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2012-02-25 01:17:50 | 日記
目の前に立ちふさがる壁を、あるときすっと越えることがあって、そうすると、瞬時にして行先が見えてくる…と、中学時代、ある教師から教わった記憶があって、この言葉が正しいことは、その後の人生で何度も経験した。 それは、若いときだけでなく、53歳で宅建を受験したときも同じだった。 宅建はお金になるから、と次女に言われ、それならばと取り組んだが、予定されている50問中なんとかなりそうなのは民法だけで、あとはチンプンカンプンの世界だった。 宅建の学校へ通うのはシンドいから数冊の問題集を買って来ての独学だったが、あるときふと思いついて、問題を見るのではなく、長女に問題を読んでもらったら、これが有効だった。大袈裟でなく、この読みきき方式のおかげで、壁がとれた。   下の孫の学力が優良とは言えず、昨年から進学塾に通い始めた。これには二重の効果(塾で学ぶことで学校の授業も面白くなる)があるはずで、すなわち、壁を越えられると思った。 孫と将棋を指して、直観(ひらめき)型でないことがわかっているので、とにかく地道に歩んで、どこかで壁越えするしかないと見ていた。 そして今日、なんとか志望の県立高校に合格した。 たぶん(塾通いのおかげで)、ある日、あるとき、すっと司会が開けたのだと思う。 今度遊びに来たら、そのことを訊いてみようと思っている。

2月23日

2012-02-23 23:57:56 | 日記
52年前の2月23日の午後、私は渋谷のパチンコ店で玉を弾いていた。茨城の家人の家からの帰り道で、夕方からは三軒茶屋のバイト先で仕事があった。そのころのバイト生活は今と違って必ずしも悪いものではなかった。 しかし、結婚するためには、多少収入が減ってもきちんとした仕事に就く必要があった(このことは、翌年の春に実現する)。パチンコ店に流れる音楽がやんで、ラジオが皇太子誕生を伝えた。 家人の弟も2月23日生まれであって、今日で定年を迎えた。 出版社の役員を務めていたが、そういうポストにも定年制を採っている会社が増えたようだ。 義弟は食道の大病を経験しているが、毎晩、1本のワインは軽く空けるそうで、いいことだと思う。 彼には2人の孫がいて、2人とも、23日(12月と8月)生まれという偶然があり、我が家の29日生まれ(家人は3月、次女が2月、孫娘が3月)とダブる。   2月23日は、ゴロ合わせで富士山の日でもあるそうだ。富士山は鎌倉と共に、世界遺産への登録申請中だ。この前は、山が(ゴミなどで)汚れているという理由で、登録は成らなかったようだ。 私には何人かの山好きの友人がいるが、彼らから富士登山の話を聞いたことがないのはわかる気がする。   2月23日は、やがて天長節となる。徳仁親王を、美智子皇后は、ナルちゃん憲法と名付けたルールによってお育てになった。あの、ナルちゃん憲法のちょっとユーモアのある文言を思い出そうとしているが、ムリのようだ。

温泉

2012-02-23 23:48:58 | 日記
家人の仕事(妹夫婦が営んでいる個人医院の手伝い)が午前の3時間だけになり、時間の余裕ができ、昨日は江の島の温泉へ行ってきた。 2月は客も少ないので、入浴料も980円(普段は2,300円)だそうで、レストランで軽食とコーヒー。団地時代からの友人と2人で、いい骨休みだったようだ。 湯上りの海岸線のドライブも(わずかな距離だが)悪くないだろう。  子供達が生まれる前も、家族が4人になってからも、我が家の旅は例外(たとえば東京や横浜のホテルなど)を除いて、ほとんどが箱根・熱海・伊東・伊豆の温泉であり、とにかく家人は温泉好きなのだ。おもしろいのが家人と次女は開発型というか、「前回は強羅だったから、今度は湯本あたりに~」と旅行案内を眺めるが、長女は私と同じ保守型で、一度気にいったら常宿にするのを好む(といっても私には宿の選択決定権はないが)。   昔の、仕事上の旅行(社員旅行も含む)は、すべてが温泉行きだった。 これは、宿に、いわゆる大広間が用意されていたからであり、そこでの宴会が旅の中心(目的)だったからだ。 ただし、私は一度だけ、仕事仲間と熱川へ麻雀旅行に行って、2泊して、一度も温泉に浸ることなく帰って来たこともある。 宇宙飛行士のように、長い間、入浴機会のなかった人が、地球に戻って「何がしたいか?」という問いに、「温泉に~」と答えるのがよくわかる。 この場合の「温泉」は、広い湯船も必要であって、つまり、思いきり手足を伸ばすことである。温泉には、広い湯船が原則であり、自宅の狭い風呂に温泉の素みたいな粉末を入れるのを、私は好まない。

