gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

キャッチコピー

2013-07-11 23:53:39 | 日記
キャッチコピーは惹句と訳すのが正しいのだろうか。 人の心を惹く短い語となるわけで、糸井重里さんの言葉を借りれば「100のものを1にする」文作である。 コピーには、野球で言うと直球型のものと変化球型のものがあるような気がする。たとえば、「そうだ、京都へ行こう」は真ん中のストレートであるが、変化球を待っていた打者のウラをかくような気味がある。 昨年の流行語大賞「ワイルドだぜ」は流行しないだろうと、このブログに書いたが、その通りになっている。 その理由はたぶん、面白みに欠けるからだろう。 今年の大賞は「アベノミクス」と「今でしょ!」の争いになるかと見ているが、後者が少々勝る気がする。 このフレーズの長所は応用範囲の広さにあると思っている。「アベノミクス」よりは寿命が長いだろう。  物事はすべてそうであるが、コピーにも人それぞれの好みがある。家人の妹(故人)は、大の煙草嫌悪症だったが、昔、専売公社(現在のJT)が作った「煙草は動くアクセサリー」というのを「上手いわねぇ」と褒めていた。私も以前から好きなのがあって、それは前田製菓の「あたり前田のクラッカー」であって、これは、直球と変化球を混ぜたピッチングの感がある。

7月

2013-07-11 15:46:04 | 日記
昭和20年の夏休みは前年までと違っていた。それまでの夏休みは7月25日から8月31日までだったが、7月初めから、もう休みが始まった。学校へ行っても授業にならないからだった。8時半に教室に着く。10時に警戒警報のサイレンが鳴る。午後あるいは夕方からの空爆の下見に米軍の偵察機が飛来したのだ。ただちに授業は打ち切られ、帰宅命令が出る。地方によって状況は違ったと思うが、これは兵庫県での話である。終戦の1カ月前、私は9歳(4年生)だった。  「戦後の日本映画界のスーパースター石原裕次郎さんが、今日午後、東京信濃町の慶應病院で死去しました。52歳でした~」昭和62年7月17日の午後5時のニュースだった。裕次郎さんのことは何度か書いたので省略するが、ニュースに接して思ったのは、ああやっぱり~(病気は重かったのだ)ということだった。 彼の死についてマスコミは、ひとつの時代が終わったとペンをそろえた。 昭和という時代が平成になったのは、その1年半後になる。 平成6年7月19日に、私は脳梗塞でダウンする。 発症時のこと、入院生活のことは重複するので省くが、その日から生活が一変した。変わらなかったのが酒だった。脳梗塞の前科者にも適量のアルコールは許されるのであるが、この適量について、家人は微量と訳しているようであり、私は、自分のそのときの状態に適した量と理解している。でも、適量って、デリケートな響きをもつ、素晴らしい日本語だと思う。適量に乾杯!