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賭け

2013-07-22 22:23:01 | 日記
賭けは悪だと決めつけている人間は少なくない。少し前のことになるが、幼子を車の中に置いたままパチンコに夢中になり、結果として子供が死亡するという事件があって、そのとき、テレビで、コメンテーターの1人が「ギャンブルは人を狂わせる」と言ったのを憶えている。この理論は「保護者の責任放棄の因は、パチンコにある」とするものであって、銀行に強盗が入るのは、「そこに(人を狂わせる)金があるからだ」と言うのに似て、本末転倒だろう。 私が子供達に教えたのは、トランプ、かるた、花札、麻雀といった、勝ち負けを競うものであり、賭けと言い換えてもいい。必ずしも賭け金云々でないとしても、賞金のようなものでも、その方が覚えが早いのは確かであり、実際に、2人の子供は、高校時代に百人一首大会で優勝している。  紳士淑女の国と言われる英国には、ブックメーカーと呼ばれる賭け屋が存在し、まもなく生まれるウィリアム王子の第一子の性別が賭けの対象になっていて、つい先日、夫人がうっかり「娘(ドーターのドか?)」と言いかけて話題になっている。 賭けを好むか嫌うか、溺れるか、健全娯楽で留めるかは、すべて個人の体質(性格)であるのは言うまでもない。 また、人生は賭けではないが、ある場面では二者択一、三者択一のギャンブルになることがある。 私がわからないのは、とにかく、賭けを悪だとする聖人君子的な人達の頭の中だ。そういう人達は、たとえば学校選びのとき、配偶者選びのときなどに、全く賭けはなかったのだろうか。

7月21日

2013-07-22 22:16:45 | 日記
参院選の投票日。株式市場は、ねじれ解消を期待して、先週の前半は上げていたが、金曜日はいささか奇妙な下げになった。マスコミは自公勝利でねじれはなくなるとの予想が多いが、すべては明朝、目が覚めてからだ。   昨日、東京の叔母が、我が家の近くの介護付き老人ホームに移って来た。2時間余りのタクシーでの移動で、付き添った家人は膝が痛むそうだし、5日間泊まり込みで転居を仕切った長女の疲労も濃い。当然のことだが、老人の世話は大変だ。  昨夜は(30分ほどだけど)久々にプロ野球(オールスター)を観た。選手の顔も名前もほとんどわからないが、今売り出し中の大谷翔平君の好男子ぶりが印象に残った。  午後から次女が家人の顔を見に来た。この2人が揃うとファッションの話になることが多い。次女がしきりにセンスのことを口にするが、その通りであって、ファッション感覚の有無・優劣は、金に換算すると、大きなものだと思う。 今宵は、いつものチーズクラッカーに加えてポッキーを酒のツマミにしている。 これ、チョコバーであって、昔はウィスキー用に酒場によく置いてあった。昔と書いたがまさにそうであって、バーのカウンターでスコッチを傾けるということから遠ざかって20以上が経つ。昨日は、脳梗塞でダウンしてから、ちょうど19年目の記念日だった。  さぁ、まもなく甲子園の高校野球。桐光学園の松井投手は神奈川大会を勝ち抜けるか。

一芸

2013-07-22 22:10:06 | 日記
「上田さんって、司会が上手だよ」と娘に教わってクイズ番組を観てみたら、確かに上手かった。テンポがいいのである。 宮田輝さん、高橋圭三さんの時代と違って、今日の司会芸はユーモアとスピードが要求され、その面で成功したのが島田紳助さんだった。  「芸のない芸人を集めてバラエティ番組を作っているテレビ局」と週刊誌は書くが、一芸に秀でている達人は確かに少ない。 タレントとは、才能という意味であり、とにかくそれでお金をもらうわけだから、よくいる、ただ怒鳴っているだけでは、すぐに飽きられてしまうし、そういう(いつのまにか消えてしまう)例は少なくない。 私の好きな、優れた芸の持ち主の1人が、腹話術のいっこく堂さんだ。勉強に勉強を重ね、トレーニングを繰り返しといった努力がにじみ出ているのが素人にもわかるし、アイデアも豊富で頭の良さも感じる。  綾小路きみまろ さんも好い。彼もまた勉強(努力)の人だ。あの作文力は川柳的なセンスが基礎になっている気がするが、巧みな七五調だと思う。彼は、言葉がセクハラにならぬように奥さんにチェックしてもらっているそうだが、その辺もほほえましい。「すべての人間は、他人に勝る一芸を必ず持っている。ただ、それを見いだせないままに一生を終わる」とは誰の言葉だったか忘れたが、そう言えるかもしれぬ。眠っている才能が目覚めて、一芸の人がナンボかでも出てくれば、テレビのマンネリ化も改善されると思うけれど、あの業界のタレント(才能)探しって、どうなっているんだろう。

