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御馳走

2013-07-09 21:43:15 | 日記
芦屋の家には時々泊まりがけの来客があって、そういうとき、祖父は祖母に「風呂を沸かしてやってくれ」と言い、「長旅の客人には、風呂がいちばんの御馳走だ」と付け加えるのが恒だった。私は「御馳走」という言葉が、食べ物以外にも使えるのだと知り、「そやったら、お風呂からあがったら、ゴチソウサマ言うん?」と訊いて、オトナ達に笑われたりした。 当時の東京・芦屋間は10時間以上要したのではないか。夜行列車に揺られ、我が家に着いて昼風呂に入るのは、たしかに、御馳走と言えたかもしれない。  10歳からの6年間を過ごした茨城の町は海から遠く、新鮮な魚といえば、フナなどの川ものだけだった。最上の御馳走はウナギであり、それを扱う店は町に1軒しかなく、ヤミ商売か何かで大儲けした人を除いては口にできなかった。一般の家の御馳走は、鶏肉がエースで、なぜかチキンフライはなくて、鶏のてんぷらがあった。そのてんぷらを更に甘辛く煮たのが、ゼイタク料理だった。3年前の病気→手術の痕の5日間は、氷の切片を舐めるだけで、喉の渇きは「いま、何が欲しいか?」を想像させたが、その答えはビールでもハイボールでもなく、冷たい日本酒だった。何年か前の戦友会で、ある女性会員が、私の席へ来て、皿の上の料理を指して「あれ、これオイシイのに。でも、お酒がいちばんの御馳走だからねぇ」と言ったことも思い出した。「酒なくて 何の己が桜かな」という歌があるが、その桜のところを、御馳走に替えると、私の歌になる。

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2013-07-09 21:35:32 | 日記
次女が携帯電話を操作して、私のブログでいちばん多く読まれたのが「巨顏病」で、次が「男のおしゃれ」だと教えてくれた。私はこれをボケ防止のために書いているのだが(よく作家などが言う)1人でも読者がいればありがたいというのは本当だと思っている。また、友人のAさんが読んでくれて、さらに彼がBさんに紹介してくれる(この例は少なくない)と、私とBさんは、生涯一度も会うころはないであろう友人の友人の関係になるわけで、これも嬉しく、愉しいことだ。 一方、私が最も多く書いたのは、「景気回復」の4文字だ。6年前の「安倍内閣」か福田→麻生→鳩山→菅→野田と、国のリーダーの椅子はリレーされたが、その間に、「景気回復」と何度書いただろうか。 菅首相のときに、東北災害が起きたけれど、その復興のための基本は景気だと書いた。そのときの、今年の1文字は「絆」だった。むろん、人と人とのつながり(助け合い)も重要であるが、もう1つの車輪は景気であって、両輪が揃わないとダメだと思った。 これを書き始めてから何年になるか。途中、病気もしたし、気がのらずに休んだ日もあるが、少なく見積もっても1,000日分はあるだろう。ブログは日記だと位置づけられるらしいが、私の、その日の出来事なんて、小学校の夏休みの絵日記にも劣るから、毎日、ネタを考えるわけで、それだけでも頭の体操になる。

7月7日

2013-07-09 21:27:21 | 日記
東京で一人暮らしをしている叔母の老化が進み、我が家に近い老人ホームに移すこととなり、長女が連日の大奮闘。暑いし、会社の仕事もあるし、とにかく大変な夏だ。私はただ「ごくろうさま」と言うだけだが。  午後から次女が散髪に来てくれた。七夕で道路が混むようだ。 自家用バリカンも(一度買い替えただけで)今月で20年になる。これも、次女に感謝しなければならないことだ。 競馬は七夕賞で、ユニバーサルバンクから馬連で穴を狙ったが、直線で前が詰まり失速。 先週末のアメリカの雇用統計が良と出ていて、ドル円も101円台にあるから、明朝の東京マーケットは期待できる。5月まではアベノミクスのおかげでナンボか稼げたが、6月はゼロ。それでも前の政権とは違って、雨のち雨ではないのが救いだ。  繰り返しになるが、叔母の転居が21日、選挙も同日、大相撲の千秋楽も重なる。 なにはともあれ、あと半月で落ち着くだろうが、何も手伝えない私としては「うまくいってくれ」と祈るしかない。  昨夜は寝室のドアを開放して、廊下で扇風機をまわしてしのいだ。家人がクーラー嫌いなので、他に方法がないし、今夜以降も同様になるだろう。暑がりの歴史は60年になる。家人が「痩せたように見えるのにねぇ」と呟く。