同じ理由である。欠礼も重ねている。先輩方の葬儀にも欠席続きだ。香典を送らずにいて、そのまま忘れてしまったりしている。そのへんは我ながらだらしがない。
金には色がない、と言う。その通りだと思う。汗水たらして一生懸命働いて得た金でも、競馬で当てた金でも同じである。10万円は10万円である。しかし、金に色がつく場合がある。その1つが、家計簿である。あるいは、家計簿的考え方と言う方が正確かもしれない。家計簿には小遣いという欄がある。小遣いとは、つまり、何に使ってもよい金である。夫でも妻でも子供でも同じである。小遣いには、自由の色がつく。もし本当に絵具で彩色するとしたら、何色だろうか。自由の色って、ブルーだろうか、イエローだろうか。
終期高齢者の私にも小遣いがある。その資本(元手)については以前に書いた。私は自由な金を何に使うか。まず土曜日・日曜日の競馬がある。馬券を買う。といっても現金ではなく電話投票だから、当たったり外れたりでケイバ用の預金帳が増えたり減ったりするだけだ。スコッチウィスキーとサントリーオールドは現金で買う。これを家計の金と言うか、家計簿の中の飲食費で買ってもらうのはちょっとチガう気がしてしまう。ずるい気がしてしまう。孫たちへのプレゼントも現金で済ませる。本当は恰好のよい腕時計とか万年筆なんかがいいのかもしれないが、選びに行くことができない。選ぶ自信もない。自分の着衣を買うことがないのも同じ理由である。欠礼も重ねている。先輩方の葬儀にも欠席続きだ。香典を送らずにいて、そのまま忘れてしまったりしている。そのへんは我ながらだらしがない。