「イマドキ、歌の文句 なんて言葉、使わないよ」と、今朝、食事の時に娘に教わった。 娘は「歌の文句じゃないけれど~っていう言い方があるけれど、いまは歌詞って言う」と言った。このように、私(あるいは家人も)時々死語を口にすることがあるようだ。 「歌はさのさか、独々逸か、歌の文句じゃないけれど~」は私達の世代までか。 歌詞で好きなのは、その情景が目に浮かぶもので、ニッポンの歌的なもので言うと、『花』『みかんの花咲く丘』『夏は来ぬ』が私のベスト3だ。 それぞれ、錦織りなす長堤に 暮るれば昇る 朧月~、波に揺られて島の影 汽笛がぼうと鳴りました~、 水鶏(くいな)声して 夕月涼しき~・・・がいいが、この話をすると、家人がよく「メロディーがいいから」と言う。 これも正解で、いずれもイントロを聴いただけで歌いだしたくなる逸品だ。娘に笑われそうだが、歌詞よりも歌の文句と言いたいフレーズがあるのが軍歌だ。 たとえば、「数をば頼んで寄せ来るただなか 必ず勝つぞと飛び込むときは 胸に挿した基地の花も ニッコリ笑う ラバウル航空隊」の、この「ニッコリ笑う」は、歌詞よりは歌の文句と言うべきだと思う。 軍歌も間もなく死歌になるのだろうが、「春のうららの墨田川、 卯の花の匂う垣根に、 みかんの花が咲いている、 嵐吹きて 雲は落ち、 遠い山から吹いてくる 小寒い風に揺れながら 、 いらかの波と雲の波、 松原遠く消ゆるところ…」は永久に歌いつがれるだろう。
家人が、私の外出用セーターを持ってきて、クリーニング店の札を剥がした。その様子を見ながら、私は、昨年の冬はほとんど外出しなかったことに気付いた。 目の前のシルクウールの軽くて暖かいグレーのセーターが懐かしく見えた。病院へ痛み止めの注射と薬の受け取りに行くのも久しぶりだった。一昨年の胸部大動脈瘤破裂以前は、週に二度ペインクリニックへ通っていたのだが・・・。 病院の入口で、帰りがけの老人が、「さぁ、どうぞ」というように通路を開けてくれ、「大丈夫ですか?」という気遣いの言葉もあった。家人がクルマを駐車場に置きに行っているので、私が一人で来ているのではと思ったのかもしれぬ。 車いすを取ってきてくれた家人にそのことを話すと、「サングラスのせいよ」と笑った。つまり半盲だと思われたということだが、昔は半盲の按摩さんがみんな着色メガネをかけていた。 整形外科のAドクターは、いかにも育ちのよさそうな温和な好青年であり、ハンサムだから、看護婦さんや女性患者には抜群の人気だろう。 帰りの車の中で、A先生のお嫁さんになる人は得だと家人が言ったが、彼が独身であるかどうかはわからない。私は、あのタイプは悪いのに捕まることが多いとだけ答えたが、これはデータ的な裏付けがあある。 負け惜しみかもしれぬが、外出が少なくても、さほど退屈は感じない。 株もあるし、競馬もあるし、テレビ(DVD)もある。友人や証券会社の若者との電話もおもしろい。しかし、それらはすべて、ナマではない。電話だって、目の前で話しているわけではない。競馬場へ行って、直接レースを観たいというのではない。そんな大望ではなく、せめて週に一度は鎌倉ホテルの酒場へ行って、外出の味というかスコッチウォーターの1杯も呑みたいと、痛ぬ腰に手を置きながら願っている。