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死に方

2017-04-25 23:32:53 | 日記
ケアマネジャーの大谷さんは、30人の患者(というのかどうか、要介護者の認定を受けている人のこと)を担当していて、私もその中の一人なのだが、私の場合は1時間近く雑談するだけで帰って行く。要は患者の状態をチェックすればいいわけで、来月の予定(リハビリと指圧)のペーパーを家人に渡せば、それで仕事は終わる。

昨日は雑談の中に、102歳の老人の死のことがあった。食事が出来なくなり、水分の点滴だけで2週間近く生きていたと言う。眠ったような状態で、まさに枯れて行くのだそうだ。いわゆる老衰死であって、全く苦しむ様子はない。いい死に方というか、理想的というか。

私の父方の祖父も、最期は自宅の床の中だった。昭和36年だった。私は家人と結婚して、別にアパートを借りて生活していた。叔母(祖父のいちばん下の娘9が近所のおばさんの手を借りて介護していた。近所の医者が毎日往診に来てくれていた。やはり食事がとれなくなり、栄養剤のようなものを注射するだけの1週間があった。危篤の知らせを受けて、私と家人が駆け付けた2日目に旅立った。苦しみのない、静かな逝き方だった。理想死である。祖父は83年生きた。私も2年経つと、その年齢になる。

私は理想死が出来るだろうか。7年前の胸部大動脈瘤破裂は数分間の激痛はあったが、その後は意識が薄れてしまうので、そのままになっても悪い死に方ではない。寝たきりで、床ずれの体で悩むよりははるかにいいと思う。自分ではなんとなく心臓のことで、短時間で逝けるような気がしているが、どうなるか。

90代の姉妹が駅のホームから急行電車に飛び込んで自殺したというニュースがあった。この死に方は好くないと思う。他人に迷惑がかかる。最大の被害者は電車の運転士さんである。後始末だって大変だ。介護だって人の手を借りる。家族だけでなく、多くの人の世話になる。その上、死に際して人に迷惑をかけるのは好くない。

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