ヤバい

2012-02-22 09:18:07 | 日記
江戸時代、矢場(やば)と呼ばれる遊戯場があった。 射的場の銃を弓矢に変えたようなもので、矢が的に当たればそれなりの賞金(品)が得られるという仕組みだった。 その矢場には、得体の知れぬというか、胡散臭い、ちょっとアブナイ漢字の人間が屯していたことから、「ヤバい」と0いう言葉が出来たそうだが、現在では、その応用範囲は広く、たとえば、とてもおいしいことを「ヤバい」と言う若者もいるようだ。  一昨年の8月24日の午前10時20分、私の胸部大動脈にあった瘤が破裂した。カミソリの刃を細かく砕いて稲妻型の光流にしたような激痛が胸から背中に向けて走った。なにがなんだかわからなかった。 まさに「ヤバい!」だった。  昨年の3月11日の午後2時46分、テレビの国会中継がおもしろくなくなってきて、麻雀ゲームでもやりながらラジオを聴こうと思って立ち上がった瞬間、パチンという音とともに、1人掛けのソファが大きく揺れだし、電気が止まった。 それが地震であることは理解できたが、未経験の強度だった。目の前の炬燵の卓につかまり、仏壇を見た(最初に落下するのは、位牌や水の器であるはず)。 狼狽でも沈着でもなく、本能だったと思うが、孫娘は、私のショック死を(前述の大病があるので)心配したそうだ。私は(前にも書いたように)生きすぎた老人であるが、それでも、あの何秒間はヤバかった。 余談になるが、前述の破裂は約1年半前であり、地震の方は約1年前だが、感覚的には、どちらも半年ほど前の出来事である。 これに限らず、アレとアレはどちらが先だったっけ?というのが、不明確になってきた。 私の、記憶をつかさどる部分も、ヤバくなってきた。

勝負

2012-02-20 23:25:23 | 日記
勝負師という言葉に接すると、私は、前の中日監督・落合博満氏のことを思い浮かべる。 2年前だったか3年前になるか、中日が日本シリーズ(あるいはCSか)のゲームで、A投手が8回までを無走者に抑え、あと3人をアウトにすれば完全試合という場面を迎える。 パーフェクトゲームは、どんな大投手でも生涯に一度できるかできないかの大記録であり、大多数のファンは最終回も、Aの続投と見ていた。しかるに、落合氏は躊躇うことなく9回に、抑えのエースBをマウンドに送った。結果、中日は勝利したが、世間の評判は二分された。 もちろん1ツは冷酷落合であり、もう1ツは勝負の鬼である。 得点差がわずか1だったから、Bの投入を正しいとする説もあった。しかし、それよりもなによりも私は落合氏の勝負師としての直感を買う。買っても負けても、あるいはどんな批判を受けても、自分の責任~というのが清々しいと思った。  私は毎週土日に馬券を買う。競馬は金を賭けるからギャンブルであるが、私の場合、勝負ではない。 それは、大きなリスクを背負ってはいないからであり、このレースを外したら明日から酒が呑めなくなるというような背水の構えではないからだ。つまり、私における競馬は、老人のスプーン一杯の遊びに過ぎない。 それに較べれば、若い頃(アルバイト生活の時代)、1週間分のバイト料(3,000円余り)を懐に入れて、オッチャン達相手に徹夜麻雀を打ったときの方が、勝負という点で価値が上だったと思う。   私が麻雀を打つことはもうないだろうが、仮に20年前に時計が戻ったとしても、落合氏とは打ちたくない(とても勝てない)と尻込みするだろう。