夏祭り

2013-07-22 22:02:42 | 日記
少年時代を過ごした茨城の町の最大行事は、夏祭りだった。町の中心地に八坂神社があって、そこを起点にする祭りで、「ぎおん(祇園)」と呼ばれていたから、京都にある同名の神社、同名の祭典の茨城版と言えた。若者や子供の神輿が町内の集落別にあって、その練り歩きが行事の中心だった。一般の町民は、夕方になると町のメインストリートに自然に集まって来た。 道路には商店や個人の縁台が各所にあって、たとえば私が友人と歩いていると、「ヤボ(私の呼び名)、氷でも喰って行けよ」などと、別の友人から声がかかった。 おもしろかったのが若い娘達で、当時は好い既製服がなかったから、自分で縫ったワンピースに新品の下駄姿で、それも必ず2,3人連れだったから、見ようによっては、男性から声をかけられるのを待っているような物欲しさもあった。祭りは7月下旬の3日間で、終わってみれば、どうということもないのだが、何はともあれ、田舎の大事な娯楽だった。  昨日、昼寝(といってもベッドに横になって、目を閉じて頭をカラッポにするだけ)をしていたら、ドーンドーンという工事らしい音がした。工事の音は、どこからかわからぬが時々聞こえるが、ちょっと大きなものなので、近所で杭打ちが始まったのかと思った。5分経ち、10分過ぎて、その音にリズム感があり、ついでに子供の叫び声も混じるので、窓の下を眺めてみた。音の源はすぐにわかった。我が家の北東側の道路1本隔てた場所に保育園があり、そこの子供達が園庭にずらりと並んで、先生の指導に従って、3,4人ずつ交代で太鼓を打っているのだった。「上手いもんだなぁ」と私が言うと、「建物の中で毎日練習してきたのよ」と家人が解説した。この幼年太鼓隊は、市の夏祭りで、どこかの舞台に上がるのだろうかと考えるだけでも愉しくなる。 私の大好きなものの1ツに、「一生懸命な子供の姿」がある。

小柄な女性

2013-07-22 21:53:26 | 日記
中学生の頃、時々教室でチリ紙を必要とすることがあった。今の中学生なら、男子でもポケットティッシュを所持してるのだろうが、昭和20年代には、そんなことは考えもしなかった。女生徒にチリ紙をもらうのは、当然に大きなテレを伴ったが、そんなとき、私はよくA子を頼った。彼女が明るい性格で元気だったこともあるが、私の気をラクにしてくれたのが、A子がクラス1のチビであることだった。 それだけで、A子が2ツほど年下に見え、声がかけやすかったのだ。 「おまえ、中学生の女の子と遊んでいるのかよ」と、朝の教室で冷やかされた。前日、隣家のB子と渋谷へ映画を観に行ったのを見られたのだ。私は高校2年であり、B子は1ツ下だったが、セーラー服から私服になると少女っぽくなり、おまけに小さな体躯だったから、中学生に見えなくもない。高校2年生の男の子が中学3年生の女の子と映画に行っても、別にどうということもないはずだが、どこか気恥ずかしさが先立つのも否めない。「何言ってるんだよ。あれ、俺の従妹だよ」と嘘で答えると、「おまえ、顔が赤くなってるぞ」と、また冷やかされた。 製造部から購買課に移り、何もわからぬ私に、人事はC子という優秀な女子社員をつけてくれた。私より7ツ年下だが、仕事は抜群にできた。そのC子が1年半で寿退社し、役目はD子にリレーされた。私より10年も若いが、彼女もまた仕事上のカンに優れていたから、おおいに助かった。毎日の作業で、D子はC子から引き継いだ時点ですべてを理解したことを知った。遅刻続きの私は、某日、「あなたの給料の半分は、隣に座っているお嬢さんからもらっていますね」と言われたことがあったが、その通りだった。 そして、C子とD子もまた小柄だった。